蛍舞い上がり、零れ落ちる泪

佐武ろく

蛍舞い上がり、零れ落ちる泪1

 慣れても薄暗い視界。私の手を引く同じ様に小さな手。私は導かれるように獣道を走ってた。だけどすぐにその足は速度を落とし始める。徐々に走りから歩きに変わりさっきまで前に居たその子の隣で私は足を止めた。手は握り締めたままで。

 足が止まると胸の中では心臓が暴れるように脈打ち、それに合わせるように2つの荒れた息遣いが聞こえてきた。運動と気温の所為で額に滲む汗。お揃いで熱くなった手も少し汗ばんでる。

 だけど風鈴のように心地好い川のせせらぎが微かな涼しさをくれていた。でも今の私にとってそれら全てはオマケのような存在でしかない。

 私は眼前の光景に目と心を奪われていた。

 暗闇の中、お城で開かれた舞踏会のように舞い踊る儚く淡い緑色。辺りを照らすには頼りないけど、暗闇の中で輝き、視線を釘付けにするには十分な光。私にはその生い茂る夏草や水面の周りを舞う蛍たちがとても煌びやかに見えていた。まるですぐそこに煌々とした満天の星があるかのように。

 そんな蛍景色に見惚れていた私の息はいつの間にか落ち着きを取り戻し、隣のあの子の存在も握った手の温もりからしか確認できなかった。

 その最中、別に何かあったという訳じゃないけど、私は糸に引かれるように視線を蛍から隣へ。その子は口を半開きにして私のように目を輝かせながら蛍景色に見惚れていた。

 でも私にとってその横顔が蛍より輝いて見えたのはどうしてなんだろう。蛍景色よりも目が離せなくなったのはどうしてなんだろうか。


         * * * * *


 普段より少しばかり涼しい夏の夜。私達は久しぶりの地元の夏祭り後、打ち上げ花火を見てから懐かしの場所へ向かった。子どもの頃に何度か訪れた場所で、高校2年の頃に彼に告白された場所。

 そんな想い出の場所へ大学も卒業し社会人となってから初めて来ていた。何年振りかの浴衣を2人して着て、あの頃のように手を繋ぎながら。


「懐かしいね」

「うん。何にも変わってない」


 木漏れ日のように差込む月明りもこれ以上の侵入を阻むように生い茂った夏草も、それに囲まれ流れる小川も。全部が相変わらずで、あの日から時間が進んでないようにも感じる。

 それは彼らも同じだった。小川の傍で光り輝き暗闇を彩る緑色の小さな生命の光。飛び回っている子や夏草にじっと止まってる子。そんな蛍たちは打ち上げ花火のように派手なものではないけど線香花火のように美しく幻想的で、あの頃と同じように心奪われる景色を生み出していた。

 だけど何もかも変わらないこの場所で唯一、異質的に変わってしまった私達。それはどこかタイムスリップでもしてきたような気分にさせた。


「ここで君に告白したの覚えてる?」

「高2の夏でしょ。当たり前じゃん。今日と同じで祭り行って花火見てからここに来たよね」

「今日みたいに浴衣着てね。今でも緊張を思い出せるし、まるで昨日みたいだよ」

「じゃあ1日で随分と老けちゃったね私達」


 ふふっ、と鼻で笑う太一。


「そこは大人になったって言おうよ。それに老けたっていう程の歳でもないし。だってまだ25だよ?」

「そーだね。あーあ、私もついに大人になっちゃったかぁ」


 私はそう言いながら手を離し太一の方へ体を向け浴衣を見せるように両腕を広げて見せた。


「どう?」

「相変わらず可愛いし綺麗だよ」

「そーじゃなくて。大人っぽくなった?」

「ん-......」


 唸るような声を出しながら首を傾げ太一は1歩近づいた。そして両手が腰に回る。


「それはちょっと分かんないかも。でも昔から変わらず君は素敵だし――君のことは大好きだよ」

「えぇー。分かんないの?」


 わざとらしく不機嫌そうに言ってはみたが抑えきれなかった分が口元を緩ませた。


「ごめんって。ほら、それより今はこの懐かしくて綺麗な景色を楽しもうよ」


 太一は少し笑いながら私を蛍景色へ向かせた。


「話逸らされてる気もするけど、まぁいいや」


 私は彼の肩に寄りかかり腰に回ったままの片手が抱き締めるように少し強く体を引き寄せた。

 太一にとっては高校生の頃の告白した時が想い出深い日だったようだけど、この景色を眺めながら私は初めてこの場所に来た日を思い出していた。まだ幼く何も知らず気付いていない、心に咲いた1輪のカスミソウ。

 それからお互い何も話し出さないまま時間が過ぎていった。

 その最中、あの日を再現するように私は糸に引かれるように顔を隣へ。あの日より近い距離にあるあの日より成長した太一の顔は、あの日と変わらない表情を浮かべていた。

 その顔が蛍や花火より輝いて見えるのはどうしてなんだろう。花火や蛍よりその顔に見惚れてしまうのはどうしてなんだろう。一緒に居るだけで胸が高鳴るのはどうしてなんだろうか。

 それは私が心の底から大宮 太一という人を愛してるからなんだろう。そんな気持ちを改めるように感じた私は秘かに笑みを浮かべバレない内に視線を目の前の蛍景色へ戻した。

 それからしばらくの間、蛍景色を眺めていると隣から私の名前を呼ぶ太一の声が聞こえた。


「双葉」


 蛍火のように優しい声に私はゆっくり顔を向ける。交換するように交わる2つの視線。


「実は言いたいことがあるんだけど」

「え? 何?」


 急に真剣味を帯びどこか言い辛そうにも感じる声。いつもと違う感じに少し戸惑いながらも私は耳を傾けた。


「僕達って、家が隣で両親の仲が良いってこともあって昔から遊んだりしてたじゃん」

「そうだね。物心ついた頃には既に太一と一緒だったし」


 大宮家は太一の一人っ子で私の相ヶ瀬あいがせ家は私とお姉ちゃんの美香の二人姉妹。お姉ちゃんとは仲が良いけど私は同い年の太一とよく一緒に遊んでた。お姉ちゃんも小さかった時は3人で遊んでたっけ。


「それで小中高も大学も同じで、高校2年の時に僕が告白してそれからずっと一緒だけどさ......」

「うん」


 その時、頭には考えたくもない事が過った。まだ分からないけど立ち込めた不安が心臓を煽る。

 そんな心境のまま言葉の続きを待ってたけど中々、太一は口を開かなった。


「だけど、何?」


 我慢が出来なくなり急かすようにそう訊いてしまった。

 太一は私の問いかけを聞くと静かに深呼吸をひとつ。

 そして私の腰から手が離れ彼は1歩後ろに下がった。その開いた距離に私の不安は加速する。


「そろそろいいんじゃないかって思って」

「いいって......。どういう――」


 すると太一は私が言葉を言い終えるより先に目の前で片膝を着いた。同時に羽織のポケットから小さな箱を取り出した。


「僕と結婚してください」


 開いた箱の中で堂々と腰かけていたのは、夜空からひとつ貰った星のようなダイヤの指輪。その背後ではあの頃のように緊張した太一の顔が私の返事を待っている。

 だけど私は思わず口に手を当て言葉を失っていた。頭は真っ白になり昂った感情が泪となって溢れ出す。少しの間、訳が分からず先行した感情にされるがまま泪を流していたが、次第に頭が彩られていくと私の顔は喜色満面に溢れた。

 でも泪は止まらず矛盾のような表情のまま返事を返した。


「はぃ」


 そんな今にも泪に呑まれそうな声を聞いた太一の表情から緊張は消え安堵へと変わる。直後、あの時と同じ様に彼は「よしっ!」とガッツポーズをした。

 そして指輪を取り出すと私の左手を取り薬指へ填めてくれた。まだ信じられないまま薬指で輝く指輪を見つめる。その背後で太一はそんな私を見つめてた。

 視線を指輪から太一へ向け目が合うと腰に両腕が回り、私は彼の首へ両腕を回した。


「双葉、愛してる。これまでも、そしてこれからも」

「うん。私も」


 2人を繋ぐ糸が縮まり引き寄せられるように私達は顔を近づけ、一足先に誓いを交わす。言葉は無く重なり合う唇。足りない分を補うように強く抱き寄せ合う腕。言葉にならない強い想いを伝えるように私達は抱き合い口づけを交わした。何度も何度も。唇から伝わる彼の愛と温もり。幸せが私を満たしていった。


         * * * * *


 あれから何年経っただろう。いや、そこまで経ってない。

 あの日あの場所で婚約した後、同棲を始めてこれから結婚式の準備とか色々する予定だったのに......。


 突然、彼は病に倒れ――どんどん病状は悪くなっていき僅か1年足らずで帰らぬ人となった。

 幸せの真っ只中から一気に転落した私は泪が涸れても泣いて、泣いて......。心にぽっかりと穴が開いたような――それどころか心が抜き取られたような感覚に襲われ、私の目から光は消えた。分厚い暗雲に覆われ陽光すら差込まず蛍火すらない暗闇。それでいて鉛のように重い心を抱え私は欠けた日々を過ごしていた。


 あれから何年経っただろう。1年、2年、3年。彼がこの世を去ってから日付なんてどうでもよくなってそれすら分からない。ただ毎日を作業のように生きているだけ。

 友達の惺月しずく陽笑やえ、七海。太一の友達のいつき莉玖りくに家族のみんなが私を元気づけようと食事や遊びに連れて行ってくれた時はもちろんちゃんと楽しかった。

 だけどやっぱりどこか心の欠けた部分がチラつく。家に帰れば彼が恋しくなる。彼の好きだった本や映画を見てみたり、彼の好きだった音楽を聞いてみたり、薬指で光る指輪を眺めてみたり、寝る時たまに彼がよく着ていたシャツを抱きかかえたり。でもどうしても満たされない。

 そんなただ生きているだけの日々を送っていたある日、私は少しだけ整理をしようと入院してた時の彼の物が入っているバッグを開けた。特別何かが入ってる訳じゃないけど開けた瞬間、彼の匂いがした――気がした.。少し潤む瞳。

 でもそんな気持ちをグッと堪え物を出していった。色々と出していると1冊の本に手が止まる。

 それは彼が読み切れなかった最後の本。病室に行けば毎日読んでいた本だった。


「空を泳ぐ鯨」


 題名をぼそりと声に出しながら表紙を撫でる。読み終わった後にやる彼の癖だった。私は少しだけ表紙をぼーっと眺めると中を見てみようとパラパラ捲り始めようとした。

 だけど真ん中辺りに何かが挟まっているのに気が付き、真っ先に出来た隙間を開いてみる。

 そこには白い手紙が1枚挟まっていた。その手紙を取り出し本は鞄の中に戻した。

 白い封筒には彼の字で名前が書かれている。


『双葉へ』


 その手書きの字から感じる太一の存在に目頭が熱くなり始めた。

 そして焦るように封を切り中の手紙を取り出す。白い便箋に綴られた太一の文字。


『双葉へ


 これは念の為に書いておきます。願う事なら自分でこれを捨てる日がこればいいんだけど、多分無理かも。

 さて、知っての通り僕はあまり話をまとめたりするのが得意な方じゃないので言いたいことを簡潔に書いていきたいと思います。

 まずこれを読んでる時、多分、君はボロボロに泣いてると思う。もしくは時間が経ってまだ立ち直れないで酷く落ち込んでいるかもしれない。逆の立場だったら多分、僕もそうなってると思う。でもどうにかいつものよく笑う君に戻って欲しい。そう簡単じゃない事は分かるけど、やっぱり僕の事で君が悲嘆に暮れるのは想像するだけで辛いから。僕はもう君の隣で手を繋いで一緒に歩くことは出来ないけど、でも君は一緒に立ち止まらずに手を離して歩き続けて欲しい。振り返るなとは言わないけど振り返る時は楽しそうに笑ってて欲しいな。

 次に僕はもう君と結婚生活を送ることが出来ない訳だけど、君をいつまでも縛る存在にはなりたくない。その指輪はそういう意味で渡したんじゃないからこれを読み終えたたら捨てるなり売るなりケースに仕舞っておくなり、とりあえず外してね。それからこれまで何度も言ってきたけど君はとても、とても素敵な女性です。夫や恋人という立場を抜いてもね。だからきっと良い人が見つかると思う。僕の事を忘れろとは言わないけど、これからは単なる思い出の中の人として君の人生の脇役として心の隅に仕舞っておいてね。君は僕抜きでちゃんと幸せになって。絶対に。

 そして最後にひとつ。君が人生を全うしてこっちに来た時にはどんな人生だったのかを是非聞かせて欲しい。ちょっとぐらい嫉妬するかもしれないけど新しい旦那さんも紹介してよ。まずは君を幸せにしてくれた事のお礼を言いたいから。でもたまには2人でデートでもしたいかな。もちろんその人がいいって言ったらだけど。

 とにかく僕が願うのはたった1つだけ。君が僕と過ごした日々と同じように楽しそうに笑えること。そんな日々を過ごせること。それだけ。

 小さい頃から今まで長いようで短かったけど、沢山の想い出をありがとう。これからの最高を味わえないのは残念だけどこれまでだけでも十分過ぎる程にいい人生だった。これも全部双葉のおかげだよ。

 これで最後になるけど僕は最後の瞬間まで君を愛してるから。じゃあね』


 振り始めた雨のように手紙に落ちる泪。止めることすら諦める程に頬を流れては滴る。

 私は下の方にある続きを読もうとしたが視界はぼやけよく見えない。でも読みたい気持ちは強くて雑に目を拭い無理矢理にでも晴らした。


『p.s.

 本当はいつまでも君の傍で君を見守ってるなんて言いたいけど、他の人が君の隣を歩けるように君が僕を意識しないように僕は離れようと思う。だから最後にお別れをしよう。僕らが恋人になって夫婦になったあの想い出の場所で。でもいつでもいいよなんて言ったら君は中々、行かないかもしれないから期限を決めます。この手紙を読んだ次の夏。もし今が夏なら明日にでも、いや今すぐにでも向かうこと。僕はそこで君を待ってるから。もし来てくれなかったら僕は1人で行っちゃうからね。それとどうせ君は指輪をしたままにすると思うからそこでお別れしたらちゃんと外すんだよ。これは僕と君の最後の約束だからね。じゃあ待ってる』


 想い出の場所。その文字を読んだ瞬間、私の頭にはあの場所が思い浮かんでいた。

 流石に日付の感覚がないとしても今がその夏だと言う事は分かる。一応スマホでカレンダーを確認してみると8月で丁度、私達があの場所を訪れた頃だった。

 でも体は動き出さない。正直、別れると分っていて行きたいとは思わなかった。それにすぐに行かなくともバレないだろうとも。

 だけど手に持った手紙から視線を感じる。まるで太一が何か言いたげに見ているように。


「......ヤダよ。ずっと一緒にいたいもん」


 私は涙声で手紙を見ながら1人呟く。鼻を啜り泣く声だけが響く部屋で私はしばらくの間、ただ手紙を見つめていた。太一の顔を見るように。

 本当はあまり気乗りしないけど......。

 だけど私は突き動かされるように立ち上がり準備をすると何の迷いも無く家を出た。


         * * * * *

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