第3話「なけなしのアイデンティティー」
なぜろう
本題に入る前に、自分のことを簡単に説明させて頂きます。
①両耳ともにまったく聞こえない。生まれた時から聴力は低く、幼少期の病気をきっかけに完全失聴
②ろう者の両親のもとで生まれ、幼少時から手話を体得していた
③発声訓練も積んでおり、それなりに発話と読唇ができる
④小中高は普通の学校
⑤現在(2021年9月時点)では、自らのアイデンティティーを「聴覚障害者」としている。ただし、表立って言うことはほとんどない。
①、②の条件だけで見ると「ろう者」の条件を満たしているかもしれません。
しかし、③と④がネックになります。
「声を出して喋れるのなら、お前はろう者ではない」「ろう者のコミュニティ(ろう学校など)に入っていないのなら、ろう者ではない」と否定されるケースもあるからです。
大学時代まで、ろう者のコミュニティに入るまでは漠然と、「自分はろう者なのかな」と思っていました。親がろう者で、耳が聞こえないし、手話を話せるからだと思っていたのです。
そこから紆余曲折あり、⑤に至る次第です。
さて、「ろう者であるかどうかにこだわる理由」について。
100年以上前から、ろう者は手話という言語とともに差別されてきました。
耳が聞こえないから相手が何を言っているのかわからない。
音声言語を「自然に」体得できないため、言語野が未発達のまま。
ろう学校においては発声と読唇の訓練のみを強制され、まともな教育を受けることができなかった。そしてそのような訓練を受けてもなお、
手話で同じく耳の聞こえない仲間とコミュニケーションを取り合うも、健聴者から「
さらには1880年における「ミラノ会議」という、手話を話す人——特にろう者にとっては——悪名高い多国会議において「手話を禁ずる」「ろうあ者への教育は発声訓練と読唇を義務づける」などが決議された歴史があります。
彼らは差別されてきました。
発声訓練をしても、健聴者と同じように話せるわけではない。
手話で話せば、竹刀で手をはたかれた。
健聴者とまともにコミュニケーションが取れないため、成人して仕事に就いてもトラブルが起こる。
聴覚障害者——ろう者の歴史は、差別と弾圧の歴史でもありました。
それでも彼らは手話で話すことをやめなかった。
国ぐるみで「手話を話すな」と禁じられても、決して手話を捨てなかった。
それが自分たちにとって最良のコミュニケーション手段であり、そして自らの意思を表現するために最も適した言葉であったからです。
日本手話は、100年以上も差別されてきたろう者たちが必死で守り通そうとした言葉なのです。彼らの仲間内で発生した言語は、独自の文法と表現方法を伴っています。
しかし、それが理解できない当時の健聴者は「日本手話には文法など無い」と長年決めつけ、軽んじていた。
れっきとした言語なのに、言語として認められなかった。
そのためろう学校においては平成の時代に入っても発声と読唇による教育が行われていました。今は手話による教育が主流となっていますが……。
現在においては、日本手話はれっきとした言語として認められつつあります。
「手話言語条例」という言葉を聞いたことのある人もいるかもしれません。
日本手話を言語として認めてもらう運動が、ようやく条例として形になろうとしている真っ最中です。
ろう者にとっては日本手話こそが命。
日本手話こそがろう者をろう者たらしめる言語。
差別され、弾圧されてきた彼らが守り通したものは、そのまま彼らのアイデンティティーを樹立するための大きな拠り所となっているのです。
だからこそろう者の多くは「ろう者であるかどうか」を強く気にします。
特に、今よりも差別が顕著の時代に生きてきた年配のろう者ほど、その傾向が強い。
差別されてきた過去が根強く記憶に残っている人の一部は、健聴者を憎んでいます。中途半端な知識で手話を話す人を簡単に仲間とは認めようとはしません。例え、聴覚に障害があってもです。
その排他的かつ、「日本手話を話す耳の聞こえない人間こそ、真のろう者である」とするような特権階級意識こそが、自分を「ろう者嫌い」にする大きな要因なのです。
次回は実際のエピソードを交えてお話したいと思います。
【予告】
受け継がれてきたもの。
先人たちが守り通したもの。
それが新たな対立の
引き起こされた感情の矛先は、弱者同士で突きつけ合う。
次回、「憎悪の理由」
新たな憎しみの始まり。
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