第二話 ダーク・プリズン

 闇の中で私は目覚めるの。気が付くとそこにはいつもの様に宏之君が私の手を握りながら座っていた。

「ハハッ、今日も学校サボって春香の見舞いに来ちゃったぜ」

〈駄目だよっ、そんな理由で学校サボっちゃ!ちゃんと行ってくれないと泣いちゃうんだから〉

「まったくいつまでおれを待たせれば気が済むんだ?俺はオマエがいない学校なんてつまらなくて行く気おきネェよ。春香、俺、お前と一緒に上に目指すって決めたんだから、お前のために頑張って勉強するって決めたんだから。ナッ、だから早く起きて俺に勉強教えてくれよ」

 彼は私に話しかけてくれる。けれども彼に一言も答えて上げられない。

 どうして?どうして?目を開ける事が出来ないの私?

〈ウッ、クッ、苦しい・・・〉とそう感じた時、再び、闇の中に戻された。


*   *   *


 気がつくと今日もまた宏之君、彼はそばで私の手を握っていた。

 彼は泣いている。

 誰のために?私のため?どうして?どうしてそんなに泣いているの?

 手を握ってくれる彼の手を握り返す事も、声を出さないで泣いている涙がつたう彼の頬を触ることも、彼に〝大丈夫、心配しないで〟と声を掛けて上げる事さえ出来ないの。

 何も出来ない私、そんな毎日が続いていた。


*   *   *


 今日も宏之君が来ていた。何かを話しかけているみたい。

「ハハッ、今日久しぶりに学校に顔出ししたぜ。慎治の奴が近所迷惑なくらい毎日、毎日、俺に説教、垂れてくれるからな。ハハハッ、実際近所迷惑だったけど」

 彼の笑い声はとても乾いているような気がした。

 それは私の知っている宏之君の笑い声じゃなかったの。

「ほら、春香の同じクラスの藤宮さん、彼女凄く心配しているぜ。トロイ、オマエをからかえないってな」

〈ムゥ、詩織ちゃんは絶対そんな事思ってないもん〉

 しかし、私の言葉は彼に届かない。

「お前が倒れた事で隼瀬も相当ショックを受けている。俺は・・・・・・・・・・・・。また来るよ、春香」

 宏之君はそう言い残すと私のそばを離れて行ってしまった。彼に言葉を掛けて上げる事は出来ないの?


*   *   *


 今日も宏之君が来ていた。何だか深刻な顔をしている。

「アハハッ」

 彼の乾いた笑い・・・、それは私を深く傷つける。どうして?それは私が彼に何もして上げられないからなの。

「ハハッ」とまた彼はその笑いを私にではなく宙に向けていた。

「今日もまた、俺、貴斗と喧嘩しちまった。アイツと顔を合わせればいつもお前の事故の原因について擦り合い」

 事故の原因?エッ、誰の?何の事を言っているの、宏之君?私には判らないよ?

「その理由について、俺は慎治から聞いてたんだ。でも・・・、でも俺はヤツの所為なんて思ってない。ヤツの事を恨めやしないよ、俺。俺あいつの優しさ知っているから、アイツを責めたくないんだ。記憶喪失のアイツにこれ以上、負担をかけちまったらアイツは潰れるかもしれないだろ?そう思わないか春香?」

「それにあいつには藤宮さんがいる。彼女、今の状態のヤツをとっても心配している。だから俺、貴斗を・・・なんかしゃしないよ」

 宏之君、本当に友達思いなんだね。私はそんアナタが好きなんだぁ

 こんなに彼の事を思っているのにどうして言葉が出ないの?誰か教えてよ!

「ハハハッ、また来るよ、春香」

 彼は乾いた笑いとそう言い残すと私を置いて行ってしまった。

 そんな彼の姿を悲しい目で見ている子が一人・・・。

 それは私の妹、翠だった。

 いつも来る私の友達達に何も言えないまま分からないくらいの時間が過ぎて行った。


*   *   *


 今日は親友、香澄ちゃんと詩織ちゃんが来ていた。

 翠はさっき二人とすれ違うように帰って行ったみたい。

「ぅぅうう、ふっ、ぅううううう」

 香澄ちゃんは片方の手で私の手を握りもう片方に手で彼女自身の口を押さえながら静かに嗚咽していた。その隣に詩織ちゃんが彼女の肩に手を掛け静かに佇んでいる。

〈ネェ、香澄ちゃん、なんで泣いているの?どうして、涙を流しているの?〉

 彼女は今まで私の前で涙なんて見せた事ないのにどうして今彼女は涙を流しているの?

「ネェ、どうして春香、早く目を覚まさないの?どうしてよ?早く、アンタが目を覚まさなくちゃ、みんなおかしくなっちゃう。宏之がどんどん駄目になっちゃう。だから、早く目を覚ましてよ。私だって、このままじゃ自分の気持ちが狂っちゃうよ、止められなくなっちゃうよ」

「かすみぃ・・・・」

 詩織ちゃんは今にも潰れてしまいそうな声で幼馴染みの名を呼んでいた。

〈どう言う事・・・、私には理解でない、みんなどうしてしまったと言うの?答えてよ、香澄ちゃん、詩織ちゃん〉

 でもね、私の問いはむなしく闇の中に散るだけで、二人には届かないし、彼女達は何も答えてきてはくれなかった。

 彼女達は私に挨拶をしてからいつの間にかいなくなっていた。また、私だけがこの小さな空間に一人取り残されてしまった。若し、誰も来てくれなかったら私はどうなってしまうの?


*   *   *


 時間がどれだけたったのか分からない・・・。

 それとも私にはもう時間なんて必要なくなっちゃったの?そして、また今日も?宏之君がお見舞いに来てくれた。

 彼の目は前にも増して光が射していなかった。

 日に日にその視力を奪っているのかも知れないと思ってしまう。

 彼は今日、一言もお喋りしてくれなかった。

 ただ、私の手を握りながらジッーと見詰めるだけ。

 彼に何もしてやれない凄く憤りを感じちゃう・・・、でもどうすればいいの?誰か答えてッ!そして、いつもの様に彼はいつの間にかいなくなってしまった。


*   *   *


 今日は詩織ちゃんがお見舞いに来てくれている。香澄ちゃんは一緒じゃないみたいね。

「ねえ、翠ちゃん、春香ちゃんと二人きりでお話させてもらえないかしら?」

「エッ?・・・・・・、ハイ」

 妹、翠は毎日、毎日私のお見舞いに来てくれているの・・・、学校大丈夫なの?

 彼女は詩織ちゃんのお願いを聞いたのかゆっくりと部屋を出て行ったみたい。

「ネェ、春香ちゃん、どうして目覚めてくれないの?私やみんな、貴女に酷い事をしてしまいましたか?それでイジケてしまったのですか?」

 詩織ちゃんは悲しそうな声でそう言いながら?

 彼女、涙を流している?彼女の涙初めて見た・・・、どうしてか私の胸を締め付ける。

 とても切ない。

〈どうして、詩織ちゃんそんな事を言うのよ!私はいつもそばに香澄ちゃんや詩織ちゃんがいるから元気いっぱい頑張れるんだよ。藤原君、八神君だっていつも私に優しく接してくれているのに、どうして、そんな事を聞くの?それに・・・、宏之君と私の縁組をしてくれたのは香澄ちゃんじゃない。どうして、私がイジケてるなんてと詩織ちゃんは思うの?私には全然、何の事だか分からないよ〉

「うっ、うぅぅぅぅ――――っ」

 詩織ちゃんは私の手を握りながら声を押し殺して泣き始めてしまった。

〈オッ、御願い詩織ちゃん、泣かないで、私まで泣きたくなっちゃうよ。だから、泣かないでよ、詩織ちゃん!〉

 だけど、私の声は届くはずもなく、胸を締め付けるばかりで彼女は一向に泣きやんでくれなかった。

 暫く経つと詩織ちゃんはいつの間にか涙を彼女のハンカチで拭っていた。

「ゴメンね、春香ちゃん、本当に悲しいのは貴女の筈なのに、私の方が泣いてしまって・・・、だからゴメンね・・・。お見舞い貴斗君とご一緒に参りたいのですけど・・・、また来ますから、それまでバイバイです」

 詩織ちゃんは藤原君の名前を呼んだときとても淋しそうな表情を浮かべていた。どうしてだろう?でも、私がその理由を知る事は出来ないの。


*   *   *


 今日は誰も私のお友達はお見舞いに来てはくれなかった。

 恋人宏之君も。でも、妹の翠は今日も会いに来てくれていた。

 翠は私の動けない体を綺麗に拭いてくれるの。

「おねぇちゃぁん、お体、綺麗キレイしましょうネェ」

 妹の可愛らしい独特のイントネーション。藤原君に私の声のイントネーションは変わっているって言われたけど・・・、その影響翠に染つしちゃったのは私なのかなぁ?ナハハッ。いつの間にか体を拭いていた翠の手が急に止まっていた。

「むうぅぅぅ~~~~、何で流動食のお姉ちゃんが私より胸お~きいのぉ。ダイエットする子はみんな大事な所から萎んじゃうよぉ~~~って嘆いてたのにぃ。どうしてお姉ちゃんの変わらないのぉ・・・・って言うか少し大きくなっているし?叩いてやれっ、ぺしっ、ぺしっ」

 ハッ?なにをやってるのよ、翠止めなさいったら・・・・・・、妹のそれに何の抵抗も出来ずなすがままだった。

 暫くして、翠の悪戯から解放され、彼女は私の体が固まらないようにストレッチをしてくれていた。

 妹はそれをしながら話しかけてくれていた。

「春香おねぇちゃん、私ね、推薦じゃなくて受験する事にしたんだぁ~~~。初めはネェ、スポーツで有名な桐華学院か常双学園にしようと思ったんだけどネェ。私もおネェちゃんと一緒のガッコーに行きたくなっちゃったぁ。だからね、私も聖陵受けるんだぁ~~~。勉強大変だけど心配しないでネェ、何たっていますごぉ~~~ク頼りになるセンセぇーが二人もいるんだもん・・・・・・」

「一人は貴斗さん。あの人ってなんとなく勉強とか嫌いそうで全然駄目っぽく見えちゃってたけど。私の勘違い、見たいネェ。だって、私の嫌いな数学とか理科を簡単に分かりやすく教えてくれるんだもん。もう一人は詩織センパァ~~~イ。詩織先輩は私の知っている詩織先輩でよかったぁ。何でもこなせちゃうからホント、凄いよねぇ。先輩の前では私の自慢のお姉ちゃんも流石に形無しって感じ・・・・」

〈・・・・モォ~、ホントに言いたい事いってくれる子ね、私の妹は。翠、詩織ちゃんと藤原君に頼るのはいいけど、迷惑、掛けちゃ駄目よ〉

 しかし、突然に妹の顔が曇ってしまうの。

「ゥウック、ヒクッ、ウワァアア~~~~~~ンっ。おネェちゃん、春香おねえちゃん、早く起きてよ、翠、淋しいよおねえちゃぁ~~~~ん。どうしてお姉ちゃんがこんな目に遭わなくちゃいけないのぉ~~~~!」

 妹は声を張り上げて泣いてしまっている。

〈翠、泣かないでお姉ちゃんはここにいるんだから、ネッ、泣かないでったら〉

 だけど、私の声は妹の翠には届かない、もどかしく感じる。でもどう仕様も出来ない。

 やがて翠は落ち着きを取り戻し私に『また来るネェ』と挨拶をしてこの空間から出て行ってしまった。


*   *   *


 また新しい月に変わっていた。でもそれを知るすべはないの。

 今日の来訪客は香澄ちゃん。まだ翠は来ていないのね。

 香澄ちゃん、彼女の顔色が悪いけど、どうしちゃったのかなぁ?とても心配だよぉ。

「ハハッ・・・・・・、本当に清々しい顔して眠っちゃって、さっさとめぇさまさんかぁ、この天然ボケ娘がっ!」

 彼女は私に酷い事を言ってくれた。

 だけど、香澄ちゃんの笑い声は宏之君と一緒でどうしてなのか乾いているように感じちゃった。彼女は暫く黙ったままだったの。

「ハハッ、早く、アンタが目覚めないとみんな・・・・・になっちゃうよ」

 みんながどうしたって言うの、香澄ちゃん?

「アンタが目を覚まさないと宏・が・・・・なっちゃう。あたしも・・・・なっちゃうよ。あたし、アナタから・・・を・・・ちゃうかもしれない。だから早く、ねえ早く目を覚まして、オネガイ早く春香、目を覚ましてッ!」

 そこまで言い切るとまた彼女の目から大粒の涙が流れ始めていたの。

〈かすみぃ・・・、ちゃん?〉

 気丈なはずの彼女が私の為にいつも泣いてくれている。

 気丈だと思っていたのは私の勘違い?

〈彼女を何であんなに悲しませてくれるの私ッ!オネガイ、お願いだから動いてよ、動いてってばぁ!〉

 だけど、体は一向に言う事を聞いてはくれなかったの。


*   *   *


 今日は一体いつだろう?今、この空間には宏之君と藤原君がいた。

 二人とも黙ったまま、何の会話もせずにずっと私を見ているの。

 ハッ、恥ずかしいからそんなに見詰めないでぇ・・・・・・・・・・・。

 二人ともどことなく覇気を感じられないのは気のせいなの?やがて宏之君の方から藤原君に話しをかけ始めたみたい。

「いつになったら春香は目覚めるんだ?」

「・・・・・、さあな」

 また、二人とも黙ってしまったみたい。だけど今度は貴斗君が何かを呟いたみたい。

「・・・・・・・・・・、白雪姫」

「はぁん?今何って言ったんだ?」

「お前が涼崎さんにキスをすれば目覚めるんじゃないのかと言った」

〈・・・・・・、ポッ、何を言っているのよ、藤原くん。恥ずかしいよぉ〉

「ハぁんッ?笑えない冗談だ」

「フッ、そうか・・・・」

「はぁ、そうだよ」

「なら俺がする」

〈・・・エッ?駄目、そんな事をしたら詩織ちゃんに恨まれちゃう〉

と闇の中で焦っていたけど、私のそんな思いも、現実の二人にはわかってもらえず、宏之君と藤原君は会話を続けちゃっていました。

「それこそ、笑えネェ冗談だ」

「冗談だ」

 若しかして、私と宏之君をからかっているの?

 藤原君はいつもと同じ淡々とした口調で宏之君にそう口にしていた。

 その後、彼は私と宏之君に背を向ける。

 少しの間、時間が停止していた。そして、それが再び動きだした時に・・・・、唇に恋人の彼の唇が重なっていた。・・・・ポッ。

「・・・・・・・・・、貴斗、駄目みたいだぜ」

 宏之君が藤原君のいる方向に振り返った時すでに彼の姿はそこになかった。どうして彼は宏之君にあんな事を言ったのかなぁ?


*   *   *


 今日で何回目だろう宏之君と藤原君が一緒に私の所にいるのは?

 二人は会うたびに会話の数を減少させて行き、到頭、全然そうしなくなった日々が続く。そして今日もまた二人は何も会話を交えてはいなかったの。

 二人の静寂を破るように一人の男性が姿を現した・・・、その人は。

「宏之君、貴斗君、いつも娘の見舞い有難う御座います」

 私のパパだった。パパお仕事忙しいはずなのに必ず週一回ママと交代で私のお見舞いに来てくれるの。

 有難うね、パパ、ママ。そのパパが宏之君と藤原君に話しをかけているみたい。

「君達、二人に少し話したい事があるのだがいいかね?」

 パパは躊躇いながら二人にそう言っていた。

 宏之君は私のそばから離れようとしなかったから藤原君が強引に彼の腕を掴んでいるみたい。

「分かった、行くから手を放せ!」

 宏之君・・・、彼の腕を払ってここから出て行ってしまうの。

 本当に三人は私を置いてここから行ってしまった。

 この日から宏之君と香澄ちゃんはお見舞いに来る事はなくなってしまった。

 どうしてなの?・・・・、でも、誰も教えてはくれないんだよね。


*   *   *


 独りこの空間に残されるの。

 大切な人達がいつも来てくれているのに、彼等、彼女らに感謝の気持ちを伝える事も、笑顔を作って上げる事も、優しく握ってくれる手を握り返す事さえ出来ずに時だけが過ぎて行くの。

 ここは何も見えない何も出来ない、そして誰にも声を届ける事を許されていない場所。

 とても暗く淋しい場所。

 まるで暗闇の檻の中。

 闇の監獄。

 私はそこに捕らわれている哀れな少女。

 どうして、私はここに囚われたままなのでしょうか?

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