第4話「憎悪の理由」(前編)

 3話でちょこっと触れましたが、自分は小中高と普通の学校に通っていました。


 幼少期はろう学校幼稚部と普通の保育園を行ったり来たり。


 生まれた時から半ば無意識に、「聞こえる世界」と「聞こえない世界」を行き来していたのです。




 両親ともろう者で、小学校以降はできることならろう学校に行かせたかったようです。


 昭和の時代に比べれば多少なりとも教育が進んでいる環境で、様々なことを学ばせたかったのかもしれません。また、聞こえない・手話で話し合える友達ができることも期待していたのでしょう。


 しかし幼い自分にはそのような親心が理解できず、普通の学校に行くことを強く希望していました。特別支援学級があったとはいえ。


 発声や読唇がそれなりにできて、それなりにコミュニケーションを取れていたから普通の学校でもやっていけるだろうという甘い認識があったのです。


 ろう学校を選ばなかった理由は——今となっては記憶がおぼろげになっていますが——「聞こえない世界」と「聞こえる世界」とを比較し、「聞こえる世界の方が面白い」と思ったからかもしれません。


 あちらの方が友達が多かったという事情もあります。




 小学校まではまだよかったですが、中高はひどかった。


 いじめにも遭いましたし。


 それでも友人には恵まれたので、グレたり不登校になったりすることなく、根性で卒業まで通い続けました。その結果、性格はひねくれましたが。




  そして大学に入って、幼少期以来に「聞こえない世界」に飛び込むこととなりました。聴覚障害を持つ学生によるサークルが立ち上がっており、そこで自分は手話で思いっきり会話するという恵まれた機会を与えられたのです。


 しかし。


「手話とはこうあるべき」

「ろう者とはかくあるべき」

「手話の認知度を高めるため、ろう者の地位を向上させるため、自分たちが声を上げていかなくてはならない」


 上のように先輩方々からの洗礼を受けた自分は違和感を覚えつつも、手話やろう者の歴史について学んでいきました。

 学べば学ぶほど、違和感が強まっていったのです。



 平たく、非常に乱暴に申せば、「意識の高い」人たちに巻き込まれていた。



 長年差別されてきたことから、健聴者への怒りと不信感をあらわにする人もいました。「健聴者に馬鹿にされた」「あいつらは日本手話と日本語対応手話との違いもわかっていない」「結局、健聴者とは分かり合えない」……そのように自ら壁を作っていたのです。


 手話があまり上手くない人、覚えたての人の手話を見るや、「違う!!」と目くじらを立てて正しい手話を教えようとすることなんてザラです。




 大学の講義での情報保障(ノートテイクや手話通訳など)が不十分であることから、改善を求める人もそれなりにいました。


 それはまだいい。自分も理解できます。




 理解できないのは自分たちの考えを、要望を、そして健聴者への怒りを他者にも植えつけようとすることです。


 つまりは、「手話とろう者の地位向上を図るため、ろう者・健聴者問わず意識の改善と啓発を行っていく。そのための第一歩として、手話通訳制度やノートテイク制度といった情報保障の充実を大学側に働きかける。しかし健聴者の多くは未だに、なぜろう者に二つの制度が必要なのかを理解できていない」。


 当時の自分は無知・コミュニティから排斥されるかもしれないという恐れから先輩たちの言うままに従ってきましたが……今なら「あなたたちの考えも要望も怒りも理解できるけど、俺を巻き込まないでくれ」ということができるかもしれません。


しかし突っぱねたりすれば、「お前は何もわかっていない」「健聴者の味方なのか」「お前なんかろう者じゃない」と否定されることでしょう。


実際にそのようなことを言われたこともあります。




 当然、いい気持ちはしません。


 聴こえる友達もいたし、アイデンティティー……自分が何者であるかが揺らいでいた時期でもあった。大学に入って仲間が増えた喜びから、同じ耳の聞こえない人たち——仲間だと思っていた——からそのように言われることのやるせなさとの落差もあった。


 次第に「嫌だな」と思うようになり、距離をとるようになりました。




 この時点で、「ろう者」への不信感と嫌悪感が芽生えていたのです。



【予告】


 長い時間をかけて、脈々と受け継がれてきたもの。


 それは言葉だけではなかった。


 差別と弾圧の歴史は無数の憎しみを生み出した。


 そして今を生きる者たちにその憎しみをわからせようとする者がいる。


 次回、「憎悪の理由」(後編)


 受け継がれる憎悪。

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