第十話 変わらない私の恋人と私の友達

~ 2004年8月5日、木曜日 ~

 昨日、パパもママも忙しくて毎日は来られないって言ってたのに今日もこの場所にお見舞いに来てくれていた。


春香、今日あたり、宏之君もお見舞に来てくれるかもしれませんよ」

 パパが宏之君に私が目覚めた事を連絡してくれたみたいでした。

『コン、コン、ガチャッ』

 少しの間、パパと談笑しているとドアを叩く音が聞えてくる。

 僅かに間が空いてから病室のその扉が開いたの。

「こんにちは涼崎さん、彼を連れてきましたよ」

 調川先生は挨拶をしてくると一人の男性をこの空間に招待していた。

「・・・・・・・・・、アッ、エッと、その・・・、宏之君」

 言葉が詰まってしまう。

 胸の内がどんどん熱を上げていく。

 私は彼を見詰めていた。

「皆さん、春香と彼を・・・、さぁ、外へ参りましょう」

 パパは彼と私に気を利かせるようにこの場からみんなを追い出そうとしている。

 宏之君の目に涙が溢れている。

 私の瞳にはそんな彼の姿が映っていた。

「私はお仕事がありますのでこの場に留まらせてもらいます」

 調川先生はさも当然の様に、私たちにそう告げていた。でも私は先生の言葉に対して・・・、

 宏之君と自分のことしか見えていなかった私には先生の言葉なんて、届いていなかった。

 宏之君、調川先生と私だけが今この空間を占拠していた。

 静寂がしばし訪れる。

 その静寂を破るように宏之君は涙を流しながら嗚咽してしまった。どうして?どうして彼はそんなに涙を流し泣いているの?そんなに私、貴方に心配、掛けさせちゃったの?

 そんな彼を見た私の目からも同じ物が流れ彼の名前を呼んでいた。

「ヒロユキ君・・・、宏之君・・・」

「ハ、春香、ハルカなんだよな?」

「フッ、・・・アナタァ、泣いていたのでは彼女とお話しする事は出来ませんよ」

「ゴメンよ、春香、ゴメン、いっぱいゴメンよ、はるか」

 彼はたくさん、沢山、私に謝ってくる。どうしてなのかなぁ?約束の時間に遅刻したのを謝ってくれているの?でも、悪いのは宏之君だけじゃないの。

 彼を泣かせてしまったのは私の所為。だから謝るのは私。

「宏之君・・・、謝るのは私の方だよ」

「春香・・・・・・・・・」

「でっ、デートの約束、破っちゃってゴメンね・・・・、いっぱい、いっぱい心配掛けさせてゴメンね。ねぇ、宏之君・・・・こっちに来て・・・・・」

 彼にそばに来て欲しかったから、彼を間近で見たかったから、そう彼に伝えていた。そして、宏之君は私の言葉に促されるように一歩、一歩近づいてくれていた。やがて彼は私の目の前に来てくれる。

 そんな彼に私は優しく微笑みながら言葉を掛けるの。

「ほら見て宏之君、私こんなに元気なんだよっ!ねぇ、だからもう泣かないで」

 それでも彼は心配の色を顔に浮かべていた。

 だからもっと彼に言葉をかけてあげる。

 彼を励ますように言ってあげるの。

「ネッ、ネッ、宏之君、大丈夫だからそんな顔しないで」

「・・・すまなかった春香・・・俺もう大丈夫だから」

 宏之君がやっと平静を取り戻してくれた。

 そんな彼に話しかけようと思った時、調川先生が割って入ってきたの。

「涼崎さん、気分の方はよろしいですか?」

「ハイ、問題ないと思います」

 本当にそう思ったから先生にそう言葉をかえしていた。

 でもね・・・。

「そうですか」

 先生が私にそう返答すると急に・・・、一瞬だけ意識が途切れる。

「・・・・・・あれ?調川先生?エッ?エェ?どうして、宏之君が?ここに?」と、そう二人に口を動かしていた。

「ナッ、何言ってんだ!春香?」

「大丈夫では・・・、ないようですね」

「せっ、先生コレは?」

「彼はコレから用事があるようなので帰宅するそうです。せっかくの再開ですが・・・・・・」

「もう行っちゃうの宏之君?」

 私でない私がそう言葉にしていた。

「また来るからそんな顔するな」

「ヤダ、やだぁ、まだ何もお話してないじゃない」

「我侭はいけません、その様な事を言うと彼を二度とここへは入らせませんよ」

 宏之君は調川先生の言葉に何にも返してくれないで黙ってしまったの。

 だけどそれだけは嫌だから私じゃない私は返事を返してしまう。

「・・・・・・、はい」

「分かって戴けた様ですね」

「バイバイ、宏之君」

 そう口にすると無意識的に窓の外を眺めてしまっていた。

 今がどのくらい経ったかわかる事の無い世界を眺めていたの。

 気がつくといつの間にか二人ともいなくなっていた。


~ 2004年8月6日、金曜日 ~


 今日も宏之君がお見舞いに来てくれていた。

 その前に私の妹の翠が来ていたの。

 宏之君が病室に入って来た時、妹は何だか彼を睨んでいたみたい。でも、私でない私にはそれに気付けなかった。

「今日も来てくださったんですねぇ、柏木さん」

 何だか妹が彼に向ける言葉には棘があるように感じられた。でも、どうしてなの?

「・・・・・・、春香、今日も来たぞ」

「有難うね、宏之君」

「礼なんていい、お前が嫌がっても毎日来てやる」

「ウン、絶対来てねぇ」

「アハッ、オアツイでうすねぇ、妬けてきちゃうので私は退散しまぁ~~~ス」

 翠はそう言うとこの場から出て行ってしまった。

 なんだか含みのあるような感じだった。でも、私でない私にはそれに気付かない。

 今は宏之君と私だけがこの空間にいるの。

 私でない私に彼は目を向けている。でも、私は彼ではなくこの空間に目を泳がせ眺めていた。やがて彼が私でない私に声を掛けてくる。

「・・・春香」

「やっと、宏之君と二人きり」

 私でない私が彼の呼び掛けに答えるようにそう口にしていた。

「・・・春香・・・・・・」

「ねぇ、宏之君、お願いがあるの?いいかなぁ?」

「何でも聞いてやる。いって見ろ」

「キスして」

 私でない私が何の躊躇もなくハッキリと彼に自分の欲求を懇願の目と言葉で伝えていた。

 彼は私のその言葉に沈黙して何も言ってくれないの。

「だめなのぉ?」

 更に目を潤ませ上目遣いで彼を見詰めていた。

 ちょっとだけ間が空いたけど彼は私の意思を介してくれ、私の方に近づき私の両肩に彼の手を乗せてくる。

 私でない私がそれに答えるよう瞼を閉じ彼の行動を待っていた。やがて、彼の唇の感触が伝わってくる。

 昔と何も変らないあの感触が私の唇を優しく塞いでくれている。

 しばらくして、その行為も終わりを告げ彼の方からそのクチビルを離していた。

「これでよかったのか?」

「ウン、我侭言ってゴメンね」

「コレくらい当然の事だぜ」

 宏之君とキスをかわしてから少しだけお話をしたの。

 その会話途中で数回、意識が途切れてしまっていた。

「ねぇ、宏之君、次はいつ来てくれるの」

「当然っ、明日!」

「絶対、明日も来てくれる」

「あぁ、もちろんだ」

「絶対絶対来てくれる?」

「絶対絶対絶対くるぞ、だから安心しろよ、春香」

 宏之君はそう言い終えると私でない私の頭に手を乗せ優しく撫でてくれていたの。

「ねぇ、宏之君・・・、・・・、昨日も来てくれたよね?」

「何言ってんだ、春香?昨日も来てやっただろ」

「わたし、余り昨日のこと、覚えていないの」

 私でない私が総ての事柄が思い出となってしまうのを嫌い、抽象的にしかスベテの物事を捕らえてくれていなかった。

「・・・・・・・・・春香」

「宏之君が何回か来てくれた事も忘れちゃったのかなぁ?」

 目覚めてからまだ私は彼と2回しか会っていないのに彼にそう言っている。

「・・・、恐いの・・・・・・、怖いの、毎日アナタの顔を見ていないと全部の事忘れちゃいそうで・・・・・・・・・、こわいの」

 私でない私が非現実を紡ぐように、繋ぎとめるようにそう彼に綴っていた。

「大丈夫だ、毎日来るから」

「有難うねぇ、宏之君」

 私でない私が丁度そう言い終えたとき病室に二つの影が挿してきた。

「涼崎さん診察に参りましたよ」

「おねぇ~ちゃぁ~~ん、たっだいまぁ~~~」

「調川せんせいぇ」

「柏木君、今から彼女の診察をいたしますので早々に退室を願いたいのですが?」

 調川先生の言葉に宏之君は黙ってしまった。

「それとも私と一緒に彼女の体を観察しますか?フフッ」

 先生はからかうような口調で宏之君にそんな言葉を聞かせていたの。

「・・・・・・ははっ、わかりました」

 宏之君は乾いた笑いを浮かべ、この空間から去ってゆくの。

「愁センセェ、お姉ちゃんに変な事しないでねぇ」

「フッ、心外ですねぇ~~~、私はコレでも医者なのですよ。私は私の職務を全うするだけです」

「アハッ、失礼しましたですぅ」

 妹も悪戯な言葉を先生に向けてから、別れの挨拶を残してこの普通でない空間からスペースを開けてどこかへ行ってしまった。

 それから私でない私は調川先生に診察を受け寝かされるの。


~ 2004年8月7日、土曜日 ~

 今日は私のお見舞いに時間帯を変えて宏之君以外の人が来てくれていた。

 妹の翠は宏之君がこの場に来るとどうしてなのか直ぐに出て行ってしまう、この外界から隔離された空間から。でも、今日は翠が同席していたの。

「あのねぇ、宏之君?キスして」

「ナッ、何言ってんだ!誰かが来たらヤバイだろ。それに翠ちゃんだっているんだぞ」

 彼はうろたえながら私でない私にそう言って返してくる。

「おっ、おねぇちゃぁんなに言ってんのぉ、私もいるんだからねぇ。そんな事は私がいない時にしてよぉ」

 妹はとても不満、不機嫌そうな口調でそう言葉にしてきた。

 私でない私はスッカリ妹の存在を忘れていたようね。

 そんなせいか少しの間、気不味い雰囲気がこの空間に訪れていた。

 場の気まずさを取り払うように一人の女の子が姿を見せるの。

「藤宮詩織です。春香ちゃん、お見舞いに参りましたよ」

 親友の声、そんな風に挨拶をしがら病室に入ってきたの。

 その人の登場でこの空間が平静を取り戻してくれた。

 私でない私はさっき宏之君にお願いした事など忘却の彼方へと追いやり、彼女の言葉に答えていた。

「いらっしゃい、詩織ちゃん」

「お見舞いに来ましたよ、春香ちゃん」

 再度、私に淑やかな仕草で挨拶を返してくれたの。

 扉の前で様子を伺っていた詩織ちゃんは私でない私の声に促されこの空間の中ほどまで足を踏み込んできました。

 彼女はこの空間すべてに目をひろげていた。

 そう長い間じゃなかったけど唖然とした表情を浮かべたの。でも、そんな行動を私でない私は気付けなかった。だけどね、それに気付いた妹の翠が詩織ちゃんに言葉をかけていた。

「何でもないです。お気になさらずに」

 彼女の言葉にはなぜか弁明めいたものを私でない私が感じていた。

「詩織ちゃん、せっかくアナタのご両親のコンサート・チケット貰ったのに無駄にしちゃってゴメンね」

「いいのですよ、春香ちゃんがご無事でいてくれたのなら、その様な事を私は気にしなくてよ」

「本当にゴメンね、そして有難う」

「ハイ、分かっております」

 詩織ちゃんがそう言ってくれると私でない私はイッシュン眩暈を覚えてしまう。

 短い間だったけどね、私でない私と詩織ちゃん、宏之君、翠は談笑を交えていたの。

「私、これから用事がありますのでそろそろ帰らせてもらいますね」

 彼女はこの空間に居辛いのか私でない私にそう言葉をくれました。

「もしかして、詩織ちゃん、私と宏之君に気を遣ってくれているのかなぁ?」

 それに対して彼女の本当の心理を掴めなかった私でない私はありのままの意思を返していた。

「その様なことありませんわ、本当に用事がありますから。それじゃまた来ますから、春香ちゃん」

「うん、アリガトネ、デモ貴斗君と一緒に来てくれるといいな」

 今まで藤原君の事を名前で呼んだことが無いのに私じゃない私はそう口にしていた。

 そう言葉にしていたことも気付けないでいるの。

「・・・・・・貴斗・・・くん、バイトで忙しいですから何時来られるかわかりませんけど・・・、彼にお尋ねして見ます」

 私でない私が彼女にそう懇願の意を表した時、彼女の表情が少しだけ変ったような気がしたのは気のせい?

 でも詩織ちゃんは彼と一緒に来てくれるかどうか聞いてくれるって言ってくれた。

 詩織ちゃんは別れの挨拶を残すとこの特殊な空間からいなくなってしまった。

 それを追う様に花瓶を持って翠もいなくなってしまうの。


*   *   *


 今、この非現実的な空間は私でない私と宏之君だけがいた。

 偽りと言う現実を強いる私でない私は彼にキスを要求していた。

 その行為はまるで彼から何かを奪うように、彼からすべての現実を奪うように・・・・・・。

 私でない私の要求を受け入れてくれた彼はそれをしてくれた。

 深く・・・、そして長く。

 その行為が終わるとほぼ同時に宏之君の親友の内の一人が私でない私に姿を見せてくれたの。

「八神でっせぇ、お見舞いに参上っす」

「あぁぁ、八神くんッ!お見舞いに来てくれたのね、アリガト」

 私でない私はその来訪客を喜ぶようにこの中へと招き入れた。

 八神君も詩織ちゃんの時と同じように病室の中と私を観察した後、宏之君を見て表情を変えずともココロの中で驚いているのが私ではない私には見えた。

 僅かばかりの時間、この三人で会話をしていた。

 すると私達の会話を強制的に止める様な感じで妹が帰ってきたの。

「お姉ちゃん、お花交換してきたよぉ~~~、あっ!」

 翠は入ってくると同時に何故か驚いたようだった。

「どうしたの翠?」

 だから、そんな翠に私でない私が妹にそう尋ねていた。

「お姉ちゃん、柏木さんの隣にいる人は誰ですかぁ?」

「アッ、翠は八神くんに会うの初めてよネェ」

「八神さんって言うんですネェ。宜しく御願いしますぅ・・・。あっ、いっけなぁ~~~いっ。そろそろ検診の時間、お姉ちゃん楽しい処、可哀想だけど二人にはご退場っ!」

 彼女の言葉には何か含みを感じました、取り繕っている様なそのような感じがしたの。

「涼崎さん、また時間がある時来るから」

「春香、明日も来るよ」

 二人の男性は私でない私にそう別れの挨拶をして私の所から消えて行ってしまう。

 独りベッドの上に取り残された私でない私は疲れを癒すように深い眠りへと堕ちて行く。


~ 2004年8月8日、日曜日 ~

 今日はやっと私のもう一人の親友の香澄が詩織ちゃんと一緒にお見舞いに来てくれました。

「春香、お見舞いに来たわよ」

「ワタクシも、およばせながら参上させていただきました」

「しおりン、なんか言葉が変よ」

「そうかしら?」

「香澄ちゃん、やっと来てくれたのねぇ、ついでに詩織ちゃんも」

「ハァっ、お酷いですわ、私はついでなのですね、春香ちゃん」

「しおりン、そんな事を気にするなんて小さい、小さい」

「二人ともお見舞いに来てくれて有難うね」

 私でない私が二人の親友?にそう言葉を掛けていた。

 香澄ちゃんの視線が先に来ていた宏之君の方へ行くと驚いたよう言葉を彼にかけていたの。

「何で、宏之、アンタがここにいるのよ?今日バ・・・、アガガガァ」

 途中、言いかけた処を詩織ちゃんに口を押さえられ、最後まで言いきることはなかった。

 詩織ちゃんが香澄ちゃんに何か小言を呟いている。だけど私じゃない私は気にしている様子も無かった。

「こんにちは柏木君」

「ハハッ、甲斐性なしのアンタがここにいるの、珍しいわね」

「甲斐性なしで悪かったな、俺は貴斗よりましだぞ」

「ハァ~~~、柏木君もそう思いますか貴斗君の事?」

「ウフフフフフフッ」

 不満そうな顔を浮かべる詩織ちゃんに私は小さく笑ってしまっていたの。

「アハハハッ、しょげない、しょげないしおりン」

「クッハハハ」

 藤原君を中傷する笑い声がこの虚空の空間を埋め尽くしていた。

「今日もその貴斗君は詩織ちゃんと一緒じゃないのね」

「ごめんなさい。貴斗君、バイトでお忙しいですから」

 詩織ちゃんがそう言ってから香澄ちゃんと宏之君はどうしてなのか驚いた表情を作って黙ってしまった・・・。

 詩織ちゃん、驚きはしなかったけど心の中で溜息をついているように思えたの。

「・・・、・・・・、・・・・・、・・・・・・、エッと今私なんて言ってたんだっけ」

 そして、一瞬気を失い、消えてしまった記憶の所為でそう私は言葉を作っていました。

 私でない私はいつものように記憶が曖昧になっていた。

 そう・・・、三人は私のその状態を見て黙ってしまっていたの。

「・・・・・・@!?」

「はっ」

 いまだに香澄ちゃんと宏之君は驚いた表情を見せている。

 詩織ちゃんは黙ったまま胸元に拳を置きながら小さく唇をかんでいたの。

 私じゃない私は三人の顔を見て頭の上に?を一杯浮かべていた。


*   *   *


 詩織ちゃんの言葉で再び、私を含めた四人は私でない私と楽しく言葉を交わしていた。

 やがて、妹の翠が現れ場を急転させられた。

「どうしてアナタがいるんですか?」

「あたり前の事を聞かないで翠。アタシは春香の親友よ!見舞いに来て当然でしょう?」

「アナタ、ホントに本当にそう思ってるんですか?」

「翠ちゃん・・・・・・」

「いい加減にしなさい、翠。あなた何、言っているか分かっているの?」

「いいのよ、春香。あんたは気にしなくて」

「でっ、でもぉ~」

「香澄がそういうのですから春香ちゃんはご心配しないで」

 この場所の空気が酷く重くなったような気がして、私じゃない私は居た堪れなくなっているの。そんな中、暫くして、香澄ちゃんが口を開いた。

「春香・・・、私もしおりンも用事があるからそろそろ帰るわ」

「アッ、いけないスッカリ、お忘れしていました」


 重い空気が澱んだまま、気が付くこの外界からの隔てりのある部屋には誰もいなくなっていました。

 私だけがまた取り残されていたの。

目覚めてから幾度となく記憶の前後が曖昧になっていた。でもそれも徐々に直りつつあるの。

 私でない私が本当の私と一体化しようとしているのかな?

 それとも私で無い私が本当の私を完全に支配しようとしているからなのかな?

 でもその答えを知ることは今の私にはできないみたい。


~ 2004年8月10日、火曜日 ~

 今日から新学期が始まっているはずなの。

 私じゃない私の時間では。・・・、本当は違うよね、私でない私がそうだと勝手に思い込んでいるだけなのよね?

 妹の翠は学校の帰りなのか制服のままここへ寄ったみた。

 宏之君は私服でした。お家に帰ってから来たのかな?

 そう、今日も宏之君が私でない私のお見舞いに来てくれていたの。

 翠も同席している。

 どうしてかな?宏之君と一緒にいるのがイツも辛そうな翠が同席している日に限って新しい来訪客がやってくるの。

 今日の来訪客は・・・?

「はぁ~るかぁちゃん、お見舞いに来て差し上げましたよ」

「アッ、詩織ちゃん。何だか嬉しそうね」

「フフッお分かりになりますのね、春香ちゃん。今日は貴斗クンをご一緒にお連れしました」

「ぇえっ、本当に!?」

「ハイ、マジにです」

 詩織ちゃんはそう口にしていてもこの空間の中を確認していた。

 彼女がそれを終えると病室のドアの方に向かい彼女の恋人をここへ呼んだの。

「貴斗、入ってきてもいいわよ」

「こんちは、涼崎・・・・・・、さん!」

 私達のフレンズ・サークルの最後の訪問者、藤原君は私でない私にそう挨拶して来た。

「藤原くんぅ、酷いよぉ~~~皆、来てくれたのに、藤原君だけちっとも来てくれないんだもん」

 私でない私は責めるように彼の挨拶にそう返していたの、下の名で呼ぶのではなく以前の様に苗字で。

「詩織先輩、コンニチハァ。ついでに、貴斗さんも」

 妹の翠が藤原君にそう挨拶を掛けた時、彼の表情の変化はありませんでしたが、どことなく言葉では表わせない変な雰囲気を出していました。

「お前も来たのか?」

「ヒっ」

 藤原君が宏之君の名前を驚いた口調で呼ぼうとした時、詩織ちゃんが彼の口を押さえて小声で何かを呟いていたようだったけど、私でない私はそれを認識しようとはしないの。

「よっ、宏之、お勤めご苦労さん」

「あぁ~~~」

 私の恋人?の宏之君は藤原君の挨拶にどうしてなのか曖昧な返事で答えていた。

 それほど長くない間、五人で談笑、藤原君はいつものようにただ相槌を打つだけ。

 時折、詩織ちゃんにせがまれて何かを話しかけてくるくらいだった。

 私達の談笑に息が詰まってきたのか、それとも私でない私と宏之クンを気遣ってくれたのか判からないんだけど次のように藤原君は言ってくれたの。

「宏之と涼崎さん二人きりにしてやろう」

 そう言葉にして彼は詩織ちゃんと翠を外に連れ出そうとしている。

「貴斗君、そんな事、気にしなくていいのにぃ~」

 無意識で私でない私はそんな彼に対して彼のラストネームではなく〝貴斗君〟とファーストネームでまた呼びかけていたの。

「二人とも行くぞ」

「貴斗さん、目が怖いですぅ~」

 どうしてなの?

 藤原君は睨むように詩織ちゃんと翠にそう言い聞かせてこの場から強引に退出して行こうとしていた。

 彼が彼女達を睨んだのは私が彼をファーストネームで呼んで怒ってしまった所為なの?

 でも、その答えは返って来る事は無かった。

 そう三人はこの場をあとにしてしまったからね。


*   *   *


 詩織ちゃん、藤原君、それと翠、三人が帰ってしまったから、また私でない私と宏之君、二人だけになっていたの。

 いつもの欲求に駆られるように私でない私は宏之君にキスを求めていた。

 そう・・・、それはまるで何かの儀式のように・・・・・・。

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