第十六話 外の世界への道のり

~ 2004年9月21日、火曜日 ~


 今日は看護婦の愛さんに付き添われながらリハビリ室の温水プールで水中歩行訓練をしていた。

 どうして、プールを使ってリハビリをするのかって?私も最初これをするとき同じ質問を玲子さんに聞いたの。

 何でも水の抵抗で落ちてしまった筋力を整える為と必要以上に下半身に負担をなくす為だって言っていた。

 それと付け加えて最低でも2ヶ月は訓練しないと駄目って彼女に言われているの。

 最近になってやっとこの訓練に慣れて来ていた。そして、今まで狂っていた平衡感覚も何とか戻ってきたようだった。

 現在、プールの中にある手すりになるべくふれないように前へ、前へ、一歩ずつ進んで行く。

「1、2、1、2、1、2」

 そんな風に私は言葉と一緒に自分の足を動かしていた。愛さんがいる目標まであと少し。

「ハァッ、ハァッ、2、1、2・・・・・・、ハァ~~~、フゥ~~~」

 目標まで到着すると心地よい溜息を漏らしていた。それと同時に愛さんが言葉をかけてくれる。

「涼崎さん、ご苦労様でした。良く頑張りましたね」

「うん」

「このまま、順調に頑張れば予定通り六日後の27日には仮退院出来そうね」

「本当ですか?」

 彼女の言ってくれた事に顔を綻ばせながらそう聞き返していた。

「ウフフフッ、嬉しそうですね。ハイ、涼崎さん、頑張っていますので、残りの六日間、おサボりしないで続ければ確実ですよ」

「有難う御座います」

「私に感謝されても・・・、それをくださった調川先生に言って上げてください」

 彼女はニッコリと私に微笑みながらそう答えてきました。

「それでは先生に診察の時間のとき言う事にします」

「涼崎さん、それでは今日はこれにてお終いなので戻りましょうね」

 愛さんはそう言うとまだプールの中に居る私に手を差し伸べてくれたの。

「有難う、でも大丈夫、自分だけで上がります」

「ウフフッ、偉いのね」

「そんな事ないです、自分のためですから」

 彼女が言葉にしてくれたことに対してそう答えていた。

 プールから上がった後、滑って転ばないよう愛さんに支えられながら更衣室へと向かっていた。

 更衣室内のシャワーで体を洗っていた。

 立ったままそれをするのはまだ少し負担がかかってしまうの。だから、タイルの上に座りながらそうしていた。

 体も無事に洗いを終わり、体を拭って、着慣れたパジャマを身に付けた。

 それからはドライヤーで乾かした髪を愛さんに櫛で整えてもらっているところだった。

「涼崎さん、随分と髪がお伸びしましたね。私が初めて貴女の事を看ていた時は首筋まで、とても可愛らしかったのを憶えていますよ。今のこの長い髪も似合っていますけど」

「まっ、愛さん、からかわないでよぉ」

 彼女は丁寧に櫛で整えた髪を両サイド気持ちだけ三つ編みにしながらそう言葉にしてくれていた。

 それに対して私は表情を崩しながらそう答えていたの。

「ハイ、これでお終いです。それでは病室に戻りましょうね」

「愛さん、有難う」

 お礼を口にしてから立ち上がり、愛さんに手渡された松葉杖を使って彼女と一緒に病室へ戻って行く。


~ 2004年9月24日、金曜日 ~

 今日もプールで歩行練習をしている。そして、今は何故か調川先生が私に付き添っていました。玲子さんも一緒。

「春香ちゃん、ガンバッ!!」

「私の予想以上によくなっていますね。頑張っているのですね涼崎さん」

 声が私の届く範囲に近づくと二人は私を励ましてくれるようにそう言ってくれた。

 今日も手すりに触れないように一歩、一歩前進していたの。

 水中歩行訓練は30mの距離を往復二時間、途中休憩三〇分をいれて行っていました。

 目標の場所へと到着すると調川先生と玲子さんが言葉をくれる。

「お疲れ様でした、休憩を取りましょうか」

「春香ちゃん、自分で上がれる?」

「ハイ、大丈夫です」

 プールサイドに両肘を掛けゆっくりと自分の身体をその中から出した。

 腕の筋力は両足に比べると大分、早く回復しているようだった。

 自分の身体をそこから出すとプールサイドに座り両足を水に浸しバタバタとそれを掻いでいたの。

「どうぞこれを飲んでください。フフッ、涼崎さん、頑張るのも程々にして下さらないと仮退院取り消しにしてしまいますよ」

 そんな事をしている私に調川先生は軽く笑いながらいつも休憩中に飲まされているスポーツドリンクを手渡し、そう言ってきた。

「ゥ~、調川先生、ごめんなさい」

 苦笑の顔を浮かべながら先生にそう答えていたの。

「分かって頂けたようですね」

 先生にそう言われたので足の動きを停め先生に渡されてドリンクを飲み始めた。

 少しずつそれを私が飲んでいると突然玲子さんが変な事を言ってくるの。

「ハァ~、春香ちゃんの水着姿毎回見ているけど可愛らしいわぁ。若いって良いわねぇ」

「ウゥングッ、ケホッ、ゲホッ」

「涼崎さん大丈夫ですか?」

 玲子さんのその言葉に吃驚し、飲んでいたドリンクを詰まらせ咳き込んでしまった。

 それを心配してくれた調川先生がそばに駆け寄り、私の背中を撫でてくれるの。

「住友さん、突然彼女を驚かせるような事はやめて下さい」

「ハァ~イっ、スミマセンでした。でも、先生だってそう思っているんでしょ?」

「ハハッ、そうですね。恋人の柏木君と言う方がうらやましい限りです」

 調川先生は笑いながらそう玲子さんに返していた。

「セッ、先生まで変な事を言わないでよぉ~~~」

 そん事を言う調川先生に文句を言いながら先生の腕を軽く叩いた。

「ふふっ、これは失礼致しました」

 彼はそう口にすると私の攻撃から避ける様に場所を移動してしまった。

 先生は宏之君の事を言葉にしていた。彼は宏之君と私の関係を知っているの?・・・、今、私の脳裏に二人の男性がよぎる。

 柏木宏之君、私の高校からの恋人。でも、私は彼を高校で、出逢う前から知っていた。

 どうして?それは私が幾度も彼に色々な場所で助けられていたから。

 藤原貴斗君、目覚める事がなかった間ずっと私を見守り続けてくれた人。そして、命の恩人。

 本当なら、許される事じゃないのに今、同時に二人の男性を好きになってしまっている。そして、今、同時に二人の女性の顔が私の脳裏に浮かぶ。

 隼瀬香澄ちゃん、高校来の親友。

 男性に対して引っ込み思案だった私のその性格を変えてくれるように手を差し伸べてくれた人。

 宏之君を紹介してくれた人。そして、今、彼女は宏之君の恋人でもあるの。

 藤宮詩織ちゃん、彼女は香澄ちゃんの幼馴染み。そして、香澄ちゃんと共に私の良き理解者になってくれ、よくお喋りをしてくれた人。

 詩織ちゃんは貴斗君の恋人。しかし、今は彼自身がそれを認めていない、否定しているの。

 香澄ちゃんと詩織ちゃん、翠のスイミングスクールの先輩だったから二人とも高校に入学する前から知っていた。

 今、私は同時に彼等を好きになってしまっている。そして、私は彼女達を傷つけようとしている。

 彼女達はこんな私をどう思っているの?私は彼女達とこれからもずっと親友?お友達でいられるの?

 私にとって彼女達二人は掛け替えのない友達。しかし、今それ以上に彼等を好きになってしまった。でもミンナとの和を崩したくない。

 一体どうしたらいいの?

〈・・・、何て私は嫌な女なの〉と心中でそう呟いていた。

「涼崎さん、それでは残り一時間頑張って歩行訓練しましょうか」

 一人悩んでいるといつの間にか休憩時間が過ぎていたようだったの。

 先生の言葉に従い残りの時間も頑張って自分の課題を進めて行く。

 時折、調川先生と玲子さんが応援の言葉を掛けてくれいた。

 その言葉に答えるように一生懸命前へと前進する。

「よく頑張ったわね、春香ちゃん。今日はこれで終わりね!」

「涼崎さん、お疲れ様でした」

 そして、今、今日の課題が無事終了した事を報せてくれる言葉が二人から掛けられた。

「ハイ、ありがとうゴザイマス」

 身体をプールから出し二人に向き直り、そう二人に言葉を返していた。

「涼崎さん、残りの二日間も無理をせず頑張ってくださいね。27日は仮退院の日なので御家族が来るまでゆっくりとお休みになってください。住友さん、後は貴女にお任せしましたよ。それでは私はお先に失礼致します」

 先生はそれだけ告げると玲子さんと私をここに置いて軽快に立ち去って行きました。

「春香ちゃん、私達も着替えて戻りましょうか」

「ハイ」

「滑らないように気を付けてね」

「いつもスミマセン」

「気にしなくていいの。これ、私の仕事だから」

 玲子さんはそう言うといつものように私を支えてくれた。

 最近やっと少しだけお肉が付き始めた私の体を見ながら彼女は恥ずかしい事を口にしてきた。

「フフッ、良かったら春香ちゃんの可愛らしい体洗うの手伝ってあげても良いわよ」

「レッ、玲子さん、イッ、厭らしい目付きでそんな事、言わないで下さいよぉ~~~、自分の体くらい一人で洗えます」

 顔を紅くしながらそんな彼女を非難したの。

「ははっ、ゴメン、ゴメン、冗談ヨ、春香ちゃん」

 彼女はそう答え笑いながら更衣室へと付き添ってくれました。


*   *   *


 今、シャワーを浴び、着替え終え椅子に座っている。

 玲子さんが愛さんのしてくれるそれと同じ事をしてくれている。

 玲子さんは愛さんと違って両側に作ってくれた三つ編みを丁寧にお玉の様に丸くしてリボンを着けてくれていたの。

「ハイ、これでお終いよ。それにしても随分伸びたわね、春香ちゃん。この髪、切らないの?」

「このままにするか短くするか、どうしようか迷っているの?でもそれは退院してから考える事にしました」

「フフッ、そうなんだ。でも春香ちゃんの今の顔付きなら切るにしてもロングの方が似合っているんじゃないかな?」

「玲子さんっ、私をからかって楽しんでないですか?」

「アハハッ、ばれちゃったかな」

 玲子さんは笑いながらそう返してきた。そんな彼女の顔を見ていたら何だか私まで可笑しくなってしまいクスクスッって笑っていた。

 私が病室に帰ったとき丁度、宏之君が来てくれたの。彼は今私が知らない外の世界の事を楽しそうに色々と教えてくれました。

 今もそのお話は続いている。

「ウフフッ、私がここを退院して自由に歩きまわれるようになったら宏之君と一緒にそのテーマパークに行きたいなぁ~~~・・・、でもね、一番初めに連れて行ってもらいたい場所は海かな」

「おぉ、当然連れて行ってやるぜ。春香が行きたい所何処へでも連れてってやるから、だから頑張れよ」

「うん、頑張るヨ私!」

「頑張れ、頑張れ」

 彼は私を励ましてくれるようにはっぱを掛けてくれた。でも、私は心の中で彼を思う。

〈宏之君、貴方はアナタが話してくれた場所に香澄ちゃんと行った事あるの?〉

〈どうして、そんなに優しい目で私を見てくれるの〉

〈私はアナタを好きであり続けていいの?〉

〈宏之君、アナタは香澄ちゃんの事をどう想っているの?もうどうでもいいの?〉

 心の中で思うだけでそれを口に出してはいえなかった。

 だって、そうしてしまうと宏之君の心の中の香澄ちゃんへの想いを揺さぶってしまいそうだから。

「どうしたんだ、黙ったりして」

「ウゥン、何でもない、心配しないで宏之君。あのねぇ、宏之君。貴斗君の所には顔を出しているの?」

「・・・、いや、それが・・・」

「ハアァ~、やっぱり、宏之君、一度も彼の所に行っていないね?」

 彼は言葉に出さず、頭を縦に振って私に答えてきた。

「もぉ、宏之君、彼の親友なんでしょ?」

「そうなんだけど・・・」

 いまだに貴斗君に会うことをためらっている宏之君。

 そんな宏之君に私は貴斗君の記憶が戻り始めたことを、隠さず教えていた。

 だって、嘘をつくのが下手な私だから、ぼろを出して、変に話がこじれたり、話さなかったことを後悔するよりもいいと思って、それに貴斗君の記憶が少しずつ戻る度に彼は宏之君に会いたい様な話し方をしていた。だから、私は宏之君に貴斗君の今を教えてあげたの。

「貴斗君、アナタと会いたがっていたのよ」

「そんな風だったなんて・・・それは本当なのか?」

「こんな事、嘘を言ってどうするの?」

「・・・確かにそうだな。判った、あとでヤツの所へよってみるよ」

「必ずだからね、私の部屋の隣の隣の隣なんだから、すぐ近くなんだから、行かなかったらすぐわかっちゃうんだから・・・」

「へい、へい。それじゃ俺そろそろバイトがあるからこれで帰らせて貰うぜ」

「頑張ってね」

「おうよっ!」

 宏之君を見送った後、また少しの間、考え事をしてから何かに誘われるように一人の男性の所に足を運んで行く。

 宏之君に逢ったあと大抵その人の所に行っていた。

 私のその行動は誰も断ち切る事が出来ない?自分ですら断ち切る事が出来ない?(本当に?)・・・ そう、まるでその行動はメビウスの環のように。

 25日、26日と玲子さん、愛さん二人の看護婦に叱咤激励されて順調にリハビリのプロセスをこなし今日と言う日をやっと向かえる事になった。


~ 2004年9月27日、月曜日 ~

 今、約三年間もお世話になった国立済世総合病院の正面玄関口に立っている。

 〝貴女はまだ少しだけお世話になるはずよ〟って茶々は入れないでね。

 今、沢山の人達に私は囲まれていた。

 私をずっと看て下さった医療スタッフ達と担当医の調川愁先生、私専属の二人の若くて美人な看護婦さん、住友玲子さんと三井愛さん。

 それと今日初めてお会いしましたここの病院の外科医院長の常陸双樹先生。

 私の両親と妹の翠。男性のお友達、八神慎治君。そして、恋人の宏之君。でも、ここに香澄ちゃんと詩織ちゃんがいない。

 貴斗君も・・・。

 彼は病室から出られないから当然だけど・・・、香澄ちゃん、仕事忙しいのかな?

 詩織ちゃんは本当に試験勉強で手がいっぱいなのかな?

 それともヤッパリ、彼女達二人は私の事を嫌ってしまったの?

「涼崎さん、どうなさったのですかそのような顔をされて。これから、仮退院だと言うのにそのような顔されたら私は困ってしまいますよ。ですから笑って貰えないでしょうか?そこの男性二人も喜びますよ。特に柏木君は、フッ」

「そうよ、そんな顔してたらカレシが逃げちゃうわよ。だから、笑いなさい!」

「もう、玲子ッたらもう少し丁寧な言い方出来ないの?涼崎さん、もう何も心配しないで。思いのまま自由に羽を広げてください。そうすれば何も考えなくても笑顔でいられますから」

 どんな表情をしていたのか?多分、淋しそうな表情をしていたと思うの。

 だから先生や彼女達は心配してくれてそんな言葉を掛けてくれたのだと思う。

「ハイッ!」

 だから、そう元気のいい返事をして先生に笑顔を創って見せた。そして、その表情のまま宏之君達の方へ振り返ったの。

「春香おねぇちゃん、かり退院オメデトォ~~~っ」

「お帰り春香、退院したからって気を抜かないように」

「春香、ヤッと私達の元へ帰ってきてくれるのね。ママは嬉しいわ」

「涼崎、退院おめでとう」

「おめでとう春香、やっと仮だけど退院で来たんだな、これは現実なんだな?俺、喜んでいいんだな?」

 最後に祝福の言葉をかけてくれたのは宏之君、彼でした。

「モチロンだよ、宏之君」

 私がそう口を動かすと宏之君は私の存在を確認するように強く抱き締めて来た、みんなの前で。

「キャッ、ハッ、恥ずかしいよぉ~~~宏之君」

「これくらい良いだろ」

「そう、そう、彼の言う通りそのくらいなんて事ないでショ」

「フフッ」

「ハァ~、やれやれ貴女の彼氏は見せ付けてくれますね」

「ウフフフフッ・ハハハハハッ」

 みんなが笑って祝福してくれる中、黙って何も言ってくれない人たちが二人。そして、その二人は私の視界に入ってきた。

 翠と八神君、その二人は皆と同じように笑う事をしないで複雑な表情を浮かべていた。

 そんな二人から私は視線をそらしてしまっていた。

 ミンナに見送られながらパパが運転して来た車に乗って三年ぶりに我が家へと向かったの。仮退院、それは私が三年間、下界と隔離された場所にいた事によって大きな情報の壁が出来てしまっていた。

 それらを正しく認識し、戸惑うことなく確りと受け止められるか、と言う精神的な試験をすること。もう一つは身体が普通の生活環境でちゃんと適応するかどうかの試験。

 どちらか一方でも適性が認められない場合、また病院へと私は連れ戻されてしまう。だから〝仮〟退院なの。また病院に戻されるなんてお許し願いたい。だから私は

〈元の環境に戻れる様に頑張らなきゃ〉と心に強く誓ったの。

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