もつれた糸(Remix)

フロクロ

第1話

「この子に釣り竿を買ってやりたいんだが」

 “つりざお”!父の口から出たその言葉に、思わず胸がときめいた。自分の中でそれまで”つりざお”は、バーチャルな存在だったのだ。

 うちの小学校では、その時々で様々なゲームが一世を風靡する。モンスターを捕まえ戦わせるゲーム、村でスローライフを送るゲーム、広大なオープンワールドで冒険するゲーム……そして、小学生にとってそれら流行に乗り遅れることは”死”を意味する。教室は無慈悲なのだ。そして僕はその死を回避すべく、父にねだってそれらのゲームは一通り買ってもらっていた。

 しかし、神は超・無慈悲だった。僕はそれらのゲームを全部持っていたにもかかわらず、なんとクラスに馴染めなかったのだ。それはゲームが下手だったからでも、コミュニケーションが上手く行かなかったからでもない。いや、それらの要因も多少、多少はあるのかもしれないが、そこは本筋ではないのだ。なぜこんな自体に陥ってしまったかというと、それは僕が「釣り人」になってしまったからだ。

 始まりはモンスターを捕まえるゲームだった。そのゲームは草原や洞窟でモンスターを捕まえるのだが、同様に海や池で「釣り」をすることでモンスターを捉えることも出来た。釣り糸を垂らし、数秒の静寂の後ボタンを押す。この静謐さと緊張感の虜になった。そして次に買ったスローライフのゲームも、広大な世界を旅するゲームも、どれも「釣り」が出来るようになっていた。僕はゲームの世界で「釣り人」になってしまったのだ。

 結果僕は通信中も水路を見つけては執拗に水路に釣り糸を垂らす「変人」になってしまい、クラスの輪に入れなくなってしまったのだ。アーメン。

 なぜこんなことになってしまったのか、と思いを巡らす。獲物がかかるのを待つ時間は、家で独りで過ごす時間の多い僕の心を癒やしてくれているのかもしれない。あるいは、次は大物が来るかも知れない、次は未知の獲物がかかるかもしれない、という期待感に夢中になっているのかも。釣り糸を垂らしている間、ゲーム画面の小さな池は無限にも思えたのだ。そう、僕にとっての釣りは、常に無限に対する賭けだった。

 賭け、と書いてふと気づく。この気質はまさにあの父親譲りなのかも知れない。

 父親は、めちゃくちゃだった。決まった時間に出勤することもなく、かと言って家で仕事をしているのも見たことがない。しかし僕のご飯は毎日用意してくれたし、特別貧しい思いをしたこともそんなになかった。父は自らの肩書きを「ライター」と言っていたが、いつしか自分の中で「ライター」は怪しい職業に分類されていった。そんな父に関して確実に言えることは、無類のギャンブル好きだということだ。競馬、オートレース、パチンコ、FX、本棚を見る限り仮想通貨にも手を出している。父はありとあらゆるギャンブルに手を出しているように思えた。父は「確率に耐性を付けると人生の強度が上がるんだ」という謎のキモい論理でギャンブルを正当化していたが、そんな父に似て自分が釣り好きになってしまったとしたら、複雑な気持ちだった。

 さて、ある日窓際の席で僕が授業を受けていると、突然父の車が駐車場に現れた。そして教室に来るなり、「先生には言っておいたから大丈夫だ。帰るぞ」と僕を車に乗せた。

 「何かあったの?」と僕が訊くと、父は

 「ガハハ、ふとお前と釣りに行きたくなってな。今日は新月だから、夕(ゆう)マズメを狙っていけばたんまり釣れるってワケよ」

 と笑いながら言った。夕マズメがなんなのか全くわからなかったが、早退の理由にならないことだけは確かだった。しかし、僕は呆れながらも、内心ワクワクしていた。父に釣りに連れて行ってもらうのは、初めてだったのだ。

 そして冒頭に至る。釣具屋には大量の”ガジェット”が並び、そのメタリックな質感の竿やパーツを眺めているだけでワクワクした。そこで初心者用の数千円の釣り竿セットと小さいエビのようなエサ(オキアミと言うらしい)を1パック買って、近所の海に向かった。

 初めてのリアルな釣り。ゲームの世界とは違ってホンモノの魚が手に入る、ホンモノの釣り。堤防に携帯用の椅子を置いて腰を下ろす。水を張ったバケツと空のクーラーボックスが「早く魚で一杯にしてくれ!」と叫んでいる気がした。待ってろ、今満タンにしてやるからな。期待と自信を胸に、僕は大きく竿を振った。

 5時間後。

 結果は惨敗だった。0匹。マジの0匹である。

「ガハハ、こりゃ坊主だな」

 一匹も釣れない状態を「坊主」と言うらしい。また一つ賢くなった。そして、父も坊主だった。僕は膝から崩れ落ちる。本物の海は無限ではなく、虚無だったのか……。灰になる僕をよそに父は楽しそうにこう語った。

「いやぁ、久々だからどうにも勘が戻らんね。お前が生まれる前は母さんと一緒に毎週バカスカ釣り上げてたんだがなぁ」

 初めて聞く話だった。母さんが釣りを?

「おっ、言ってなかったか。実は母さんの釣りの腕は一流でね、父さんは母さんから釣りを仕込まれたんだ」

 知らなかった。母さんが釣り人だったとは。自分の釣り好きは父親ではなく母親の遺伝である可能性がにわかに浮上して、僕はこっそり安堵した。

「母さんがいればいまごろ大量かも知れないがなぁ……まあ、この餌残り全部つかって、今日は帰るか」

 そして僕は残りのオキアミを小さな網に全部詰めて、海に放った。

 すると

「父さん!なんかすごい引っ張られるよ!!」

 ものすごい力が竿にかかり、大きくしなった。期待に胸が膨らむ。心拍数が上がるのを感じた。

「うおっ、ちょっと貸してみろ!こ、これは……」

 しかし、期待が弾けるのも一瞬だった。

「根がかりだな……」

 再び膝から崩れ落ちる。”根がかり”とは海底の岩や海藻に釣り糸が引っかかる状態のことだ(さっき知った)。つまりハズレ。最後の餌が根がかりで終わるとは……

「ん、ちょっと待て。なんだ」

 父が何か気づいたようだった。父が竿を一度引くと、糸が一度引っ張り返す。二回引くと、二回。糸の先に誰かいるみたいだった。ダイバーのいたずらだろうか。しかし、直感的に、そんなものではないと予感した。

「ちょっと貸してよ!」

 僕も慌てて引っ張ってみる。強く引くと、強く引っ張り返された。本当だ。何か明らかにコミュニケーションのようなものが取れている。そこで僕はふとひらめいた。

「ちょっと、釣り糸で糸電話って作れないかな?」

 ちょうど最近理科の時間に作ったばかりだったので、思いつきでそう言ってみた。父はお茶を飲んでいた紙コップにテグスをつなぎ直し、即席の糸電話を作り上げた。恐る恐る声を送ってみる。

「あの、こ、こんにちは」

 すると、曖昧ながら声が帰ってきたのだ。ぼやけた、女の人の声。僕と父は思わず震えた。"向こう"に人がいるのだ。声が発せられるということは、ダイバーではない。更に話を聞いてみると、どうやら"向こう"も釣りの最中に根がかりを起こしたらしい。曖昧な声で、頑張って会話を進める。ふと、"向こう"の人の名前を聞いた。そして返ってきたその答えを聞くなり、父は驚いた表情で固まり、こう言った。

「母さんの名前だ……」

 一瞬の静寂のあと、父は大慌てで僕から糸電話を奪い取り、テグスを手繰り寄せる。しかし、その瞬間すっ、と竿は軽くなり、切れた糸があっけなく海から上がってきた。

 



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もつれた糸(Remix) フロクロ @frog96

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