第八章 プロポーズ
第45話 凱旋コンサート
僕と奏佑がベルリンに渡ってから数年が経った。奏佑はベルリンの音楽院を首席で卒業し、在学中にはポーランドの首都ワルシャワで行なわれる世界一権威あるとされるピアノコンクールで一位を獲得した。聞くところによると、このコンクールで一位に輝いた日本人ピアニストは奏佑が初めてらしい。奏佑の活動は今や世界に及んでいる。
一方、僕はその奏佑が一位を取ったのと同じコンクールで五位に入賞を果たした。この時はちょっとしたフィーバーを日本で引き起こした。あのイケメンゲイのピアニストとその彼氏が、あろうことかその世界の頂点に君臨するピアノコンクールで一人は優勝、もう一人は入賞するという快挙を成し遂げたと。
僕はその後も音楽院のマスターに通って勉強を続けている。それに、二人ともいまだにベルクマン教授の愛弟子としてレッスンを受けている。奏佑ほどではないが、僕もそこそこ成功したピアニストにはなれたようだ。だが、まだまだピアニストとしての人生は始まったばかりだ。音楽家にとってはこれからが勝負の時なのだ。
僕と奏佑は、日本では「イケメンカップル」のピアニストとして二人セットで語られることが多いようだ。奏佑はともかく、僕が「イケメン」だなんて、誰がそんなこと言い出したんだか・・・。だから、日本において僕は霧島律個人というよりも天才ピアニスト津々見奏佑のパートナーとして世間には認知されているようだった。
だが、僕も次第に演奏活動の幅を広げていくと、ピアニスト霧島律としての評価も少しずつもらえるようになって来ている。これからは、津々見奏佑のパートナーとしてではない、霧島律としての魅力をもっと発信していかなければならないところだ。
そんな僕らは初のデュオリサイタルを日本で開催することになった。その宣伝効果なのか、チケットはすっかり完売状態だという。会場に選んだのは、僕らの地元の市民ホールだ。あの、奏佑が初めてリサイタルを開いたホールだ。今回のデュオリサイタルは、僕と奏佑の凱旋コンサートでもあるのだ。
まもなくそのコンサートが開演する。
聴衆として、僕の旧友たちがこの場に集合することになっている。隼人、彩佳、そして弦哉もこの場に僕が招待した。何だか、プチ同窓会のような感覚で胸が躍る。だけど、まずは演奏に集中だ。同窓会はその後の話だ。コンサートを成功させた暁に、思いっ切り居酒屋で飲んだくれよう。
ブザーが鳴り、客席の照明が落とされる。僕と奏佑はそっとキスを交わすと、ステージの上に歩き出した。拍手が鳴り響く。聴衆の中に隼人がいる。彩佳がいる。弦哉がいる。福崎先生も元担任の宮沢も僕と奏佑の両親もみんなが僕ら二人に拍手を送っている。僕は思わず泣きそうになるのを堪え、奏佑と手をつないで頭を下げ、ピアノの前に座った。
弾き始めたのはモーツァルトの『二台のピアノのためのソナタ』だ。初めて奏佑と二人で弾いたこの曲を、僕らは今、再びこの凱旋コンサートのステージで弾いている。僕はひたすらに幸せだった。奏佑が弾きながら、僕に笑顔でアイコンタクトを送る。僕も奏佑に笑い返した。
二人で開いたデュオコンサートは無事にアンコールまで弾き切って終了した。聴衆からの温かい惜しみない拍手が送られる。僕らは何度もステージでお辞儀をし、花束をもらい、今日のコンサートの成功を祝っていた。福崎先生は感動したのか、一人涙を拭っているのが見えた。五歳の頃からずっとお世話になっている先生の涙に、僕も思わずグッと来てしまった。と、その時、奏佑だけがピアノの前に座った。
「え? 即興で何か弾くの?」
と僕が奏佑に小声で尋ねると、
「お前はそこで聴いておけ」
と奏佑は僕に指示した。そして、奏佑が弾き始めた今日のデュオリサイタル最後の曲はリストの『愛の夢』だった。僕は想定外の曲目が始まったため、すっかり面食らってその場に立ち尽くしていたが、その甘美な音色にだんだんと魅せられ、我を忘れて聴き入っていた。奏佑の『愛の夢』はこいつと出会ってから何度も聴いて来たのだが、この時ほど美しい『愛の夢』を僕は聴いたことがなかった。
最後の和音がホールの中に染み渡るように消えていく。盛大な拍手が巻き起こったその時、いきなり奏佑が僕の前に跪いた。聴衆がどよめく。すると、奏佑は僕の前にポケットから四角く小さな箱を取り出した。その箱の蓋を奏佑が開けると、ホールの照明に照らされて燦然と光るダイヤモンドの輝きが目に飛び込んで来た。
「霧島律」
奏佑が切り出した。
「俺は、これまでもずっとお前と一緒にやって来た。俺の人生は律なしではもう考えることができない。世界で一番律を愛している。結婚してくれ」
僕は一瞬何を言われたのか理解できなかった。しかし、次の瞬間涙が滝のように流れ出した。
「・・・はい。僕も、奏佑のこと、この世界で一番愛してます。僕も奏佑と結婚したいです・・・」
僕は泣きながらそう答えた。会場から歓声と拍手が沸き起こる。奏佑は僕の指にその指輪をはめると、僕を抱きしめ、熱くとろけるようなキスを交わした。僕は奏佑とずっとずっと抱き合ったまま温かい拍手に包まれ涙を流し続けていた。
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