第8話 ドラゴン、料理をする
翌朝。夜明けと共に起床したオフィーリアは、毛布から抜け出し、何やら難しい顔でブツブツつぶやいているディルクを見つけた。
挨拶しようと思ったが声をかけるのも憚られて、つい観察してしまう。
彼はしばらくそうしていたが、やがて落胆したように肩を落とした。
「おはようございます。どうしたんですか?」
「ああ、おはよう。少し魔力が戻ったから、人化できないかと頑張ってみたんだが、やっぱりまだダメだった。人の姿の方が君にも受け入れてもらいやすいかと思ったんだが……まあ、できたとしても魔力不足で子供にしかなれないだろうがな」
使い魔が人化する際には、ある程度使役主である魔女の好みが反映されるが、純粋に人化能力を持つドラゴンはどうなんだろう。それぞれに固有の容姿があるのか、ドラゴンが望んだ通りの姿になるのか。
いや、それよりも彼の口振りでは、魔力量で外見年齢が変わると聞こえるのだが。
「つかぬ事を伺いますが、ディルクさんはおいくつなんですか?」
「正確な歳を数えたことはないが、まだ五十は超えてないはずだ。ドラゴンの平均寿命が四百年前後だから、八分の一しか生きてない計算だな」
この国の平均寿命が六十後半。魔女は魔力の関係で多少長生きするので、切りよく八十だと仮定しても、もう五分の一は生きている。五十と聞くと父親くらいの歳に聞こえるが、人生の尺度で計るならオフィーリアより若いことになる。
年下のカレか……いや、付き合っているわけじゃないけど。
気を取り直して着替えて昨日と同じメニューの朝食を摂ったのち、ディルクの怪我の具合を看る。
まだ完治には遠いが、さすがマナテリアル薬を使っただけに治りが早い。このままでも治りそうだが、念のため薬を塗って包帯を巻き、滋養強壮剤も飲ませた。
オフィーリアが貧乏なのを気にしているのか「ハチミツは入れなくていい」と強がったディルクだが、一口飲んだだけで身震いしてコップを置いてしまったので、苦笑しながらハチミツを足してあげた。
涙目になっていたので、相当不味かったのだろう。
ディルクを休ませ、家事を手早く片付けると、今日も今日とて薬草園の手入れをすることにした。
「じゃあ、私はこれから出かけてきますね。怪我人なんですから、勝手に出かけちゃダメですよ」
「……君を手伝ってはダメか? このナリでも、水汲みやゴミ拾いくらいならできるぞ」
麦わら帽子を目深にかぶったオフィーリアに、ディルクが上目遣いで頼んでくる。
口先だけでも手伝おうなんて言ってくる人はいなかった。
汗と泥だらけになって働くオフィーリアを馬鹿にするだけ。ディルクのその申し出に感動して心がぐらつき、その上健気な声色にあざと可愛い姿を見せられ、ついほだされてしまいそうになる。
しかし、彼はいずれマリアンナの使い魔になる存在だ。それを相手の好意とはいえ勝手に使役するような真似をすれば、彼女に対する背信と捉えられるかもしれない。
薬草園を訪れる者は滅多にいないが、オフィーリアが約束を反故にしないよう、小動物の使い魔がこちらを監視している可能性もあるし、余計な波風は立てないようにしたい。
その旨を伝えると、ディルクは渋々うなずいた。
「分かった。君に迷惑をかけるわけにはいかないからな」
「ごめんなさい。ディルクさんの気持ちは嬉しいですけど、一人で仕事するのは慣れてますから大丈夫です」
「そうか。なら、俺は昼飯の支度をして待ってる」
「……そ、そうですか。では、お願いしますね」
どうしてもオフィーリアのために何かしたいらしい。
惨事が起こらないことを祈りつつ、道具を掴んで外に出た。
******
ディルクが心配だったので、できるだけ小屋に近いところで復旧作業を進めた。
耳を澄ませて異常がないか注意を払い、何度も振り返って火事になっていないか確認し、あまり心休まらない数時間を過ごして玄関先まで戻ると、香ばしいにおいが漂ってきた。
焦げているわけでも燃えているわけでもなく、とても美味しそうな匂いだ。
そっと戸を開けて土間の方を覗くと、椅子を踏み台にしてフライパンを操るドラゴンの後姿が見えた。機嫌がいいのか、ゆらゆらと尻尾が揺れていて可愛い。
本当に料理をしている。しかもちょっと手慣れた感じだ。
母親が人間だと言っていたから、ひょっとしたら小さい頃は手伝ったりしたのかもしれないが……それにしても道具が使えるなんて、ドラゴンの前足って器用なんだなと感心する。
「……ただいま戻りました」
「ああ、おかえり。もうすぐできるから、座って待ってるといい」
「は、はい」
フライ返しを手に持ち振り返るディルクは、まるで母親のような言葉をかける。実の母にこんな風に言ってもらったことはないが。
テーブルについて言われた通り待ってると、皿を抱えてディルクが土間から出てきた。
彼の前足ではテーブルまで届かないので、オフィーリアが直接受け取る。
その皿に乗っていたのは――ちょっと歪だが丸く成形されたパンケーキ、のようなものだった。上に乾燥ハーブが散らされて色味もよく、薄切りにされたカリカリベーコンが添えられている。
「これは?」
「イモのパンケーキだ。すりおろしたイモを固めて焼くだけだから簡単だぞ」
「へぇ、こんなお料理あるんですね!」
オフィーリアは一応料理ができるが、それほどレパートリーがない。
素材を買いそろえるお金もないし、料理に費やす時間もないし、そもそも食べるのは自分一人なので適当に済ませてしまいがちだった。
「冷めないうちに食べてくれ」
「あ、そうですね。いただきます」
なにやら緊張した面持ちで見上げてくるディルクを横目に、木製のカトラリーでもやすやすと切れる柔らかいパンケーキを一口食べる。
「わ、美味しいです」
周りはカリッとしているのに、食感はホクホクしたイモそのもの。薄っすらとチーズの味もするから、きっと一緒にすりおろして混ぜたのだろう。茹でイモの上でトロッととろけるチーズとはまた別の味わいだが、意外とこっちの方が好きかもしれない。
顔をほころばせてパンケーキを口に運ぶオフィーリアを見ながら、ディルクがほっと息をついた。
「君の口に合ったようでよかった。タネは余分に作ってあるから、いくらでもおかわりを言ってくれ」
「そんなに食べれませんよ」
と言いつつも、二枚もおかわりをしてしまった。
純粋に美味しかったというのもあるが、ディルクがパンケーキを焼く姿を見たいがためにおかわりを申し出たという方が大きい。だって可愛すぎる。
それに、人が作ってくれたものを食べるのは随分と久しぶりだ。
小さい頃はロイドが食事を作ってくれたが、身の回りのことができる年頃になればそれもなくなり、今では何を食べたか思い出せないほど遥か昔のことのように思える。実際には数年前だというのに、人の感覚とは不思議なものだ。
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