第2話 夏、すべてはそこから 1
高校三年の夏、大学受験の為の補習授業や予備校に追われる中、クラスの仲の良い連中七人で海水浴に行くことになった。男子四人と女子三人。
仲が良いと言っても、本当は僕は余計なおまけみたいなものだ。
僕を含めて七人のうち、僕が仲の良いのは高橋雅也だけ。その雅也に「お前も来ないか」と誘われて、特に予定も無かった僕は合流することになっただけだ。
雅也以外の北沢、富田とはクラスメメートとは言っても、それほど親しくしていた訳ではない。女の子たちに至っては、多分、学校の外で会ったら挨拶もしなかっただろう。
どちらかというと、僕はクラスでは浮いた存在だったに違いない。昼休みは必ず他所のクラスの連中とつるんでいたし、授業中も通常の休み時間も、窓の外の校庭ばかりぼんやり見ていた。それを可哀想に思った雅也が誘ってくれたに過ぎない。 それに気付かず誘いに乗って、ひょこひょこ付いて行った自分の阿呆さ加減を恨んだ。
当日まで男ばかり四人だけの海水浴と思っていた僕は、女の子三人を見てそのまま帰ろうかとさえ思った。
勿論女の子が嫌いな訳がない。寧ろ好きに決まっている。
しかし、言っちゃなんだが、この三人ではない。
「おーい左右、こっちこっち」
待ち合わせの駅前広場に差し掛かると、僕に気付いた雅也は何の悪びれる様子もなく、大声で僕に声を掛けてきた。
これでもう
「お前はこんなところで大声出してんじゃないよ」
僕が雅也を小突こうとすると、雅也はそれをひょいと躱(かわ)す。
「だってそうしないと、左右帰っちゃうじゃん」
何故だか雅也はニコニコ笑っている。
雅也はいつだってそうだ。僕にやけに構ってくる。
学校での昼休み、僕は大概弁当を持って理科の実験室に出向いていた。そこで今は別のクラスになっている同じ中学出身の仲間二、三人と過ごしていた。
「俺も付いて行って良い?」
あの日も雅也はそう言って、僕と同じように弁当箱ひとつ持って、僕に付いて来ようとする。
「構わないけど、お前の知らない連中ばっかだぞ」
「植下君のことは知ってるから、大丈夫だよ」
何が大丈夫なのか知らないが、本当に大丈夫だった。いつの間にか僕よりも他の連中とよく喋るようになるまでに時間は掛からなかった。そして週に2回は実験室で一緒に過ごす仲間になっていた。
調子が良いと言うか、かと言って太鼓持ちの様に他人に媚び諂う訳でもなく、どちらかというと飄々としていて皆から好かれるタイプの人間、それが高橋雅也だ。
兎に角、男にだろうが女にだろうが、優しい。そして裏表がない。
初めは何かと面倒臭い奴だと思っていた僕も、いつの間にかこいつに取り込まれていた。いや、別にそれが嫌な訳ではない。ただ、やはり時々、雅也のお節介に「余計なことするんじゃないよ」と思うこともあった。
今日が正にそんな日だ。女の子が三人なのに、何で男四人目の俺を誘った?馬鹿なのか、こいつは?
「そろそろキーちゃんとトミーも来ると思うよ。あ、来た来た、おーい、こっちこっち」
雅也は北沢と富田がこちらに歩いてくるのを見つけて、大きく手招きして見せる。やっぱりこいつは馬鹿なんだな。
そんな様子を見て、女の子三人はクスクス笑っている。
「よし、キーちゃん、トミー、俺、明美ちゃんに智子ちゃん、美咲ちゃん、皆揃ったところで、それでは今日のメインゲストの左右君を皆に紹介しまーす」
僕より先に富田が、漫才のボケとツッコミ宜しく雅也の頭を
女の子達が更に声を立てて笑う。
「痛っ。なんだ、皆左右のこと知ってるの?」
まだボケ倒そうとする雅也のことを無視するように北沢が僕の方に目を向ける。
「やぁ、おはよう、植下」
北沢の爽やかすぎる笑顔に引きつりながら、僕は「お、おう」と答えると、北沢は更に満面の笑みを浮かべて「今日は楽しもうぜ」と言った。
いいや、僕は楽しめそうにもない・・・。
駅前発の海岸行きのバスに乗り、一時間ほどで目的の海水浴場に到着だ。バスの中では一番後ろの座席を占領した雅也と富田が、相変わらず漫才の様なやり取りで女の子達を沸かせていたが、僕はCDウォークマンのイヤホンをしたまま、一つ前の窓際の席で、ぼんやり外の景色を眺めていた。
やけに空が近くに見えて、丘の先に見える入道雲にも手を伸ばせば届くんじゃないかと思えた。
あの丘を越えると海が見える筈だな。少しわくわくする。海まで来るのは久しぶりだし。
そう思いながら少し身を乗り出すように窓に顔を近づけた時、後ろから肩をポンポンと叩かれた。
北沢が座席の背もたれの上から身を乗り出し、何か話しかけて来ている。僕は片側のイヤホンを外しながら「どうしたの?」と訊き返した。
「植下、何聴いてるの?」
「ああ、これ?達郎だけど」
「え、ほんと?俺も山下達郎好きなんだよ。後でそのCD貸してくれよ、富田のラジカセで聴こうぜ。今日はアルバム何持って来てるの?」
僕はバッグの中を確かめてから答える。
「ええっと、『ビッグウェイブ』と『フォー・ユー』、それから松原みき、だね」
「誰?松原みきって?俺、知らないけど、後で聴かせてよ、植下、趣味良さそうだし」
知らないかぁ、知らないよなぁ、ちょっと残念。
「ところでさ、植下って、いつもあんまり教室に居ないけど、俺たちと居てもつまんないか?」
えらくストレートな質問だな。
「え、そうか?授業中はずっと居るぜ」
「いや、そういうことじゃなくてさ」
北沢は如何にも可笑しそうに笑って、「休み時間だよ」と付け足す。
「ああ、休み時間か。いや、何となくだよ、実験室行くのは。昼休み以外はいつも眠いから、半分寝てるし」
しかし確かにクラスにも学校にも、自分が馴染めていないのは分かっていた。中学時代の友人は殆ど工業高校か商業高校、三年生の時に一緒に勉強した連中は皆、何故だか地元を離れた学校に進学していた。
別に旧友たちを懐かしんで、新しい友人を作らないとか、そんなセンチメンタルな話ではなく、本当にただ何となく、二年と四か月ほどを過ごしている間に、そんな状態になっていただけだ。
部活は入学早々にサッカー部の顧問と喧嘩して退部していたし、文武両道を校訓に掲げるこの高校では、生徒の8割は3年生の夏前まで部活に籍を置くわけで、僕の様な食(は)み出し者は少数派なのだった。その少数派の人間で、しかも同じ中学出身の仲間がつるむことで、何とか自分達の居場所を確保していたのかもしれない。中学時代から特に親しかったわけでもない連中だったけれど、それはそれで僕にとっては悪いものでもなかった。ただ何となくだった割には、僕の中学時代の黒歴史を知っている彼らは、何かと僕を持ち上げてくれたり頼ってくれたりして、しかもチヤホヤもしてくれるので居心地は良かった。だからと言って気の置けない仲間という関係でもないのだが。
それでも僕的には何も問題は無かった。
早く三年間が終わり、学校を、地元を離れたいと思っていた僕にとって、高校生活に意味や意義は見付けられないでいたから。
学校の五教科の成績は悪くなかったし、大学受験も模試の判定では、いつも地方の国公立はA判定、有名私立もB判定程度、流石に旧帝大はC~D判定だったが、そんなところに行けるとも思っておらず、気にすることも無い。そもそも中学二年生までの成績を考えると、大学進学など夢にも思わなかったし。
それでも教師は勝手なもので、いつでも目指すところは一ランク上だ、等と戯言を言う。おかげで僕も出たくもない補習授業に半ば無理矢理出る羽目になり、早朝補習の為に早起きを余儀なくされる。
しかし、無理に決まっている。やる気も行く気もない。
真面目に補習に参加したのは最初の一か月のみ。補習の時間に机に突っ伏して寝ていた僕に、英語教師は「植下っ、やる気あるのかっ」と怒鳴るので、僕は正直に「ありません」と答えると、その教師から「では明日から来なくていいっ。お前みたいな者が居ると、他の生徒に迷惑だ」と宣告された。
僕の補習生活はあっさりと終了したが、毎朝補習に参加していると思っている親の手前、結局は毎日早くに家を出て、学校近くの公園で時間を潰すことになった。
そんな皆と同じくらい早起きをしていることを他の連中が知る訳もなく、いつも「眠い」と言っている僕を奇異に思うのは無理もない。北沢もそう思っていた様だ。
「眠いって、植下、俺等より一時間以上長く寝れてるだろ。それとも、予備校とか通って、遅くまで勉強してるのか?お前、成績良いしな」
一々説明するのも面倒臭い。
「俺がそんな
北沢の言ったことにもう一つ違和感があった。僕より北沢の方が成績は良いのだ。
北沢は言ってみれば、校訓に掲げられた文武両道の体現者みたいな男だった。剣道部の副主将を務め、成績は学年でいつも上位五人に入るくらいの優秀な男なのだ。しかも爽やかな笑顔が眩しい、男の僕でも好きになってしまいそうな好青年。
まぁ、僕とは真逆の人間ってことだ。
そんなやり取りをしているところに、今度は富田が絡んできた。
「何々?山下達郎のCD持ってきたの?クリスマスイブ?」
「バカ、達郎と言えば夏なんだよ」
すかさず北沢にツッコまれる富田。
「え、そうなの?俺、クリスマスイブしか聴いたこと無いし。じぇいあーる、とーかい、みたいな」
富田もまた僕からすると不思議な男だ。北沢と同じく剣道部で、身長は僕と変わらない175、6センチといったところだろうが、恐ろしく筋肉質な身体をしている上に、更に顔が非常に怖い。なのに声だけは異常に甲高くて、顔を見ながらその声を聞かされると、初見では、失礼とは分かっていても、思わず笑みがこぼれてしまう。
しかし、そのガタイに違わず喧嘩はめっぽう強いらしく、中学時代にはかなりの暴れん坊だったと、彼と同じ中学出身の連中は言う。
こいつも僕にとっては、怖い顔と高い声以外は憧れの存在だ。
僕自身はこいつらにどう思われているのだろう?
あれ?いつもはそんなこと思ったこと無かったような・・・
「あ、海、見えたっ」
雅也が叫ぶと、一斉に皆が車窓の外に目を向ける。
バスは丘の頂上を越えて、左にカーブを切りながら海岸に向かって下り始めていた。
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