第19話 キラキラと・・・昇華して往く、悲しみ 2

 由紀が徐に自分のポーチから煙草を取り出し、慣れた手つきでそれに火を点ける。

 僕がぼんやりとその様子を眺めていると、由紀は慌てて火を点けたばかりの煙草を灰皿に押し付けた。

「ごめんなさい。煙草、嫌い?」

 煙草を吸う姿を僕に見咎められたと思ったのか、申し訳なさそうにそう言う由紀に、言われてみれば由紀に対して煙草を吸っているイメージは今まで一度も持ったことがないと思った。

「別に、大丈夫だよ。俺も吸うし」

 そう答えると、由紀は何故だか少し寂しそうに笑って、「そう」と言って、もう一本煙草を取り出して、今し方と同じように火を点けた。

「本当は、嫌いでしょ?煙草吸う女なんて・・・」

 なんだ、そういう意味か。

 僕は何だか忘れていたことを思い出したような気がした。

「人って変わっちゃうんだよね・・・自分では気付かないんだけど、変わっちゃうんだよ。知ってた?」

 由紀が何を言おうとしているのか分からなかったが、少なくとも僕の答えを待っているのは解かる。

「なに?それって、俺に言ってる?」

 由紀は首を横に振る。

「ううん、自分に言ってる。でも少しだけ、植下君にも」

 ふと、「さゆうくんは、変わらないね」と言った明美の言葉を思い出した。

「変わるのか・・・自分では気付かないうちに・・・。君は変わったの?」

「そう、変わるの・・・自分が望む望まないは別にして・・・。煙草なんか吸う女になっちゃった。ごめんね」

 謝られるようなことでもないのだけど、と思いながら、僕は「いや、全然」と答える。

「ほら、植下君も・・・変わっちゃった、よ」

 由紀はそう言って、また寂しそうに笑ったように見えたが、直ぐにその表情を隠すように僕に向かって「そのボトル、私にも水割り作って貰って良いかしら」と訊ねる。

「あ、気付かなくて悪かったね。すみません、グラス一つください」

 僕はお店の人に声を掛け、グラスを貰ってジム・ビームで水割りを作って由紀に渡す。

 由紀はほんのちょっぴりそのグラスに口を付けると、唐突に話を切り替えてきた。

「それはそうとして、覚えてる?小学六年生の時、私、植下君から何て呼ばれてたか?って言うか、植下君が私のこと何て呼んでたか?」

 今度はさも可笑しそうに笑いながら、またちょっぴりグラスを傾けて、悪戯っぽい目で僕に答えを促す。

「さぁ、何て呼んでたかって?え?『脇坂さん』、でも『由紀ちゃん』、でもないってことだよね?」

 僕は本気で思い出せなかった。何しろ当時、由紀と一緒に居るだけで舞い上がっていた僕は、由紀と会話したことすら覚えていない。

 おや、なのに今はそんなに動揺もせずに由紀と並んで座っている。不思議な気分だ。

 そんなことより、だ・・・。

 何かとんでもないあだ名か何かで呼んでいたのだろうか。小学生にありがちな、好きな女の子には意地悪をするような、そんな風なことなのか?

 いやいや、断じてそんなことは無い筈だ。誓ってそんなことはしていない、筈なんだけどな・・・。

「え?覚えてない?私は初め、結構ショックでだったんだよ。植下君にそんな風に呼ばれたくなかったんだけどなぁ」

「え?俺、そんな失礼な呼び方してた?ごめん、覚えてないけど、今謝る。怒ってたなら、ほんと、ごめんなさい」

 由紀がクスクス笑いながら「違う違う」と言い、「失礼とかじゃないの」と付け足した。

「植下君ね、私のこと『学級副委員長』って呼んでたの。本当に覚えてないんだ?」

「あ、うん。忘れてた。ってか、今言われて、そうだったかもしれないって、思い出した」

 ああ、確かにこれは好きな子に対しての愛情の裏返し行為と同じだ。そんなことを思い出させて貰って、僕は恥ずかしいことこの上ない。そして笑うしかない。

「でも何であんな呼び方したの?確かに植下君が委員長で、私が副委員長だったけど、その前までは普通に『脇坂』って、呼び捨てだったよ。ねぇ、なんで?」

 僕は少し考えてみた。そして敢てぶっきらぼうに答えた。

「分かんねぇよ、俺だって、そんなこと」

「あ、元に戻った・・・」

 由紀が小さく呟くようにそう言ったように聞こえた。

「え?」

「ううん、何でもない」

 由紀は恍けて、笑って誤魔化そうとする。

 本当は分かっているのさ、僕だって、分かっているんだ。ずっと、ずっと君のことが好きだったことを思い出したよ。

 そうか、知らず知らずに僕も変わっていたんだな、そういうことか・・・。

 そして、由紀は言うのだ、予想通りだ。

「あの頃からだよ、植下君が何だか遠くに感じるようになったのは・・・」

 どこか遠くを見詰めるような仕草をしながら、由紀はまたちょっぴりグラスに口を付けると、「今日は話せて良かったわ」

 そう言って席を立った。

 ボックス席の連れ達の処に戻ろうとする由紀の背中に、僕は思わず声を掛ける。

「また、今度、会って貰えるかな?ダメかな?」

 由紀は立ち止まり、振り返り答える。

「・・・うん・・・今は、ダメかも」

 その表情は暗くてよく見えなかった。

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