第9話 理不尽な長老

「ごちそうさまでした。洗い物は私がしますから、ディルクさんは休んでてくださいね。怪我人ですから」

「君だってまだ仕事があるだろう。怪我の具合も大分いいし――ん?」


 どうしても仕事がしたい、というかオフィーリアに尽くしたいらしいディルクは食い下がってきたが、ふと何かに気づいたように窓に目をやる。その視線を追いかけ、オフィーリアも顔を向けると、窓際に黒猫が張り付いていた。


 おそらくロイドだろう。

 ディルクと目が合うなり全身の毛を逆撫で、ピョンと飛び降りてどこかに消えてしまった。


「……あの黒猫、朝からずっとこの家の周りをウロウロしてるぞ。俺が見ると逃げるんだが、すぐに戻ってくる」

「あの猫は母の使い魔です。こちらを監視してるのかもしれませんね。ほら、私がディルクさんをこき使ってるなんて言われたら嫌ですし、洗い物は私がしますね」

「そうか、晩飯のことを考えながら、俺はおとなしくすることにしよう」


 夕食も作るつもりらしい。次は何が出てくるのか、楽しみな反面申し訳なく思いつつ、食器とフライパンを洗い、軽く土間の掃除をしていると、


「オフィーリア、雨の気配がする」

「雨?」


 ディルクの言葉に顔を上げるが、少し薄雲は出ているが割といい天気だ。

 すぐに雨が降るようには見えない。


 不思議に思いながらも一旦掃除の手を止めて、物干し竿にぶら下がっている衣類を取り込み、テーブルの上に置いたところで一転にわかに日が陰り、瞬く間に黒雲が広がってポツポツという雨音が聞こえたかと思うと、すぐにザアアっと勢いのある音に変わった。


 ディルクの言葉を信じなければ、今頃洗濯物はずぶ濡れだった。


「ありがとうございます。ディルクさんはお天気が分かるんですか?」

「たいしたことはない。天気の変わり目がなんとなく分かるだけだ。ただ、この雨はしばらく続きそうだが、仕事はどうするんだ?」

「うーん……配達は雨でも行かないといけませんけど、今日はその予定はないので――」


「アケロ! アケロ! カァ、カァ!」


 雨がやむまでは家にいる、と言おうとしたが、戸の向こう側からカタコトの言葉で遮られた。

 カラスの使い魔だ。

 カラスも黒猫と同様使い魔としてポピュラーな動物で、多くの魔女に伝言係として使われている。


 嫌な予感がしつつも言われるまま開けると、濡れそぼったカラスがいた。

 くちばしにヨレヨレになった紙切れをくわえており、それをポトリと床に落とすと「シキュウ! シキュウ!」と繰り返し告げて、あっと今に飛び去ってしまった。


「……あのカラスも使い魔か?」

「ええ。多分長老様のところの」


 オフィーリアは紙片を拾いつつ、憂鬱なため息をついた。


 長老ロレンヌは気ままな野良猫よりも気分屋な性格で、いつも急に配達の依頼をしてくる。

 しかも内容が無茶振りで、一人では到底運べないような量や、季節外の薬草を要求したりする上、注文に応えられなければ代金を平然と踏み倒す。


 正直、里の中でも最悪な顧客だ。

 魔女としては凡庸だが、無駄な年の功のせいで誰も彼女の意向に逆らえない。彼女の怒りを買えば里に居場所はなくなる。どんな無茶振りでも、落ちこぼれのオフィーリアは耐えるしかない。


 渋々注文が書かれているだろう紙を広げてみるが……インクがにじんでいて読みにくいことこの上ない。

 かろうじて読解はできるが、「全部摘みたてで」と但し書きがされているので、今から摘みに行かねばならない。

雨の中の作業を考えると、とても億劫な仕事だ。


「オフィーリア?」


 その気持ちが顔に出ていたのか、ディルクが心配そうにのぞき込む。負の感情を押し込め、オフィーリアは笑顔を作った。


「なんでもありません。仕事が入ったので出かけてきますね」

「今からか? 濡れたら風邪を引くぞ」

「合羽があるので大丈夫ですよ」


 丈夫で水をよく弾くマナテリアル布でできた合羽を羽織り、心配そうなディルクを尻目に籠を肩にかけて小屋を飛び出した。


 雨が強くて視界が悪いが、どこに何が生えているかくらい、毎日世話をしているオフィーリアは熟知している。手早く指定された薬草を摘んで籠に入れ、紙が濡れないよう庇いながら紙面と中身を比較する。


 間違いがないことを確認して籠に蓋をすると、その足でロレンヌの屋敷に向かう。


 ぬかるんだ道を駆け足で進み、何度か足を取られそうになるが、どうにか踏みこたえて無事にたどり着いた。何度か深呼吸をして息を整え、分厚い玄関扉をノックした。


「オフィーリアです。ご注文の薬草をお届けに参りました」


 だが、うんともすんとも応答がない。

 何度かノックと呼びかけを繰り返したが、屋敷はシンと静まり返っている。

 配達を依頼しておきながら留守だった、というオチも何度かあった。代金を後日請求したが、そんなものは頼んでないの一点張りで踏み倒されたことも覚えている。


 今回もそういうパターンかと思って諦め、荷物だけ玄関先に置いた時。


「騒々しい。クズが何を騒いでいる」


 ゆっくりと扉が開き、絵本に出てくる“悪い魔女”をそのまま具現化したような老婆が現れた。ロレンヌだ。


「長老様。お騒がせして申し訳ありません。お求めの薬草をお届けに参りました」

「へっ? なんと言った? 最近耳が遠くてなぁ……」

「で、ですから、薬草をお届けに――」

「は? 薬草? そんなもの頼んでないぞ」


 すっとぼけた様子でロレンヌが問い返す。


「そんなはずありません。あなたの使い魔からこのメモを受け取って……あっ」

 

 合羽の中から紙片を取り出すと同時に、さっきのカラスが横からすっと飛んできて、オフィーリアの手にあったものを攫ってしまった。

「メモなんてどこにある? さては貴様、金欲しさに儂に売りつけに来たな?」


 ニヤァっと、まるで悪い魔女そのものの醜悪な笑みを浮かべたロレンヌは、置かれた籠の中身をざっと検分したのち、数回手を打った。

 すると、サルの使い魔が現れ、瞬く間に籠ごとひっつかんで屋敷の中に持って行ってしまった。


「あっ」

「儂の屋敷の敷地内にあるものは、すべて儂のものだ。何か問題でもあるかな? それとも、長老たる儂から金をせびり取ろうとしたことを、ベアトリクスに知られたいか?

マリアンナを溺愛するあいつが知れば、貴様は今度こそ追放されるだろうな。あれっぽっちの薬草で口止めができるなら、安いものだろう。さあ、帰った帰った」


 ヒヒヒ、と乾いた笑い声を上げつつ、ロレンヌは影のようにするりと屋敷の中に消え、バタンと無情に扉が閉まる音が響く。


 こうして冷たくあしらわれ、代金を踏み倒されることは承知の上だった。

 でも、頑張りが報われないのは何度味わっても慣れない。


「バーカ! バーカ! カカカ!」


 どこからかカラスの嘲笑も聞こえてきて、悔しいやら悲しいやらで涙が滲んでくるが、それを手の甲でゴシゴシ拭って帰路につく。


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