第14話 突き付けられる 4

 明美に言わせると僕は、昔からちっとも変っていないらしいのだけれど、僕が思うに僕自身は随分大人になったはずだったし、周りの人間が子供っぽく見えて仕方ないくらい成長したはずだった。

 僕がそう言うと、明美は「そういうところよ」と言って笑った。

「でも変な気分ね。あんな手紙渡して、その次の日さゆうくんとこうして話してると・・・恥ずかしいっていうか、うん、ほんとに何か変な気分・・・」

「そっか?そんな風には見えないぜ」

 僕もそうだったのだけれど、多分明美も胸の中のどこかしらに痞(つか)えたわだかまりのようなものを、何とか抑え込みながら話しているのが分かる。それを吐き出せるほど、僕等は恐らく、人でなしでもないと同時に、お互いに良い人間を演じようとするくらい冷静でもあったのだと思う。

 しかし、だからと言って変に余所余所しく退屈な訳ではない。寧ろ、何だろう、感じたことのないこのドキドキ感、という不思議な感覚に何度も襲われた。

 待ち合わせた喫茶店を一時間ほどで出ると、僕等は二人で国立病院行きのバスに乗った。

 明美が車窓から外を眺めている時、その横顔を何の気なしにジッと見詰めていても、ふと明美の瞳がこちらに向けられると、思わず僕は目を逸らしてしまう。

「なぁに?どうかした?」

「いや、どうもしないよ」

「変なの。でも、そういう変なとこ、好きよ、昔っから」

 バスには僕等以外に数人しか乗っておらず、会話が聞かれることも無さそうなのだけれど、つい周りを気にしてしまう。

「おかしなこと言うなよ」

「おかしなことって?『変』ってこと?」

「じゃなくって・・・」

 明美は「ああ」という表情をしてから「大丈夫よ、誰も聞いてないし、誰も私たちに興味ないって」と明るく言う。

 そういう問題じゃないのだけれどなぁ、そう思いながら、また心臓がドクドクと波打つ。

 バスは病院のロータリーの停車場に停まり、僕等ばバスを降りる。降りてから二人の見詰める先は、ロータリーの一番端の縁の辺りだった。

「あの辺りだったはずだな」

 僕が言う。

「うん」

 明美が答えて、二人でその方向へ歩き出した。ほんの数十メートル先まで歩く間、僕は頭の中にある、もう灰色になってしまった記憶の写真を呼び起こし、当時の池の形や石や緑を思い返していた。

 明美が不意に二、三歩駆け出して、ぴょんっとほんの六、七十センチくらいだろうか、跳び真似をする。

「多分、ちょうど今の辺り、さゆうくんが跳んだの」

「ほんとに?」

 クスクス笑う明美を見ていると、僕も何だか可笑しくなって、二人で声を立てて笑った。

「俺、阿呆な子じゃん。思い出させないでくれる?」

「そんなことないよ、私にとってはヒーローだったんだから。あの時は本当に凄いって思ったんだよ、私。でも、ちょっとだけ『変』って思ったかも」

 明美と話していると楽しいかもな。僕はそう思いながら「ちょっと待って」と言ってから、ポケットからコインのキーホルダーを取り出して、明美に渡した。

「え?良いの?」

「良いとか悪いとかじゃなくて、あの日、あーちゃんにあげたんだよ。だから君の物だ」

 特に他意は無かった。

 しかし「ありがとう」と嬉しそうに言った明美の様子を見て、本当にこれで良かったのか、

 間違ったサインを出したんじゃないかと、少々不安を覚えた。

 そんな僕を知ってか知らずか、明美の方がずっと大人だった。その後直ぐに僕は少し恥ずかしく、それでいて見透かされていることが、余程、気持ちが楽になることを知る。

 明美が言う。

「大丈夫よ、さゆうくん、無理しなくって。私の一方的な想いだってことも知っているの。雅也君に聞いたんだ、さゆうくん好きな人がいるって。でもね、私、このまま何も言わないでさゆうくんとお別れするのは嫌だったから、こんなに遅くなっちゃったけど、ちゃんと自分の気持ちを話そうと思って」

 先に言われた。僕だってちゃんと話をしようと思っていた。でも先回りされて、僕の言葉は奪われた。それでも取り敢えず自らのことを捏ねくり回して説明しなくてよくなった分、何だかホッとはしたのは確かだ。

 但し、僕も雅也から明美と北沢の今の状況は聞いている。しかし雅也との約束でそれを言うことは出来ない。雅也を恨む訳ではないが、このもどかしい気持ちをどうすれば良いのやら考え込んでしまう。

「でも、コインは貰っておくね。ありがとう、大事にする」

 僕は思う。いつまで大事にしておく心算だろう?それは彼女にとって良いことなのだろうか、僕にどんな反応を求めているのだろう、答えに正解はあるのか。

 こうも思う。そんなことは明美の勝手だ、僕の関わることではない。彼女がそうしたいのであればそうすれば良いし、僕がどうして欲しいと言うことではない、と。

「あ、うん」

 どうしても歯切れの悪い返答にしかならない。自分でもそれが分かるのだが、言葉を探せば探すほど、それは見つからない。

 そして昨夜と同じことを考える。

 僕はこんな人間だったっけ。

 そうだったのかもしれない・・・。

 二人で歩く帰り道、明美はまるで幼い少女のようにはしゃいでいた。小学校の修学旅行の景色を僕にも見せたかったとか、中学校の時の先生の話や、僕のサッカーの試合を見に来た話とか、まるで取り留めも無いまま、話は続いた。

 僕は相槌を打つばかりだったけれど、決してつまらなかった訳ではない。寧ろ彼女の可笑しそうに話す表情を眺めながら、ぼんやりとだが心地よさを感じていたと思う。

 時計の針はいつの間にか午後七時を回り、街灯の下を通る時以外は明美の表情も見えない。明美の自宅近くの公園前に差し掛かった時、明美は足を止めて僕の方に向き直る。

「今日はありがとうね。楽しかったよ。私ばっかり喋っちゃったけど、次はさゆうくんの話も聞きたいな・・・。あ、ごめん、勝手なこと言って・・・忘れて・・・」

 本当に次があるような気がしてきた。

 頭で考えるよりも先に僕の右手が明美の左手首を掴み、僕の身体の方に引き寄せてしまう。

 明美も何だかそれを予想していたかのように、僕になされるがままに、何の抵抗も無く引き寄せられ、そのまま僕の胸の辺りに顔を埋めるようにして、ずるい言葉を呟くように投げかける。

「どうしたの?」

「・・・そう、君は勝手だ・・・」

「ごめんなさい・・・」

「いや、構わないけど・・・」

 明美を抱きしめながら、僕は由紀のことをぼんやりと考えている。しかし、頭の中に浮かぶ由紀の姿は、ハレーションを起こしたように白く霞んでハッキリとしない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る