第22話 いつか・・・思い出に変わる迄 2
「昔みたいに、脇坂って呼んだ方が良いのかな?」
「一々そんなこと確認すること?」
そう言って由紀は笑う。
「そうだよな、そこがもう既に可笑しいな」
僕も一緒になって笑い出す。
月明りに照らされた夜の海岸。
レンタカーをビーチラインの路肩に停め、由紀と僕は砂の上を波打ち際に向かってゆっくりと歩く。
初夏にしてはやけに暑かった昼間の陽射しが嘘のように、海の表面を滑る様に吹き寄せる風が、何とも涼しくて心地好い。
今日は初めから決心を固めていた。
そして、そのことは由紀には丸分かりだったと思う、多分。何しろ僕は隠し事が苦手だ。それは約四半世紀も生きて来たら、自分でも理解できる。
「あ、あのさ、俺、明日、東京帰る・・・」
「うん、さっき聞いた」
月明りしかない波打ち際で、相手の表情はお互いに確認することは出来ない。それで良い、寧ろその方が良かった。どう考えても由紀の目を見て話すことなんて出来そうにない。
「それでさ、相談なんだけど・・・いや、相談は違うな・・・お願い?違うな・・・依頼?一緒か・・・ははは・・・」
僕は決心していた筈なのに、それ以上言葉が出ずに自嘲気味に笑うしかない。表情は見えなくても、由紀が笑っていないことは分かる。
一度仕切り直しだ。
「そういえばさ、話、全然変わるけど、煙草、止めたんだね」
「あ、ええ。止めれたよ」
「凄いね」
「うん、そう。自分でも分かったことがあるの。前にさぁ、私、貴方に、人は知らず知らずのうちに変わっちゃうんだよって、何だか偉そうな風に言ったことあるじゃない?覚えてる?」
「ああ、それはもう、ハッキリと」
「ごめんね、あの時、気分悪くしなかった?でもね、そのあと気付いたの。知らずに変わることもあるけど、自分で変わることも出来るんだって。そしたら、煙草、止められちゃった。元々好きじゃなかったっていうのもあるのかもしれないけど・・・」
「いや、別に気ぃ悪くなんかしてないよ。もしそうなら、今ここに居ないし・・・」
由紀が良い会話の流れに引き戻してくれた。由紀がどんなつもりでそのことを言ったかは定かではないが・・・。
咳払いをして、もう一度気を確かに持って、再度挑戦。
「あのさ、一度、東京に、来ないか・・・俺のところに・・・」
「い・・・よ。ずっと・・・だよ」
いきなり打ち寄せる波の音が大きくなり、由紀の言葉をかき消す。
「え?今、何て言った?」
訊き返す僕の方に振り返り、咎める様に「二度言わせないで。ほんっと、植下君はタイミングが悪いっていうか、何ていうか・・・」、そう言った彼女の言葉は、その口調とは裏腹に何処か嬉しそうに聞こえる。
「俺のせいか?」
本当はちゃんと聞こえていたんだ。『行ってもいいよ。ずっと、待っていたんだよ』って。
僕は由紀の腕を掴んで引き寄せ、腕の中に抱きかかえる。
由紀と僕の瞳の距離、三十センチ。優しい笑顔の由紀だった。
「キス・・・しても・・・良いかな?」
「一々そんなこと確認すること?」
由紀に見詰め返され、思わず目を逸らしそうになる僕のことを、彼女は僕より余程よく理解しているかの様に、自らそっと目を閉じた。
その年の夏の終わり、由紀は約束通り、東京の僕のマンションに一週間遊びにやって来た。
僕はそれに合わせて遅めの夏季休暇を取り、三日間を伊豆の温泉で、残りを自宅で由紀と過ごした。
年が明けて、正月休みで再び帰郷していた僕は、由紀の実家を訪れて、心臓が止まるほどの恐怖を感じながら、由紀の父親と対面し、「娘さんを僕にください」と頭を下げていた。
由紀も僕の隣で緊張しっぱなしの様子だったのは、自分の父親が口をへの字に曲げていたからか、それとも僕が何か仕出かすんじゃないかと恐れていたからなのか、それは分からない。
それでも僕は殴られることも無く、無事、父親の許しを貰って、その日のうちに、今度は由紀を自分の実家に連れて行った。
それから半年、初夏にこじんまりと式を挙げ、入籍して、東京での新婚生活が始まった。
僕は言う。
「ずっと、君のことは見知っていたのに、本当は何も知らなかったし、今もまだきっと知らないんだと思う」
「私も同じ。ずっと貴方に遠ざけられてるんじゃないかって、思ってた。こっちから話し掛けたりしたら、嫌われるんじゃないかって」
「絶対にそんなことは無かった筈だけど・・・。でも、嫌いとかじゃなくて、気恥ずかしくて、変に余所余所しくはしたかもしれないな・・・」
「うん、分かる。あの頃の貴方なら、そうしそう」
可笑しそうに笑う由紀。
「じゃ、結果、これで良かった、ってこと?」
「そうかもしれないわね」
「ま、お見合い結婚だって、最初はお互い何も知らないとこから始まるしね。うちの両親はそれで上手くやってるし」
「うん。でも、一つ違うのは、お見合いは『この人で良い』から始まるでしょ?大概。でも、私は『この人が良い』って、ずっと思っていたよ、子どもの頃から。いえ、『この人なんだろうな』の方が正確かな、何の根拠もなく、だけど」
「それ、気が合うな。俺も勝手にそんな風に思ってた。それで、高校生の時、衝撃を受けた。よくよく考えてみると、由紀のこと、何にも知らないことに」
クスクス笑いをしながら二人、ベッドでシーツにくるまってカミングアウト大会の様相を呈していたが、その先に行きつく話が何であるかは、お互いに薄々感じ取っていたと思う。
僕は確実に、いつかは話さなければいけないことだと思っていたし、由紀だってそう思っていたに違いない。
「あのさ、水上明美の話だけど、話していいかな?」
由紀は少し考えてから、「良いよ」と、真顔になって答える。
「話したいんでしょ?私も聞きたかった」
僕は明美との五歳児の頃の出会いの話から、思い出せる全てを正直に話した。
そして話しながら思う。多分、僕は随分と忘れている。でもそれで構わない、と。
「嫉妬しちゃうな、明美さんに」
「違うよ、嫉妬していたのは俺の方さ。俺は由紀に近付けなくて、由紀を取り囲んでいた連中に嫉妬してた。今思うと笑っちゃうくらいに」
「ほんとに?そんな風に想われてたって、ちょっと嬉しいかも。言ってくれれば良かったのに。無理か・・・あの頃の貴方じゃ」
「そうだよ、無理だよ、あんな斜に構えたお馬鹿さんな俺じゃ。それにさっき言ったばっかりじゃん、これで良かったって」
「うん、そうよね。でもね、私は明美さんに今も嫉妬してるの。多分これからもそれは変わらないと思う。でも、それで良いの、それも含めて貴方のことを・・・もうっ、何言わせるのよ、恥ずかしいじゃないっ」
「なに?君が勝手に・・・。でも、ありがとう」
そう言いながら、僕は分かったことがある。恋と愛が別のものだということ。
僕は由紀を抱き寄せて、その額にキスをした。
そしてシーツの中で、由紀の乳首に悪戯をするようにそれを指で摘む。
「あン」
「・・・愛してる・・・」
僕は生まれて初めてその言葉を口にし、唇にキスをして、由紀を深く、深く抱いた。
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