第七章 決断の時

第39話 海の向こうからの誘い

 僕は父さんに、奏佑との恋人関係を何があっても続けていくつもりだと伝えた。母さんは相変わらず、僕と奏佑の関係を拒絶したままだったが、父さんは


「そこまで言うなら、好きにやってごらん」


と完全に受け入れてはくれないまでも、僕らの関係を認めてくれた。父さんが母さんを説得してくれた結果、僕にピアノをやめさせるという話も結局立ち消えになった。


 僕は相変わらず奏佑と一緒に昼休みを音楽室で過ごし、福崎先生のレッスンを受け、家に帰ってピアノの練習をしている。時たま奏佑とコンサートに出かけ、奏佑の本番の日にはほとんど甲斐甲斐しく奏佑の緊張をほぐしたり、飲み物を買いに走ったり世話をしている。奏佑がコンサートで演奏できるのは、実は僕の「内助の功」ってやつのおかげだと自画自賛している。


 だが、気懸りなことが一つある。国際ピアノコンクールを制してからずっと僕との肉体関係を激しく求めるようになっていた奏佑が、ここ最近その程度が異様なほど増し、僕との性交をより激しく求めるようになって来たことだ。今夜も僕と激しく交わった奏佑は、汗だくになった身体を投げ出し、荒い呼吸を整えていた。僕も何度も繰り返される奏佑の激しい性交にすっかり疲れ果てていた。僕は思わず奏佑に


「奏佑、最近のエッチ、ちょっと激しすぎるよ。もうちょっと緩くやらない? 僕の体力がもうもたないや」


と言った。だが、奏佑は全く取り合ってはくれない。


「あ? そんなことないだろ。俺はただお前が可愛いから俺の感情の赴くままにお前を可愛がっているだけだ」


「でも、以前はこんなに激しくなかったよ? 最近になってからだよね。なんかあった?」


僕がそう尋ねると、奏佑は僅かにピクリと反応したが、


「ああ、俺、シャワー浴びてくるわ。お前も来るか?」


と僕の質問をはぐらかしてしまった。




 それから数日経ったある日、奏佑はオーケストラとの共演の本番を迎えた。いつものように奏佑はフルオーケストラを相手に堂々とした演奏を繰り広げ、多くの聴衆から花束を受け取って楽屋に戻って来た。僕は奏佑からそれを受け取ると、持って帰りやすいように大量の花束を整理していた。すると、奏佑と指揮者との会話が聞こえて来た。


「津々見くん、ドイツに行くんだってね。いやぁ、今の若いうちに音楽をヨーロッパで勉強しておくことは絶対にしておいた方がいいからね。応援しているよ、頑張ってね」


僕の耳にその指揮者の言葉がはっきりと聞こえて来た。ドイツ? ヨーロッパ? そんなこと一度も聞いてないんだけど。僕の手は完全に止まっていた。そこに奏佑が汗をハンカチで拭いながら入って来た。


「律、ありがとう。今日も律にいろいろ世話になっちゃったな。後で美味しい物でも食べに行こうか」


奏佑の声がどこか遠くから聞こえてくる気がする。


「律、どうかした? 律! りーつっ!」


奏佑が僕の名前を呼びながら肩に手を置いた。その瞬間我に返った僕は奏佑を問い詰めた。


「奏佑、ドイツってどういうこと? ヨーロッパで勉強するって、そんなこと僕、聞いてないんだけど。さっきの話、なんだったの?」


奏佑は一瞬凍り付いた表情をしたが、大きくため息をつくと次のような話をした。


「ごめん。律が悲しむと思って、なかなか言い出せなかったんだ。俺、実はさ、ベルリンの音楽院の教授からこっちに来て勉強しないかって誘われているんだ。ずっとヨーロッパで音楽を勉強したいと俺、思っていたからドイツ語の勉強もしていたわけ。でも、コンクールで優勝して、こうやってコンサートもどんどんやるようになった時、その先生がたまたま俺の演奏を聴いていて。ぜひうちにおいでって言ってくれてさ。だから、俺は高校を卒業したらベルリンに渡るつもりでいるんだ」


 嘘・・・。そんな大事なことも知らずに、僕は普通に奏佑と付き合っていた。奏佑がドイツ語をわかる理由も特に深く考えていなかった。恋人であるくせに、僕は奏佑のことを何も理解していなかったんだ。


「・・・そうなんだ。おめでとう・・・」


僕は震える声で奏佑の門出を祝った。そうだ。本来、ここは喜ばなくてはならない所だ。奏佑が夢を叶え、もっと上のレベルを目指して旅立とうとしているのだから。しかし、これは僕と奏佑が離れ離れになることを意味していた。僕は唇をギュッと噛みしめた。


 すると、奏佑はいきなり僕を抱きしめた。


「律、悪いな。本当に黙っていて悪かった。俺、本当はうれしい話のはずなのに、律と別れて暮らすとなると、淋しくてさ。律のこと離したくなくて・・・」


だから、僕を夜な夜な激しく求めていたってことなのか。僕も奏佑と離れたくない。そう叫びたくなる気持ちをぐっと堪え、


「よ、よかったじゃん・・・。僕、嬉しいよ。奏佑がこれから世界に羽ばたいていくんだから・・・。とっても嬉しいんだ」


と言いながら、僕は涙が止まらなくなっていた。笑顔を作るのももう限界だった。僕の顔は完全に泣き顔になり変わり、奏佑の胸に顔をうずめて泣き出した。奏佑も僕と一緒に泣いていた。僕らは抱き合ったまま泣き続けた。

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