第16話 たとえそれが・・・だったとしても・・・ 2

 三月四日、卒業式。

 僕は二次試験の日程上、式は欠席した。

 その日の夕刻、空港に戻った僕を迎えに来てくれたのは、雅也と明美だった。

「お疲れさん。試験どうだった?」

「まぁ、問題無い。多分な」

「さすが左右。余裕だね。それじゃ、早速、卒業祝いに飲みに行きますか、居酒屋、テーブル予約しておいた」

「いいねぇ。あ、でも俺、卒業した実感ねぇなぁ。卒業証書貰ってないし」

 それまで雅也と僕のやり取りを雅也の後ろで伺っていた明美が、ニッコリ笑って「あるわよ」と言いながら、黒い筒を僕に手渡す。

「卒業おめでとう。それと試験、おつかれさま、さゆうくん」

「おお、サンキュー。明日、学校に取りに行かなきゃなんないかと思って、少しだるかったんだ。すっげー助かる」

「そう言うと思った。でも先生、さゆうくんに会いたがってたよ。必ず挨拶に来なさいって、言ってた」

「誰が行くかよ。卒業証書もあるのに行くわけないじゃん」

 そううそぶく僕に、雅也がニヤつきながら即座に否定する。

「行くよ、左右は。絶対。そういう奴だよ。俺は知ってんだ、君は良い奴だ」

「私もそう思う」

 この二人にそんな風に断言されては、僕は立つ瀬がない。しかし、悪い気もしないというのも確かだ。

 何なのだろう、ここ暫く、僕は随分と気持ちが楽になっている。簡単に言えば「楽」と言う言葉にはなるのだが、心が「自由」とか「曇りなく」と言い換えて良いかもしれない。

 その理由は色々なことが重なった結果なのか、それともただ一点の理由なのか、それを判断するのは難しい。抑々(そもそも)そんな理由を考えることすら、今は必要もないし求めてもいない。

 今はただ、この解き放たれた感覚が心地よく、そのままに時を過ごすことを望んでいただけなのだと思う。


 僕は生まれて初めて、酔っぱらった。

 いや、初めてお酒に酔うという感覚がこういうものなのだと実感した、と言う方が正確なのだろう。

 自分で言うのも可笑しな話なのだが、僕はよく喋るし、その話を聞いてくれる雅也と明美、それに途中で呼び出されて加わった智子が如何にも面白そうに笑ってくれる様子を俯瞰すると、僕はいつからこんな奴になったんだっけ、ひょっとして元々はこんな奴だったのかと不思議な感覚になる。

 智子が言う。

「植下君って、こんな人だったっけ?」

 僕が答える前に雅也が口を挟む。

「そうだよ、左右はこんな人だった訳よ。俺は知ってたけど」

「私も知ってた。ダメだよ、智ちゃん、さゆうくんは私のものだよ」

 どうやら明美もかなりの勢いでお酒にやられている様子だ。

 笑いながらではあるが、冗談とも思えない明美のその言いぐさに、僕も調子に乗って「だよねぇ。俺、あーちゃんのものぉ」と、馬鹿丸出しではしゃぎ倒す。

 お酒は気狂い水だ。

 そう言えば、ここまで誰も北沢のことについて触れない。そして、そう思ったところで、やっぱりなと言うか、そうだよな、キャラクター的にはこの子の役回りになるよね、という当然と言えば当然の台詞を、智子が何の躊躇ためらいもなく叩き込んでくる。

「そう言えば、北沢君って今日はどうしたの?卒業式にも来てなかったし・・・。ひょっとしてまだ二次試験残ってたのかな?いいの?明美、家に居なくちゃじゃないの?電話とか掛かって来るかもよ」

 一瞬その場の空気が凍りつく。

「あれ?何かおかしなこと言った?」

 智子が慌ててその変な空気を取り繕おうとした。

 僕は思う。北沢も卒業式に参加してないってどういうことだ?僕はその話の先を聞いてみたい。

 智子の言葉で酔いが醒めたのか、雅也が自らを落ち着けようとしている風な咳払いをしてから「それなんだけど」、そう言いながら僕等三人を見渡した。

「キーちゃん、三日前にインフルエンザに罹って、後期日程の試験は行ってないんだってさ。多分今もまだ部屋で寝てると思うよ。気の毒だけど、どうでも良い話でもあるな」

 智子が不思議そうな顔をしている。何と言って良いのか分からないらしく、表情は「?」マークで一杯だ。

「そっか、ごめんごめん、智子ちゃんには話してなかったけど、キーちゃんと明美ちゃんって、もう関係無いんだよ。端的にいうと『別れた』ってこと。あ、それと、何で俺がそんな事を明美ちゃんの親友の智子ちゃんを差置いて知ってるかって言うと、実は俺達、そう、俺と明美ちゃん、従姉弟なんだ」

 そこまで話して言葉を切った雅也を、キョトンとした眼差しで眺めるように見ていた智子が、「?」マークが先ほどの半分くらいになった顔を明美に向ける。

「どういうこと?」

 少し困ったように眉間に皺を寄せる表情をした明美が「ごめんね、智ちゃん、何も言ってなくて・・・」と智子に告げると、智子は「え、マジで?ほんとに?」と絶句した。

「智ちゃん、ほんと、ごめん。何か色々タイミング外しちゃって・・・別に隠すことでもなかったんだけど・・・」

 本気で済まなそうに謝る明美に、智子は「そんなのぜんぜん、全然大丈夫」と頭を振った。

「にしても、ビックリしたぁ。別れ話も驚いたけど、あんたたちが従姉弟同士っていうのには、もっと驚いたわよ・・・」

「なんだ、そっちかーいっ」

 雅也が楽しそうにツッコんだ。

「それで、今日はこのメンバーか・・・あっ・・・」

 智子はそう言って口をつぐんで一瞬うつむくと、その後チラッと明美に視線を送る。

 明美はそれにニコリと笑顔で答える。

 それを確認した智子は「ええ~、ほんとにぃ?」と僕には意味の分からない言葉を発した。しかしその智子の反応は、今から何かが起こることを僕に予感させたし、そして明美が何故だか雅也に目で合図をするのを、僕は見逃さなかった。

「智子ちゃん?」

 雅也が如何にも改まった調子で、まだ俯いている智子に優しく話し掛ける。

「え?」

 驚いた風に智子が顔を上げて、雅也に視線を向け、それから今度は明美に視線を移す。

「ちょっと待って、なに、何?」

 明らかに動揺している智子の上ずった声に、僕も釣られて雅也と明美を見比べた。明美は僕の視線に気付き笑顔を返してきたが、雅也の真剣な眼差しは完全に智子だけを捉えていて、こちらに向けられることは無かった。

「智子ちゃん」

 再び雅也が智子の名前を呼ぶ。

「は、はい」

 慌てて返事をする智子の様子を見て、僕は智子の想いを何となく察した。

 雅也も必死に笑顔を作ろうとしてはいるのだろうが、真剣さが邪魔をしてちょっと怖い。

「俺、今、酔ってるけど、酔ってないから。でも酔っぱらってないと、こんなこと言えないかもしれないから・・・」

 やっぱり酔っているのか?言ってることが無茶苦茶だな、面白いけど。

「俺、智子ちゃんのことが好きです。俺と付き合ってください」

 下を向いて右手を差し出す雅也に、智子は驚いて「え、なに、何?」と言いながら確り両手でその手を握り返していた。

 本当に何なんだ、これは茶番なのか?愉快な展開に僕はニヤニヤしてしまう。

 ほんの数週間前の僕だったら、こんな他人の色恋沙汰に関わるのなんか御免被るとばかりに避けて通っただろう。それが今はどうだ、青春映画の一幕に自分自身が飛び込んでしまったように、どっぷりと嵌(はま)り込んでいるじゃないか。

 面白いから良いのだけれど。

「え、え?どういうこと?あたしが思ってたのと違うんだけど・・・。断れるわけないじゃない。ねぇ、明美、どういうこと?」

 智子は雅也の手を握り締めたまま、まだ困惑が収まらない。

 明美はクスクス笑いながら、「よかったね、智ちゃん。おめでとう」と言って、今度は僕の方を向いて「ねぇ」と同意を求めた。

 僕も「あ、うん。そうだね」と答えてから雅也を見やると、雅也は左手の親指を立てて『GOO』サインを出す。

「おいおい、智子ちゃん泣かないでよ」

 雅也の声に気付かされて、僕も智子に目を遣ると、智子は笑っているのか泣いているのか、或る意味先ほどの雅也の表情以上に怖いものがある。可愛らしくはあるのだが。

「だって、だって・・・」

 智子がこれほどまでに困惑、混乱が尋常でないのか、初めは僕も理解出来なかった。しかしそれも明美のネタ晴らしで、ああ成程そういうことかと、合点(がてん)がいった。

 明美は自分のバッグからハンカチを取り出して、智子にそれを手渡しながら言う。

「ほんと、ごめんね、智ちゃん。驚かす心算とかじゃなくて、ほんとに今日雅也君から聞いたんだよ。今日、さゆうくん迎えに行って、その後智ちゃんも呼んでって。告白するから、って。私もびっくりしちゃって、あ、二人は両想いだったんだぁ、良いなぁ、っても思ったよ。智ちゃんが雅也君のこと好きだって知ってたじゃない、私。だから、良いなぁって。

 あ、でも、雅也君に智ちゃんの気持ちとか話してないよ。私も急にカミングアウトされちゃって、何て言って良いか分からなくって・・・」

「え?どういうこと?」

 今度は雅也が智美と同じ声を上げる。しかも智美以上に素っ頓狂に。

「ってことは、なに?智子ちゃんと俺は両想いで、俺たち二人はそれを知らずに、明美ちゃんだけは知っていて、明美ちゃんはそれをニヤニヤ観察してたってこと?」

「ごめん、でも、この五時間くらいよ。それにニヤニヤじゃなくて、ハラハラ?ん、違うかも、キュンキュン?かな?」

 やっと涙の止まった智子も、笑顔を向けて明美に抗議の声を上げる。

「ひっどーい、明美ぃ。あたし、てっきり明美に焚き付けられてる感じでドキドキしてたんだよ。今日いきなり『はい、告白しなさい』ってシチュエーション用意されちゃったと思って・・・」

「ひっどーい」

 雅也が智子の口真似のように言う。

「俺も、左右も居るし、フラれたらかっこ悪いな、どうしようって、思ってたのに。あーあ、緊張して損した。趣味悪いよ、明美ちゃん」

 そうは言うものの、雅也は絶好調に楽しそうだ。そしてそれまで黙ってこのやり取りを見ていた僕に振る。

「なぁ、大丈夫か?左右。明美ちゃんはそーとー性質たち悪いぞ」

 急に話を降られた僕は、チラッと明美の表情を伺った。それに気付いた明美も、ワザとらしく頬を膨らまして、可愛らしく怒った表情を作って見せる。一瞬、可愛い、と、本気で思った。

「ひっどーい」

 僕も智子と雅也の口真似をしてみた。

 テーブルが静まり返った。

 ヤバイ、スベッタ。

 雅也がおもむろに僕の額に手を当てる。

「左右、君はそんなキャラクターだったっけ?」

 皆がクスクス笑い出す。僕も笑い出す。

 お酒は気狂い水である。

 でも楽しい。

 今はそれで良いし、それが、良い。

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