第5話「憎悪の理由」(後編)
自分は人見知りでした。
中高時代では耳のことでからかわれたことも、いじめを受けたこともあります。そのおかげで性格は暗くなり、ますます人と話さなくなるようになりました。休み時間では赤川次郎の作品やライトノベルを黙々と読んでいたのです。それが文章を書くきっかけになったのかもしれません。
かろうじて友達はいました。耳の聞こえる人でしたが、少しずつ手話を覚えてもらったり、紙とペンでコミュニケーションをとったりしていました。発話と読唇はできるけれど、100%確実な方法とはいえません。
相手の口が読み取れない、何を言っているのかわからない。その度に「もう一回言ってくれる?」と言えるだけの度胸はその頃の自分にはありませんでした。
だから心の奥底では、「手話で気兼ねなくお喋りをしたい」と思っていたかもしれません。
大学に入ってようやく、「仲間」と呼べる存在に出会えました。
同じ言葉で、同じような経験をしてきた友達と共感し合い、互いへの理解と友情を深めていく。
どれだけ嬉しかったか。
そして——どれだけ悲しかったか。
大学に入って数か月後に、先輩方々から「ろう者とは」「手話とは」というように講釈を受け、洗礼を浴びました。
自分の話している手話が「手話ではない」とされたのです。
そして自分の手話が「日本語対応手話」という日本語の文法に即したものであると知りました。
手話ではないというのなら、今自分が使っている手話はなんなのか。
「ろう者」が「日本手話を話せる者」なのだとしたら、自分は何者なのか。少しも聴力が残っていないから「難聴者」ではないのに……と思っていたのです。
自分の知識不足を埋めるため、手話サークルなどのろう者のコミュニティに入ってみたこともありました。
そこでも「それは手話じゃない」と否定されました。
「ろう学校に通ったこともあって、ご両親がろう者なのに変わってるねえ」と言われたこともありました。
初対面でいきなり「ろう者? 難聴者?」と聞かれたことも。もしも「難聴者です」だなんて答えようものならば、その時点でつまはじき者にされることでしょう。だからお茶を濁すつもりで「ろう者です」と答えたことがあるのですが、自分を偽っているような気がして気持ち悪かった。
なぜいきなりこんな風に聞いてくるのか。
自分には理解できなかった。
不快感と嫌悪感ばかりが募っていく。
決定的だったのは、就職先での出来事でした。
ろう者、難聴者、健聴者、視覚障害の方々とチームで作業を進めていました。
A男というそこそこ年上のろう者がいたのですが、彼は日本手話とろう者至上主義と言っても差し支えないほどの凝り固まった思考の持ち主でした。仕事中でも休憩中でも、やたらそういった話題を人に吹っ掛けるのです。そして相手が自分とは違う考え方であると知るや、激昂して「お前のは手話じゃない!」「お前は何もわかってない!」と揉めるのです。
おかげで仕事にならないことも、二度三度では済みませんでした。
彼のようなステレオタイプのろう者は、自分にとって珍しいものではありません。
「ああ、ここにもこういう人がいるのか……」とため息をつきました。
差別されてきた過去があって、その反動でろう者と日本手話とを高い位置に置きたがる。そして少しでも知識が不足していたり、手話を間違えたりすると鬼の首を取ったように騒ぐ。
健聴者には比較的穏当な態度でいくが、同じ聴覚障害者に対しては極めて苛烈かつ横柄な態度をとる。
「(耳が聞こえないのに)こんなことも知らないのか!!」というように。
A男はその後も様々な問題を起こしました。
果ては犯罪すれすれのこともやらかしました。
そのことに怒った自分は「今度また同じことをやったら指の骨を折る」と手話で脅し、A男を黙らせました。
人としてやってはいけないラインを超えたからです。
自分でも「ろう者というよりはA男という人間に問題があったんじゃない?」とは思います。
ただ……
大学時代から持っていた違和感。
どのコミュニティに入っても排斥されたという悲しみと孤独感。
「ろう者」に多く見られる傾向と特徴に対する不快感と嫌悪感。
ろう者と日本手話至上主義からくる、他の聴覚障害者と健聴者へマウントをとる浅ましい姿勢への怒り。
それらが入り交じり、積み重なり、やがて「自分はろう者が嫌いなんだ」と自覚するようになりました。
ただ、嫌悪感を抱いていることをおおっぴらに言うつもりはありません。
そんなことをすれば敵を生み出すだけです。むやみやたらに対立して、限られたエネルギーと時間を無駄に費やすような真似はしたくありません。
今、自分はろう者のコミュニティには近づかないようにしています。
両親はろう者ですが、「そういうこと」は一切話していません。
そして自分のことは「いち聴覚障害者」として考えるようにしています。「ろう者」としないのは、「あんな連中と同じように見られたくない・なりたくない・仲間に入るつもりもない」からです。
ろう者にとっては至上のアイデンティティーであっても、自分に言わせれば負のアイデンティティーです。
差別されたから差別し返し、「ろう者」の定義を勝手に決め、優越感に浸っているような連中に誇りと美学を見出せません。
(ただし、上記のような人間は本当にごく一部です。たぶん)
ただ……彼らにも彼らの言い分があります。
次回は自分が健聴者から差別されたことにも言及しつつ、上記についてお話したいと思います。
【予告】
人の数だけ言葉がある。
言葉の数だけ想いがある。
何を感じて何を想うか。
その自由すら強制されるとしたら。
次回、「ろう者の言い分」
想いの底のさらに底。
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