第5話 夏、すべてはそこから 4

 本日最後のイベントは、夏、海、夜と言えば、お決まりの花火だった。

 富田が大量に持ってきた花火は、簡易の打ち上げ花火に歓声を上げ、手持ち花火で追いかけっこをして、火花に照らし出された皆を写真に収め、そして最後に残った線香花火でクライマックスを迎える。

 北沢が言う。

「来年の4月は、俺達みんなが自分の希望する大学に無事合格して、晴れて大学生になって居るように、また明日から頑張ろうぜ。あと半年の辛抱だ。そしたら、来年の夏は、またこのメンバーで集まって、今度はもっと派手にやろう。約束な」

 それぞれが最後の一本の線香花火を手にもって円座して、その真ん中に立てられた蝋燭に花火を近づけて点火していった。

 良いことを言っている風だけれど、このしんみりする感じは余り好きではないなぁ。そう思いながら、僕は北沢、明美と続いた後の三番目に火を点ける。

 僕が蝋燭に花火の先を近づけた時、明美が僕の方にチラッと目配せをして、一瞬目が合ったような気がしたが、気のせいかもしれない。

「俺の花火が最後まで残ったら、多分俺は大学合格、間違いない」

 そう言って5番目に火を点けた雅也の線香花火の火玉は、ものの見事に一瞬で燃え尽きて砂の上にポトリと落ちた。

 女の子達がクスクス笑う。

「雅也君、そういう自傷行為は止めた方が良いよ、いくら笑いの為とはいえ、それは余りに痛々しい」

 富田の揶揄うような言い草に、雅也はおどけるように「今の、無し。ノーカウント。もう一本くれ」と言ったが、もう袋には一本も残っていなかった。

 富田がゲラゲラ笑い出したが、その途端に富田の花火もパッと一瞬明るく弾けて、消えた。

「大丈夫だよ、明日からの頑張り次第だよ。実力で合格すれば良いだけさ。願掛けなんて意味がないよ」

 北沢が再び何だかもっともらしいことを言ったが、何もフォローになっていないとも思う。

 僕もその場の空気に合わせて苦笑するしかない。

 僕はまだ残る自分の線香花火の火に顔を向けるようにしながら、目だけで北沢と明美の様子を伺うが、暗くてどちらの表情も読むことは出来なかった。

「あ」「あっ」

 智子と美咲の火玉が、ほぼ同時に消える。

 僕の花火も小さく「ジジッ」と最後の音を残して、静かに消えた。そして最後に北沢と明美だけが残った。

「すごいね、北沢君と明美が最後まで残るって、なんか妬けちゃう。なんか良いなぁ」

 智子がそう言うと、北沢が「俺達仲良しだから」と答えたが、何だかその言葉は僕に向けられているように思えて、変な気分だ。

 おかしいな、どう考えても心が乱されている。昨日まで、僕にとって、そして彼等にとっても多分、お互いに唯のクラスメートでしかないと思っていた。僕は何も知らないことになっている。知らない振りだけしていれば良いだけのことなのに、上手くいかない。

 今日はもう、昨日へは戻れない。

 平静を装おうとすればするほど、北沢と明美の二人に対する気不味さと、この場の居心地の悪さが増すばかりだ。

 何だか気分が悪くなってきた。

 僕は黙って立ち上がり、円座から離れ、独り波打ち際に向かって歩き出した。

「どうしたの、左右」

 背中に雅也の声が聞こえたが、僕は返事も振り返ることもせず、ただ右手を挙げて軽く振り「気にするな」という合図を送った。

 波打ち際に近付くにつれ、歩き出した時には聴こえていた砂を踏みしめる音は、いつの間にか波の音にかき消されて聴こえなくなっていた。

 裸足のつま先に波が当たる。思ったほど冷たくはない。

 僕はそのまま波に向かって、膝の下辺りの深さまで進んだ。

 海の向こうに上り始めたばかりの月が水面を照らしキラキラと反射して、その光は波で揺らいでいる。そして、空を見上げる。星をこんなにちゃんと見るのはどれくらい振りだろう。

 星は昨日のまんまだ、多分。でも僕は昨日のままではいられない。いられなくなった。

「あ・・・いよ・・・」

 波の音にかき消されて、よく聞き取れない女の子の声がした方向を振り返ると、波の手前でこちらを見詰めて、月明りに浮き上がるような白いワンピース姿の明美がそこに居た。

 全く気付かなかった。独り星を見上げて感傷に浸るような仕草を見られていたかと思うと、気恥ずかしい。

「ああ、水上さんかぁ。何?」

 恥ずかしさを押し殺して訊き返す。

「植下くん、危ないよ」

「大丈夫だよ」

「・・・あぶないってば・・・さゆうくん・・・あぶないってば」

 声には出さないが、胸の辺りで「え?」と思う。

 僕のことを「さゆう」と呼ぶのは、うちのクラスでは雅也だけ、校内でも小学校以来の同級生くらいのものだった。それ以外は名字の「植下」で「うえした」「うえしたくん」「うえちゃん」と呼ばれる。

 でも、どこかで、この人にそう呼ばれていたことがあるような、不思議と懐かしさのようなものを感じた。

 喉まで出掛かった「君は、誰?」という言葉を飲み込んで、明美を見詰め返す。

 明美の更に背後にぼんやりと人影が見えて、「左右ぅ」、「植下ぁ」と声が聞こえた。

 明美がその方向を振り返り、「大丈夫だよ、植下くん、ここに居るよぉ」と答える。

 僕はもう一度「君は誰?」という言葉を飲み込んだ。


 時間はやはり、一定の速さで進み、季節は変わっていく。秋になり、冬が来て、僕等は受験シーズンを迎える。

 何かが変わったようで、何が変わったのか意識は出来ないかもしれないけれど、でも分かっていることは、昨日には戻れないということ。

 過去の、とある瞬間に強烈に感じた感情も、時間と共に薄れていき、思い出すことも難しくなっていく。

 夏のあの日、あれは現実だったのだろうか。

 覚えているのは、海から上がった時、明美に手渡されたコカ・コーラの缶が、やけに冷たかった掌(てのひら)の感覚だけ。


 あの日以来、僕は理科の実験室に行くことは少なくなったし、今はもう顔を出しもしない。

 そもそもセンター試験の後は、学校に行くことも少なくなった。二次試験対策の補習があるにはあったが、これは本当に希望者のみで、半強制的に出席させられるものではなかった。

 この半年は、僕は休み時間も教室で過ごすようになったけれど、雅也が予言していたようなことは起こらなかった。寧ろ北沢や富田と親しくなり、女の子達とも普通に喋るようになった。

 初めのうちは「知らない振り」をすることが、何か悪いことをしているかのように思えて気が滅入っていたが、十日もしないうちにそれにも慣れた。人の精神構造なんてそんなものだ。慣れてしまえば、「ずっとそうだった」と思い込み、疑いもしない。

 但し、何かの拍子に北沢と二人きりになると、ふと、自分が北沢のことが苦手だなという感覚が沸き上がって来ることは否めなかった。

 明美に関しては、あの後特に何が起こる訳でもなく、北沢と彼女との仲は以前と変わらないように見えたし、僕が明美に告白されることも無かった。

 雅也の勝手な思い過ごしだったのだろう、そう思っていた。

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