第10話 温かな出迎え

 どうして自分だけこんな目に遭うのかと悲嘆に暮れるたびに、落ちこぼれだから仕方ないとか、マナのある所で暮らせるだけマシとか、繰り返し自分に言い聞かせているのだが、ささくれてボロボロになっていく心は癒されたことはない。


「ただい――」


「おかえり! どこかでつまずかなかったか? 風邪は引いてないか? 部屋を暖かくしておいたが、寒くないか? つらかったらすぐに言うんだぞ。すぐに医者を呼んでやるからな」


 挨拶をする間もなくディルクが駆け寄り、矢継ぎ早に声をかけてくる。

 心配をかけて申し訳ないと思うのに、それ以上に優しい言葉をかけられて嬉しくなったオフィーリアは、違う意味で泣きそうになるのを堪えて微笑んだ。


「……そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。というか、ディルクさん。どこにお医者さんがいるのかご存知なんですか?」

「し、知らない……だが、誰かに訊けば分かる、と思う」


 小さい姿とはいえドラゴンに道を訊かれた場合、驚いて何も言えなくなるか逃げ出してしまうかのどちらかだと思うのだが、それは言わないことにした。


 合羽を脱ぎ、乱れた髪を直して、体を温めるハーブティーを淹れることにした。マナテリアルではないが、風邪予防に効く薬草を組み合わせ、それでいて飲みやすいように独自に改良したものだ。


 沸かした湯をティーバッグの入ったポットに注ぐと、心が安らぐ香りが広がった。


「いいにおいがするな」

「ディルクさんも飲みますか? 苦くないですよ」

「苦くないならもらう」


 トレイにポットとティーカップを二脚乗せ、ディルクと暖炉の前に並んで座る。

 よほど冷えが心配なのか、自分の毛布を膝にかけてくれるドラゴンに礼を言い、湯気立つ薄緑色の液体をカップに注いだ。


 ディルクは器用に両前足でカップを取り、ちびり、と一口飲んだ。


「うん、苦くないし草っぽくない。ハーブティーは不味いと思ってたが、違うんだな」

「適度に甘みを感じる薬草とか花を混ぜてるんです。あと、薬草ごとに苦みが強い部位とそうでない部位があるので、それをより分けるだけでも違いますよ」

「なるほど。手間がかかってるから美味いんだな」


 しみじみとつぶやきながら、ディルクはちびちびとハーブティーを飲む。

 その仕草に癒されながらオフィーリアもカップを取る。


 雨はまだ降りやまないが、こんな穏やかな時間が過ごせるなら、誰かが傍にいるだけで心安らかになるなら、雨も悪くない。ディルクがいなかったら、きっと鬱々とした気分のままふて寝していた。


 でも、数日もすれば傷も完治して、マリアンナの使い魔になってしまう。


 今は一目惚れだなんだと言って純粋な好意を向けてくれるが、使い魔になればすぐにマリアンナの虜になるだろう。双子だけに目鼻立ちこそそっくりだが、お金と手間をかけて磨かれた美貌は、貧乏なオフィーリアにはないものだ。


 それに、性格だって別に悪くない。落ちこぼれの妹に対し蔑んだ態度を隠さないが、それは仕方のないことだし、それ以外の人の前では模範的な魔女であり淑女だ。使い魔にも愛情をもって接しているから、ディルクにも優しくしてくれるだろう。


 だからせめて、マリアンナに引き渡すまではこの時間を堪能していたい。


 ずっと雨が降り続けばいいのに――胸に湧き上がった身勝手な願いを、少し冷めたハーブティーと一緒に飲み込んだ。


「ところで、さっきちらっと見えたんだが、君の首の後ろには痣があるんだな」

「ああ、星型っぽい青い痣ですよね。生まれつきあるみたいです。自分からは見えないから気にしてないんですけど、みっともないから隠してなさいって母によく言われてました。もう消えてると思ったんですが、まだ残ってたんですか」


 首の後ろを撫でると、小さい頃、髪の毛を束ねたり切ろうとするたびに、母にこっぴどく叱られた記憶が蘇る。それゆえに、髪は首がきれいに隠れるくらいの長さで、なおかつ結うことなく下ろしっぱなしにする癖がついていた。


「そういえば、母と姉にも同じところに星形の痣があるんです。小さい頃見たきりなんですけど、ちょっと赤みがかった痣だったのを覚えてます」

「赤……そうか……」


 何故かディルクはしばし思案する素振りを示したが、すぐに首を振って「なんでもない」と言って話題を変えた。

 それからいろいろ取り留めなく話しているうちに、ディルクの故郷の話になった。


「俺は活火山の麓にある、混血ドラゴンの集落で育った」


 母親は人間だが父が純血ドラゴンであるディルクは、能力的に純血と大差ないそうだが、四分の一や八分の一になれば、『ドラゴンに変身できる長生きな人間』というだけの存在も多いという。


 そういう人たちは人間社会に溶け込むのも難しく、ドラゴンの血を持つ者同士肩を寄せ合って暮らす集落が点在するそうだ。


「母親が早くに死んで、それを聞きつけた父親がそこに預けたんだ。自分の子なんだから自分で育てろよ、って思うだろうが、純血ドラゴンのオスは子育てしない性質だから、放っておかれなかっただけマシだった……あ、俺はちゃんと責任もって育てるぞ! 君だけに負担をかけたりしないし、他の女にうつつを抜かしたりしないからな!」


 拳を作って力説するディルク。

 本人は真面目な宣言をしているつもりなのだろうが、ぬいぐるみサイズで言われても微笑ましい光景にしか見えない。でも、それを言ったら傷つくだろうから、ぐっと堪えて「そういう男性って素敵ですね」と返した。

 

 素敵と言われて、まんざらでもない様子で目を細めたディルクだったが、すぐに表情が曇ってしまった。


「だが……俺はあの金のドラゴンに負けた。混血なのを馬鹿にされて、カッとなって喧嘩を買って、挙句があのザマだ。独り立ちして、火山の主になって、縄張り争いも負け知らずだったから、自分の力を過信してた。カッコ悪いよな」

「ディルクさん……」


 がっくりとうなだれるドラゴンの頭を、オフィーリアはゆっくりと撫でた。


「そんなことないです。ディルクさんは私に気づいて、ブレスから守ってくれました。空からはちっぽけにしか見えない私を、その身を挺して。とってもカッコよかったです」

「いや、そんな……」 


「ドラゴンのことはよく分かりませんけど、自分の勝利のために無関係な人や土地ごと焼き払うことを厭わない人の方が、よっぽどカッコ悪いです。ディルクさんは自分を卑下することなんかないですよ」

「う、うん……」


「それに、自分の過ちを認めて反省できる人は、とても尊敬できます」

「わ、分かった、分かったから、もうやめてくれ! これ以上君に褒められたら、嬉しすぎて死んでしまいそうだ!」


 ディルクは短い前足で頭を抱え、毛布の上でジタバタ暴れる。

 嬉しくて死ぬってどういうことなのか。

 オフィーリアは首を傾げつつ、しばらくそっとしておいた方がいいと考え、夕食の準備を始めた。

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