第17話 たとえそれが・・・だったとしても・・・ 3

 居酒屋を出て、四人が二組に分かれる。

 雅也と智子、明美と僕。

 三月初旬の深夜の空気は、酔いを醒ますのにはお釣りがくるほど冷たい。

「じゃあね、また連絡するよ。どーせ合格発表まで暇だろ?」

「あ、ああ、けど、俺、明後日からバイト。夜は暇だけど」

「え?そうなの?用意周到だな、左右。なんだぁ、それじゃ明美ちゃん寂しいじゃん」

 明美も冷たい夜風に晒されて酔いが醒めたのか、先ほどまであんなにはしゃいでいた彼女が控えめにはにかむ様子もまた、可愛い、と思ってしまう。

「なぁに?、明美も植下君も、何かいい感じで目がハートになってるじゃない。あたしたち、退散しまーす。ね、雅也君、行こ。二人は放っておきましょ」

 決して悪意はない物言いではあるのだけれど、智子の言葉に、何だか見透かされている様で、気恥ずかしさを覚えて我に返る。

「そだね、俺達こっちだから、行くわ」

 雅也はそう言うと、智子を促して僕等と反対方向に歩き出した。後に付いて二、三歩歩み出した智子が不意に振り向いて、明美に向かってなのか、僕に向かってなのか、それとも二人になのか、「変な気、起こさないでね、別にいいけど、じゃあね」と捨て台詞のように言って笑った。

「アホか」

 そう言い返した僕だったが、明美と顔を見合わせて、何だか変な雰囲気になった。明美も少し極まりが悪いのか、一瞬合った目を直ぐに逸らす。

「さ、俺達も帰ろ、帰ろう。送っていくよ」

「あ、ええ、うん」

 歩き出した二人だが、先ほど迄のあんなに面白可笑しく話していた会話の続きなど、何一つ思い出せない。

 暫く無言で二人並んで歩く。時間がやけに永く感じた。

 静まり返った街のアーケードを抜ける頃、ふと気付く。そう言えば、明後日からのアルバイトの話を何もしていなかった。明美の明日以降の予定も聞いていない。

 明美は地元の国立大学の入学が既に決まっていることは知っていたが、これから一か月、何をして過ごす予定なのか、そのことについては全く知らない。

 勝手に明日以降は明美と過ごす時間を予定している僕が居る。そして更に思い出す。そういえば北沢と「別れた」とは聞いていたのだけれど、実際にはどういうやり取りがあったのか、触れてはいけない気がして、敢て聞くこともしていないことを。

 多分、会話の最初の喋り出しが「き」だっただけで、僕、そして明美にも緊張が走ったと思う。だから、聞きたくても聞けないし、僕が北沢と最後にどういう会話をしたかを話すことも憚られた。それでもそこはハッキリさせたいし、しなければならない気がする。

 そういった事が頭の中を行き来するので、話の切っ掛けすら見つけ出せなくなっていく。

 僕の隣を並んで歩く明美も、今は黙ったままだ。そして、

「あのさ」

「あのね」

 息を合わせたように同時に向き合った二人が、同じ言葉を発して、お互いにその先の台詞が出てこない。明美のことは分からないが、僕の方は、本当は何を言おうとしているのか、自分でもよく分かっていない。

「あ、いや、俺の方はどうでも良いんだ。先にいいよ」

「ううん、さゆうくんから、どうぞ」

 ちょうど街灯と街灯の中間地点辺りで、お互いの表情がよく見えない二人は、譲り合ったのは良いのだけれど、相手の間合いを読むことが出来ない。一呼吸置いて、

「北沢の、」

「北沢君と、」

 またやってしまった。こんな時は得てして起こりそうにないことが起こる。

 普通なら二度も同時に、しかも同じ言葉が重なると、お互い目を合わせて吹き出してしまうほど可笑しいのだろうが、「北沢」の名前をお互いに耳にして、笑うに笑えない空気が漂ってしまう。

 今度は僕が先に、それでも慎重に切り出した。

「あのさ、北沢のことだけど・・・」

 明美の反応を探るように言葉を切る僕に、明美は「うん」とだけ小さく頷いて僕を見詰め返す。

「何か聞いてる?本人からとか雅也からとか・・・」

「ううん、別れ話した日からは何も・・・」

「そっか、別れ話はちゃんとしたんだ・・・」

「うん」

 そこでまた会話は途切れてしまう。

「行こう」

 そう言って再び歩き出した二人は、やはり先ほどと同様に無言のまま並んで歩くのだが、

 僕の胸の内のモヤモヤ感は増すばかりだった。

 僕から話し出すのを明美は待っているのだろうか、それとも触れられたくなくて黙っているのか、ハッキリさせるのが正解なのか、聞かないことも正解の内か、いや、明美は聞いて欲しいと思っているかも知れない、そう言えばさっきは明美も北沢のことを自分から話そうとしていたし・・・。

 不意に右のコートの袖を引っ張られて立ち止まる。

「ん?どうしたの?」

 僕を見詰める明美の瞳は涙ぐんでいるようにも見えるし、ただ単にお酒を飲んで充血しているだけかもしれない。でも分かることは、いつものような笑顔ではないこと。

 僕は僕のコートの袖を握った明美のその腕を掴み返して、ピンクと紫のネオンサインの前を離れた。

 僕の意気地がないだけの話でもあったり、明美のことを大事に思う気持ちであったり、自分の思い描く未来予想図との齟齬そごかもしれないし、明美の行動に対するショックかもしれないし、明美の自分が壊れそうになるくらいの決心を、僕が理解しなかっただけなのかもしれなければ、それ以外の何かがそうさせたのかもしれない。

 一歩踏み出す、そういう表現が相応しいのかどうかは分からないのだけれど、僕にはそれが出来なかったという事実。

 『そうなってしまう』ことが裏切り行為のような気もしていた。

 誰に対して?

 自分?明美?雅也?・・・北沢?・・・それともまさか由紀・・・?

 僕は明美の腕を引いて、ホテルの建物の角で客待ちをしているタクシーに近付いた。

 運転手もこちらに気付き、乗降用のドアが開く。

 明美を後部座席に乗り込ませて、僕はそのまま歩道に留まった。

「ごめん・・・」

 そうは言ったものの、その「ごめん」が何に対しての「ごめん」なのかは、僕自身が理解していなかった。果たして明美はどう受け取っただろうか。

「並木町方面に」

 僕は車外から運転手に行き先を告げた。僕が乗り込まないのを確認して、運転手は静かにドアを閉める。

 ドアが閉まる瞬間、明美が僕に向かって口を開こうとしたように見えたが、僕はそのドアに手を伸ばすことが出来なかった。そして静かに走り出し、次第に小さくなっていくテールランプを、僕はぼんやりと見詰めながら、その場に立ち尽くすしかなかった。

 これで良かったと自分に言い聞かせようとしても、そう簡単には割り切れないことも分かっている。

 何が正解か、そんなことは今は分からない。

 唯言えることは、死ぬほど後悔しようが望まぬ結果になろうが、時間は前にしか進まないし、粉々に砕けたグラスは元の形には戻らないということ。

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