第12話 突き付けられる 2
夕飯の後、部屋に戻って時計を見る。午後九時半。
珍しく一時間以上も夕食の時間に費やした。
いつもは家族それぞれが自分の都合のよい時間に夕飯は済ます。
今日は僕の誕生日ということで、去年の五月の妹の誕生日以来の家族揃っての夕飯になった。
そうは言っても、毎回誕生日に家族皆が揃う訳ではない。今年はたまたま今日が土曜日だったことと、僕がここ数年の荒れ具合が落ち着いてきたからかもしれない。
いや、荒れると言ったって、別に家庭内暴力とかそんな事ではない。ただ何となく、思春期に於ける、所謂反抗期ってやつで、親の話に真面に受け答えしなかったり、妹を冷たくあしらったり、深夜に部屋を抜け出して公園で独り缶ビールを煽ってみたり、それくらいのものだ。
それでも祖父とはそれなりに上手くやっていた。今日も夕飯の最後にケーキを食べながら、祖父が「良い世の中になったなぁ。なぁ、さすけ、わしが子どもの頃なんて、こんな美味いもんは一つも無かったぞ」としみじみと言うので、僕は「へぇ、おじいちゃんの子どもの頃は何が美味しかった?」と水を向けると、そこから自分が草臥(くたび)れるまで、昭和初期に自分が子どもだった頃の話を始めた。 それから二十分間喋り続けた挙句、「疲れたからもう寝る」と言って、離に引っ込んで行った祖父を見て、まぁ、祖父も勝手なものだと思う。
いつもそんな調子だ。祖父の話の聞き役は僕。両親も妹も昔話は苦手らしい。
そして時折祖父の言葉は心に刺さる。今日はこんなことを言っていた。
「なぁ、さすけ、人ってのは、失敗と後悔を繰り返すもんだ。そして思い出ってものは、いつか良い具合に色付けされて、何でもいい思い出に変わるものなのだよ。いつか、笑って話せる時が来るんだよ、かならずね」
思い出に変わる、か・・・。
分かるような分からないような、しかし僕にとって、明日、明後日、先ずは目の前の現実を切り抜ける必要がある。
部屋に戻ってベッドに仰向けになり、天井を見つめるが、何か答えが出る訳ではない。
・・・・・・。
僕はガバっと起き上がりハンガーからダウンジャケットを鷲掴みにすると、部屋を飛び出し、妹の部屋に向かって「チャリンコ借りるぞ」と言い放って、階段を駆け下りた。
自転車をすっ飛ばして、雅也の家の近くの公園の電話ボックスに到着したのが、午後十時二分前。
電話ボックスに駆け込んで、慌ててダイヤルする。
雅也は何故だか電話の子機を自分の部屋に持っていた。
頼む・・・雅也が直接出てくれますように・・・
2コールで、望み通り雅也が電話に出た。
「遅くに悪い。左右、あ、植下だけど、今、大丈夫か?」
「あ、うん。問題無いけど、にしても、遅いな」
「ああ、ほんと、悪い」
「いや、そういう意味じゃない。もっと早く、電話してくると思って待ってた」
「?」
雅也の声には妙な含み笑いが在るように感じられたのだけれど、今一々そのことを詮索することでもない。
「それで、左右、今何処なの?家じゃないよね。今そっち行くよ」
「何処って、今、お前んちの前の公園・・・って、何で?」
「ありゃ、もう来てたの。いいや、直ぐ行くよ。待ってて」
ツーっ、ツーっ、ツーっ・・・
そのまま電話は切れた。
何がどうなっている?何で雅也は僕の電話を待っていたんだ?
5分もせずに、雅也はやって来て、何も言わずニコニコしながら近付いてくると、目の前まで来て缶コーヒーを投げて寄越した。
「ほれ、コーヒー。今そこの自販機で買ったばっかだから
「いや、コーヒーで」
「んで?どうなったの?」
「・・・どうって・・・」
僕は混乱して何をどう話していいか、考えが
「ちょっと待て、雅也。整理する」
僕は貰ったコーヒーを一口飲んで、煙草を吸って落ち着こうと、ジャケットのポケットを探った。慌てて飛び出してきたので、どうやら煙草は忘れてきたようだった。
「あ、煙草か?」
雅也が自分の煙草を一本取りだして僕に渡して、百円ライターで火を点けてくれた。
僕は一服深く吸ってから切り出す。
「雅也、お前は、何を、どこまで知ってるんだ?」
探りを入れるように、ゆっくりと話す僕に、雅也は少しおどけた様子を見せながら答える。
「結末以外は、ほぼ全部。但し、左右、君の動きはよく分からん」
言い方自体は僕を
「いやいやいや、ちょっと待てよ、雅也。そういうのって気持ち悪いから止めろって」
「左右がどこまで知ってるか訊くから、正直に答えただけだけどね、俺は」
これでは言葉遊びばかりで話が前に進まない。僕は取り敢えず、雅也の肩をグーで小突く。
「ィって。分かったって。暴力反対」
「いいから、話せって」
雅也も煙草に火を点けてから話し始めた。
「今日さ、左右、明美ちゃんと会ったろう?」
「ああ、会ったけど、何でお前が知ってんの?」
「まぁ、聞けって。俺が何で知ってるかって?俺が明美ちゃんに、今日左右が学校行くって教えたからさ。こないだ俺と会った時、左右、次は土曜の午後だって言ってたからさ、それを教えた訳」
「余計なことを・・・」
「余計だったか?俺は、明美ちゃんにも左右にも良かれと思って教えた
「『良かれと思って』ってなぁ、お前、北沢には良い訳ないだろ。北沢には迷惑な話だろ」
「え、やっぱり左右もそう思う?キーちゃんには最悪だって」
やけに嬉しそうな雅也が悪魔に見える。しかし、こう付け加えた。
「けど、処がそうでもないんだよ。あいつはアイツで悩んでて、このまま明美ちゃんを縛り付けてて良いのかって。そもそも付き合い始めが、かなり強引なキーちゃんに押し切られた感じだったしな、明美ちゃん・・・。その辺は、キーちゃんも自覚はあるんだよ、多分」
「・・・そうなのか・・・?」
そんな事は知らなかった僕としては、或る意味、心が軽くなった気がした。
「お、少し興味が湧いてきたか?良いんだよ、明美ちゃん美人だし性格いいし、左右にお似合い・・・いや、左右には勿体ない」
「うるせぇよ」
「いや、冗談はさて置いて、明美ちゃんから聞いたんだけど、左右と明美ちゃんって、実は幼馴染なんだって?ま、幼馴染って言い方が合ってるかどうか、微妙な言い回しだけどさ」
明美の奴は何処まで話してるのだろう?それこそ余計なことを話してるんじゃないよ、と思う気持ちと、雅也がここまで知っているなら、これ以上探りながら話す必要もないな、と気が楽にもなった。
「でも、何でお前がそんなこと色々知ってるんだよ?あーちゃん、いや、水上明美のことにしたって、北沢のことにしたって、知り過ぎだろ」
ニヤリと笑う雅也にイラッとしたが、僕のそんな様子にはお構いなしに雅也は続けた。
「ずっと前に言ったじゃん。夏だったよね、ほら、海、行った時。あの二人から相談されてるって」
「だからぁ、そうじゃなくって、何でお前なんだ?って。何で皆お前に相談するんだってことだよ」
雅也は少し考える風にする。
「・・・そうなんだよ、何で俺なんだよ?相談ばっかり受けて、俺は一番損な役回りな訳よ。左右が羨ましいよ、ぼんやりしてるのにモテるし、成績良いし・・・少しは俺に同情してくれ。少しくらい俺に分けてくれても罰なんか当たらないだろ」
「ぶっ飛ばすよ」
「良いよ、ぶっ飛ばされても、分けてもらえるなら、そっちの方が良い」
笑いながら答える雅也は、直ぐに真顔になる。
「で、どうしたの?って言うか、どうするの?今日告白されたんだろ?いや、言うな。分かる、どうせ左右のことだから、どうもしない、どうしていいか考えられない、だから俺に電話してくる、そこまでが俺の予想で、まんまと今君はここに居る。どう?当たってるでしょ?」
「ま、まぁ、そんなところだ、けどな・・・」
そこまで言い当てられるとぐうの音も出ない。
「だろ?で、どうもしてないのは分かるんだけど、実際、左右はどうしたいの?」
「・・・・・・」
そうか、自分がどうしたいかという視点は僕には無かった。
そして考えてみる。どうしたいのか?と・・・。
「どうしたいんだろう?」
僕の答えに、雅也はワザとらしいくらい
「何かあるだろう?無いの?ほんとに?」
いや、いくら考えても思いつかない。
「強いて言えば・・・そうだな・・・無かったことにしたい、かな・・・無理か・・・」
「はぁ?無理に決まってるだろ」
だよなぁ、時間は巻き戻せないし、明美と北沢が明日になって「昨日のことは無かったことにして」と言ってくる感じはしない。
「左右らしいって言えば左右らしいけど、今回はいつもみたいにはいかないと思うよ。周りを巻き込んで動き出しちゃってるし、左右が何とかしないといけない状況だよ」
「ちょっと待て。どちらかというと、俺は巻き込まれた方だろ。いや、どちらかじゃなくて、確実に巻き込まれた方」
僕は雅也の言葉を否定して言い直したが、そんな事は雅也にとってはどうでも良いらしかった。
「何にせよ、明美ちゃんの気持ちを受け止めるのか、そうじゃないのか、ハッキリさせないと、明美ちゃんも可哀想だしな。それと、キーちゃんとどうするかもあるし」
「ちょっと待て、何か俺が悪者みたいになってるじゃん。ってか、あーちゃん、いや水上は勝手に俺に『フラれた』って言ってたし・・・。それに、北沢は・・・」
完全に雅也に主導権を握られ、僕は防戦宜しく、言い訳っぽい口ぶりで答えている自分が何とも歯痒く感じる。
「はぁ」
まただ。雅也の大袈裟な溜息。
「あのね、左右、明美ちゃんが『フラれた』って本気で言ったと思う?君はどんだけ鈍いんだ?そんなもん、それ以上言葉に出来なくて、、その場にそれ以上居ることが出来なくてさ、仕方なく言ったに決まってんじゃん。それと、『北沢は・・・』って言いかけたけど、キーちゃんがどうした?」
「電話かかってきた。明後日、会うことになった。話あるって・・・」
雅也は「ん?」と表情を曇らせて、眉をピクリと動かして「早いな・・・」と呟いた。
「おいおい、それもお前の差し金か?」
「いやいや、変な言い掛かりは止めてくれよ。確かに明美ちゃんの相談にはずっと乗ってたけど、キーちゃんは知らない・・・。というか、予想は出来たけど、気付くのはもっと遅いと思ってたよ、俺も・・・。ただ、もう電話してきたってことは、勘が良すぎるな・・・。ってことはひょっとして・・・」
考え考え話す雅也に、僕は苛々を募らせる。
「ひょっとして何なんだよ?お前面白がってるだろ、性格悪いぞ」
「考えてみろよ左右。今も言ったけど、ここ最近キーちゃんとはこのことで話してないんだよ、俺。しかも左右、君のことは俺の方から言い出すことは無いし、キーちゃんも相手が左右だって確証はないはずなんだよね。左右と明美ちゃんのことを知ってるのは、君ら本人二人と俺だけ。ってことはだ、俺が言ってない、君が言ってないんだったら、明美ちゃんが言ったか、キーちゃんが恐ろしく勘が良いか、だ。だろ?」
「お前の推理はどうでもいい。実際に電話が掛かってきて、呼び出し食らってんだよ。まぁ、シカトしてもいいんだけど、それも何か逃げてるみたいで嫌だしな・・・。ああ、何か腹立ってきた。何で俺が呼び出されなきゃなんないんだ?」
雅也がニヤッと笑ったように見えた。
「何が可笑しいんだ?」
「いやいや、悪い。でもさ、左右、そういうことなんだと思うよ。左右っていつも受け身じゃん。何か起こってからそれに対処方法を考えるだろ?周りのこととか、相手のこと考えちゃうから、『巻き込まれた』ってなっちゃうんだよ。腹が立ってシカトしたけりゃシカトすればいいし、ぶん殴りたければ、ぶん殴っていいと思うよ」
僕は雅也が言っていることが理解出来ない。
「お前は一体誰の味方だ?北沢と仲良いだろうに」
「俺を殴るなよ、そこは我慢しろ。俺は誰の味方でもないけど、まぁ、女の子には優しくしようと思ってる」
笑いながらそんなことを言う雅也を見てしまうと、いつもの如く怒りは収まる。変な奴だ。
「何なんだ、おまえは・・・」
「話を戻そうか。キーちゃんがそんなに勘が良いとは思ってないんだよね、俺。ってことは、『今日』電話があったっていうのは単なる偶然で、鎌を掛けに来たか、或いは、実は明美ちゃんが・・・」
一体全体、皆どうかしてないか?今って受験の真っ最中だよね?確かにもう今から焦っても仕様がない時期ではあるけれど、受験以外のことを考えられるほど、こいつら暇か、それとも余裕か、はたまた諦めてるとか?それは無いか。
「でも、何で水上がそんなこと言うんだよ。そんな揉め事起こすに決まってるようなこと言うか?それじゃ唯の悪い女じゃねぇかよ」
今日三度目の深いため息をついて見せてる雅也。
「分かってないねぇ、左右は。もっと女心を理解しないと、大人の男になれないぜ」
「うるせぇよ」
「いいかい?明美ちゃんは本気なの。疑ってるのは君だけ。明美ちゃんに失礼だぞ。君がちゃんとしないと、俺が怒るよ。変に彼女を傷付けたりしたら、俺が許さ・・・」
笑顔のままの雅也だが、言葉は強めだし、目が笑っていないことに気付いた。
「ちょっと、ストップ」
僕は雅也の言葉を制止する。
「何でお前に怒られなきゃならないんだ、俺は?お前・・・ひょっとして・・・」
少しの間があって、雅也は慌てた様子で「違う違う、それは無い」と頭を振った。
「確かに俺も明美ちゃんのことは好きだけど、今話してることとは関係ない。恋愛感情で好きな訳じゃなくて、友達としてと言うか・・・」
何故か歯切れが悪い。
「あぁ、もういいや。正直に言うよ。従姉弟なんだ、俺達」
「は?」
言ってる意味が分からない。
「だから、俺と明美ちゃんは従姉弟同士なの。俺の母親の旧姓が『鈴木』で、彼女の父親が俺のお袋の兄さんなの。あそこ、離婚しちゃったから『水上』になっちゃったけど、明美ちゃんの父親は、俺の叔父さんな訳」
頭の中がこんがらがって来た。ゆっくり整理してみる。
明美の父親と雅也の母親が兄妹、雅也の母親が旧姓『鈴木』だから、明美の父親も『鈴木』、その『鈴木(男)』さんと明美の母親『水上(女)』さんが結婚して『鈴木明美』が生まれた。
そして鈴木夫妻が離婚したので、鈴木明美は母親に引き取られ、母親の旧姓『水上明美』になった。
何となく理解。
「なんだ、その田舎あるあるみたいなやつ」
「田舎だから仕様がないじゃん。でも、これ誰も知らないから言わないでよ。あ、キーちゃんは知ってるけど・・・」
「何で隠してたんだよ?別に良いだろ、そんなことどうだって」
「何となくだよ。
「いや、ここで俺を比べ無くて良い。まさか、北沢とも・・・なんてことはないよな?」
「無いよ、そこまでは」
「ああ、良かった。お前らのこと嫌いになるとこだったよ」
言ってから「しまった」と思ったけれど、遅かった。しっかり雅也に聞かれてしまった。
「何だ、左右も正直になったね。やっぱりキーちゃんのこと嫌いか?知ってたけど。心配しなくていいよ、俺も実は苦手だ」
従兄妹の話といい、苦手宣言だったり、何のカミングアウト大会なんだろう。
「あ、でも、俺は苦手だけど、嫌いではないよ。そこは一緒にしないでね。だから、左右も仲良くしてね。キーちゃんのことぶん殴っちゃダメだよ」
そう言って笑う雅也は、何故か先ほどまでより楽しそうだ。
「んなことしねぇよ。けど、お前と北沢ってすっげー仲良さそうに見えてたけど、そうでもないのか・・・。分かんないもんだな・・・」
「そう、でも分かってないのは左右だけ。いっつも我関せずって感じだもんな。いや、鈍いだけか?」
「うるせぇよ」
僕も笑う。秘密の共有っていうのは、心苦しさ以上に楽しさの方が上回る。それを知った。
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