いつか

ninjin

第1話 始まりの記憶

 初めて君と出会ったのは、小学校の3年生の頃だった。

 由紀。

 世の中にこんなに自分の好みに合致する異性が存在することに驚いた、多分。

 そしてそれから、ずっと君のことを追い続けていた様に思う、これも恐らく。

 君は美しく、賢く、そして優しくて、キラキラ輝く光の中の存在のように思えた。

 そして、僕は冷たい寂しさを感じる。


 小学校の時、僕は新学期の出欠取りが嫌いだった。それは僕の氏名のせいだ。

 当たり前だ。「植下左右」「うえしたさゆう」「上下左右」なんて、うちの親は何とふざけた名前を付けてくれたものだろう。

 本当は「さゆう」ではなく「さすけ」と読ませるつもりだったらしい(戸籍上は「さすけ」なのだ)。祖父は今でも僕を「さすけ」と呼ぶ。どちらでも余り変わらない気がした。「さすけ」なんて呼ばれているのを他人に聞かれると、やけに古臭い名前に思えて恥ずかしかった。

 だから学校には「さすけ」ではなく「さゆう」で通してもらっていたが、新学期、新しいクラスメート達の中、担任に「うえした さゆうくん」と呼ばれた時の一瞬の静寂と、その後にそっちこっちで起こる小さな笑い声が嫌で堪らなかった。

「皆さん、おはようございます。では、出欠を取ります。浅田 純也君」

「はい」

「池田友則君」

「はい」

 次は僕の番だ。

「植下左右君」

「はーい」

 敢て何事も無いかのように、ぶっきらぼうに僕は返事をする。それでもクスクスと笑いは起こる。

 新学期最初の一週間の儀式みたいなものだ。そのうち皆が慣れて笑わなくなるのだけれど・・・。

 その後も出欠取りは続き、最後の一人に。

「脇坂 由紀さん」

「はいっ」

 背後から、その返事の声を聴いて、僕は今日も一安心する。

 そんな小学校生活が4年間続いた。クラス替えの度に、彼女と同じクラスになった。

 僕は何故だか先生に好かれるようで、小学生の頃は必ず席は前から一列目か二列目だった。

 そして彼女は必ずずっと後方の席だった。先生に嫌われていたのかな?いや、多分逆だ。

 小学校5年生の時、一度だけ、彼女と隣同士の席になったことがある。よく覚えてはいないが、小学校の時の席替えは、学期ごとだったはずなので、多分3か月くらい、僕の右隣には彼女が居た。

 残念ながら、その時の僕の視線は左ばかり向いていたような気がする。そんなに近くに居たのに、未だに目を閉じて彼女の顔を思い浮かべようとしても上手く映像化出来ないのは、まぁ、そういったことなんだろう。

 仲が悪かった訳ではない。と思う。

 何故なら、皆でわいわい騒ぐ時も、僕のサッカーチームの試合の応援に来てくれる女の子達の中にも、彼女は必ず居たし、学級委員だって一緒にやった。

 放課後の委員会の帰りは、他の生徒が皆帰ってしまった後、二人で並んで帰ったりもしたけれど、どんな会話をしたかは定かでない。というより、黙ったまま歩いていたのかもしれない。

 ただ覚えているのは、僕は由紀と一緒に歩いていると、天にも昇る気分になっていたことと、別れ際、何とも言えない寂しさを感じたこと。最後に「じゃぁ、また明日」とかの一言でも言えれば良いのに、多分僕はそれすら言えなかった。

 中学生になり、僕は一年三組。由紀は何組に居たのか分からない。

僕はちょっと不良少年っぽくなったし、彼女は長めのスカートを履くようになった。

 名前のことで恥ずかしいと思うことは無くなった代わりに、「じょうげさゆう」と他の小学校から来た連中に揶揄からかわれると、無闇矢鱈と腹が立ち、そういう連中をぶん殴っては職員室に呼ばれるようになった。多分、カルシウム不足だったのだろう。もっと牛乳を飲んでおけば良かった。

 そして僕は学校の成績がみるみる急降下していったのに、由紀は長いスカートを履くようになったにも拘らず、相変わらず成績は優秀なままだった。

 僕はサッカー部の部室で煙草を吸うような馬鹿野郎になっていたのだが、彼女は陸上部で短距離走のエースだった。

 ロングスカートの制服から陸上のユニフォームに着替えた彼女は、相変わらず見ているだけで眩しかったし、どんどん手の届かない存在になっていった気がする。

 中学2年の時、同じクラスになったが、多分一年間のうちに、会話をしたのは一言二言だと思う。それも彼女に何か質問されて「うん」とか「そう」とかだけだったんじゃないだろうか。

 中学3年生になって、由紀とはまた別のクラスになってしまったけれど、同じクラスで仲良くなった男友人が、揃いも揃って成績優秀者ばかりだったせいで、僕も釣られて勉強をするようになり、おかげで、2年生の時には「絶対に無理だ」と担任に太鼓判を押されていた公立進学校に入学することが出来た。しかも入試成績上位者として、理系の特別進学クラスへの編入だった。

 由紀も当たり前の様に同じ高校に入学していた。彼女は文系だったので、同じクラスになることは無かったが、考えてみると、小学校から高校まで同じ学校に進学した同級生は10人程度しか居なかった。

 彼女が彼女のクラスメート達と楽しそうにお喋りをしている様子を見かける度に、僕の心はざわついた。

 そして思う。

 僕が由紀のことを一番よく知っている・・・おや、知らないなぁ。

 更にざわつく・・・。

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