第7話 出会いの・・・容 2

 校門の門柱に寄り掛かって佇む明美が、こちらに気付いて姿勢を直し、両手でカバンを正面に持って、先ほどと同じように僕に微笑みかける。

「案外早かったね」

「ん?まぁね。特に問題無いってことだったからさ」

 僕は先ほどの腹立たしさはもう忘れていたが、

「他には何か言われた?」

 そう言われて思い出す。先ほど感じた妙な腹立たしさを。

「そう、そう言えば、体調大丈夫か?って言われたなぁ。今になってどの口がって思っちゃうよな。あと、この半年よく頑張ったって・・・。俺の何を見てたのかな?何も頑張ってないし、いつも通りだったし。笑っちゃうよね、教師なんてテキトーなんだな」

 思い返して言葉にしてみると、イラついた気持ちよりも、自分も含めて何やら可笑しいやり取りに思えて、苦笑交じりになっていた。

 それに対して、明美は少し間を置くように、それでも笑顔のまま僕を見詰めている。

「ん?どうしたの?」

「ううん、何でもない。けど、頑張ったんだよ。私も思うよ、さゆうくんって、やっぱり・・・」

 その先を良い澱む明美に、僕は何か訊きたいことが在ったように思ったが、それがどうゆう質問だったのか、いや、どういう風に切り出せば良いのかが分からないと言った方が正確かもしれない。

 彼女は僕のことを知っているのに、僕は彼女のことを知らない。彼女も多分、僕が彼女のことを知らないであろうことは薄々勘付いては居るはずだが、それを責めることもない。何処かで接点はあるはずなのだけれど、幼稚園から小学校、中学校と記憶を辿っても、「水上明美」は何処にも引っ掛からなかった。

 そうであれば寧ろ「覚えていないなんて失礼ね」とハッキリ言ってくれた方が、本当は助かるのだが、そうはならない。この半年、明美の視線をたまに感じることがあったが、彼女はいつも笑顔でこちらを見ているだけで、何かを話しかけてくる訳ではなかった。イメージ的には見守ってくれている感じだ。

 しかしそれもあの日以来、僕が意識してしまったせいで、こちらを見ているように感じたのであって、単に彼女は近視眼なだけで、ただぼんやりと顔をこちらに向けていただけなのかもしれない。

 眼鏡は掛けていなかったけれど、コンタクトレンズを装着していたかもしれない。そんなことすら僕は知らないのだ。「君は、だれ?」とは訊けないし、丁寧に「何処かでお会いしましたっけ?」と言い直しても同じことだ。

 それでも今日はちゃんと訊こうと思った。そして訊こうと思った瞬間、あることに気付く。

 明美のカバンの把手に結び付けられた少し古びた何処か外国のコインに穴を開けたキーホルダー。何処かで見覚えのあるそのフォルムに、一瞬息を飲んだ。

 明美も僕の様子に気付く。

「あ、これ、思い出してくれた?」

「あ、いや、うん、でもこれって・・・」

 僕は一所懸命に幼い頃の記憶を辿る。

 確かあのキーホルダーは、まだ僕が幼稚園に上がる前に、海外出張から帰ったという叔父からお土産で貰ったものだった筈だ。そして、いつの間にか失くしたか、若しくは自分の部屋の何処かに仕舞い込んで、その仕舞った場所を忘れてしまっているのではないか、今でも部屋の何処かに在るのではないかと思っていた。

 そこから更に記憶が蘇り始める。

 確か僕が幼稚園児の頃、祖母が亡くなったのだが、その頃は何の病気か幼い僕には分からず、後で聞いた話では癌だったらしいが、病状末期には地元にある国立病院に入院していた。

 幼過ぎて祖母の病名も病状も余り理解していなかった僕は、母に連れられて祖母の見舞いに病院へ行く度に、そのうち病室の雰囲気に耐えかねて、病院玄関ロータリーの脇にある庭園風の広場で池の鯉を眺めていた。

 その当時、僕は叔父から貰ったキラキラ光る見たこともない外国のコインのキーホルダーが甚(えら)くお気に入りで、いつでもポケットに入れて持ち歩いていた。そしてある意味無邪気に、そのコインを会う人会う人に自慢げに見せびらかしていたような記憶がある。

「このコインにおねがいごとをして、木にうめこむと、ねがいがかなうんだよ。でもね、おねがいごとは一つだけだよ」

 そんな叔父からの受け売りの言葉を自慢げに話しながら。

 そして、その思い出の中に必ずそこに一人の少女が居た。名前は、名前は・・・名前は。

 思い出した!「あーちゃん」だ。恐らくそれで間違いない。でも何故彼女がコインを持っているのかが、今一つ理解できない。やはり僕が落としたものを拾ったのか、それとも僕自身があげたのか、かなり気に入っていたものなので、その辺りは覚えていても良さそうなものなのだが、全く記憶にない。

「このキーホルダー、ずっとカバンに付けていたんだけどなぁ」

 そうは言われても、気付かないものは仕方ないことだし、気付いたところで何故それを明美が持ってるのかが分からない。そしてそれを「どうして君が?」と訊くのもどうかと思う。

 頭の中でもう一度記憶の糸を手繰り寄せてみる。「あーちゃん」という女の子と僕自身の関わりを探ろうとした。

 ぼんやりと思い出しかけた「あーちゃん」は、確か自分が病気であるという話をしていた。

 一緒に池の鯉を眺めながら、何故か二人は手を繋いでいたような気がする。

 チェックのワンピース姿でお提髪の「あーちゃん」は、全然病気には見えない。

 「あーちゃん」の小さな掌が見える。僕の手も小さい。

 最後に「あーちゃん」が僕のほっぺにチュウをした。

「ああっ」

 僕は思わず声を上げて明美に顔を向けた。その時つい、「あーちゃん」にキスをされた右頬を無意識に手で摩ってしまい、その仕草を明美に見られた気がして、顔がかぁっと熱くなるのを感じた。

 同時に、そのキーホルダーは僕が彼女にあげたのであろうことを理解した。小さい掌の映像はそれを渡すときに見た彼女の掌で、渡した後、別れ際に彼女が僕にキスをしたのだ。

「さゆうくん、思い出した?・・・たぶん、正解・・・」

 再度明美に「思い出した?」と訊かれて、今度はかなりクリアに記憶が蘇ってきていた。

 そこには、十三年前の「あーちゃん」の面影を残した明美が微笑みながら立っていた。

「ほんとに?あーちゃん?」

 明美は「うん」と頷いて、それから「歩こ」と言って先に歩き出した。

 僕はその後を追いながら、まだ組み合わせることの出来ないでいる幾つかの記憶の欠片かけらを持て余しているし、それがとても気持ち悪い。

 しかしどうにも上手くいかない。僕は意を決して明美の左横に並びかけ、自分の中でまだあやふやなまま散らばっているピースの組み立ては、直接明美に訊くしかないと思った。

「病気って、どうなった?良くなったのかい?」

「ええ、もうすっかり」

 やっぱり病気の話は本当だったのか。今も全く病気を感じさせることは無い。

「そっか、良かった。そう、それで、なんだ?、病気っていうのは、何の病気だったんだ?

 ・・・いや、答えたくなければ、答えてくれなくても構わないよ・・・」

 質問しておいて何なんだが、言葉を切った瞬間、病気の様なかなりデリケートな問題をいきなり訊き出そうなんて、僕はデリカシーが無さすぎる、そう思ってそれ以上の言葉が出てこなくなってしまった。

 そんな僕の様子を、何故か僕に替わって擁護してくれるかのように、明美が口を開く。

「良いんだよ、変に気を遣ってくれなくて。本当は、私の方からちゃんと色々話さなくちゃいけないことなんだから・・・。やっぱり、優しいね、さゆうくんって・・・あの時からずっと、そのままだよ・・・」

 欠片の一つが今、カチッと音を立てて記憶の画の中に組み込まれた。

「『あの時』って、病院での、あの時?」

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