第9話 出会いの・・・容 4
二月中旬の午後三時過ぎ。先日降った雪がまだ路肩に残る国道沿いの歩道を、明美と二人で歩きながら、本当は酷く寒いはずなのに、全くそれを感じないくらい、僕の思考回路は記憶の掘り起こしに集中していた。
「それでね・・・」
明美が話し始める。
「あの後、退院して直ぐに、うちの父親の仕事の都合で、引越ししちゃったんだぁ。あ、でもまた戻って来たのは、両親が離婚しちゃって。今、母親と弟と私の三人暮らし。近くにおじいちゃんおばあちゃんは居るんだけどね。中学校の時、ね。戻って来たのは」
「あ、ああ、そうなんだぁ」
「そう。それでね、中学校は違ったけど、私、さゆうくんのこと、ずっと知ってたよ。私の中学とサッカーの試合してたでしょ、たまたま応援で観に行ったとき、さゆうくんのこと、すぐ分かったんだ」
「ほんとに?」
「うん、ほんと。でも、声掛けられなかった。うちのチーム負けちゃって、なんか、相手チームのさゆうくんに声掛けるの、ちょっと・・・って思っちゃって」
「・・・・」
「あの時、声掛けとけば良かったなぁ・・・」
「・・・・」
僕はどう答えて良いか分からず、上手く相槌も打てず、唯黙って明美の話を聞いていた。
「でね、高校生になって、さゆうくんが同じ高校に居るじゃない?嬉しかったけど、どう話し掛けて良いか分からないまま、今こんな感じ・・・笑っちゃうよね・・・。私ね・・・今、ものすごく無理してるんだ・・・」
明美の言葉は最後のところで掠れて消えそうなくらい震えていた。
僕はそれに答える言葉も無く、どうすれば良いかも分からない。
分からない僕は、分からないなりに、兎に角足を止めた。次の行動は成り行きに任せるしかない。
僕が立ち止まるのに合わせて、明美も立ち止まる。
明美は僕の方に顔を向けることは無く、少し上を向くようにして、何かを堪えている表情だった。
僕は考える間もなく一歩踏み出して、明美の視線に覆いかぶさるように、明美の正面に立ちはだかった。
「・・・ごめんな、気付けなくって・・・。でも、今、気付いた。遅くなったけど、今、気付いたよ・・・」
明美の瞳から涙が溢れ出すのが見えた。少し上を向いていたのは、一所懸命涙を堪えていたのだろう。その視線を降ろした途端に、瞳一杯に溜まった涙が溢れるように零れだした。
一瞬、国道を行き交う自動車のエンジン音や歩行者信号の音、風の音も、全ての音が消えた気がした。ほんの一瞬の出来事だった。
僕は何か大事なことを忘れている。
でもそれが何なのか、今、思い出すことが出来ない。
一瞬の静寂は直ぐに元に戻り、街の喧騒は今まで以上にシャープに耳に身体に響く。
「ごめんなさい、私・・・」
明美は慌てて僕の懐を離れ、落としたカバンを拾おうとして、躓くようによろけた。
「危ないっ」
僕も慌てて今離れていった明美を、もう一度胸の中に受け止めた。
そのまま暫く明美を懐に抱いたまま、そして彼女はピクリとも動かずに歩道の傍らに立ち尽くす二人。
今度は音が無くなりはしなかったけれど、その代わり時間が歪んだようにゆらりゆらりと流れるのを感じ、僕等の傍らを通り過ぎる車のテールランプはぼやけて霞んで見える。
自転車に乗ったおばさんが、こちらをチラチラ見ながら通り過ぎる。僕は無意識に目を逸らす。
この場から逃げ出したい訳ではない。けれどずっとこのまま居たい訳でも勿論ない。
ただ、この恐ろしくゆったりとした時間の流れから早く抜け出したい、多分そう思った。
どれくらい時間が経ったのか分からない。でも恐らくは大した時間ではないはずだ。五分、いや二、三分くらいのものか。
それまでジッとしていた明美の肩が、小さく息を吐くようにして動いた。
「ありがとう。ごめんなさい・・・私、どうしちゃったんだろう・・・ほんとごめんなさい。
可笑しいよね・・・」
明美は顔を上げ、きまり悪そうにそう言って精一杯笑顔を作ろうとしているように見えた。
「いや、俺は・・・俺は何も・・・」
落としたカバンを拾い上げながら明美は、「そう言えば・・・」と言い、カバンを開けると、中から小さな紙袋を取り出した。そして、それを僕に差出す。
「これ。お誕生日おめでとう。二月十三日、だったよね」
今度は上手な笑顔だった。「今泣いたカラスが、もう笑った」そんな言葉を思い出した。何処か狐につままれたみたいな感覚とでもいうのか、僕は呆気にとられたまま、紙袋を受け取る。
「あ、それから、これも」
そう言って明美はカバンのキーホルダーを取り外し、それも僕に差出した。
「え、どうして?」
僕の質問には答えずに、明美はキーホルダーを僕に手渡すと、くるっと身体を反転させて向こうを向き、国道のずっと先を見詰めるようにしながら「あーあ、フラれちゃった・・・」と呟いたように聞こえた。
僕はその不確かな言葉の意味を理解できないまま、訊き返すことも出来ない。
明美はそのまま黙って歩き始めた。僕は黙って後ろ姿を見詰める。
十メートルほど離れたところで、ふと足を止めた明美が振り返り、「明日のバレンタインデーのチョコも一緒に入ってる!」と、今度は行き交う車の喧騒にも負けない、はっきり聞き取れるくらいの声量で言った。
どんどん勝手に物事が進んで行き、勝手に終わりを迎えた。そんな感じなのだろうか。
明美が一人で盛り上がり、そして冷めていった。それに巻き込まれ、付き合わされただけだった今日の午後。ん?果たしてそれで終わりで良いのだろうか。
何か釈然としないモヤモヤ感、小さくなっていく明美の背中、薄ぼんやりと黄昏ていく国道沿いの風景、そして、立ち尽くす僕。
しかし、これで終わらなかった・・・。
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