第5話 その本、面白そうですね
翌週のお見合いも、温室に用意されたテーブルで行われる事になった。
二人きりのお茶会で、テーブルの上に用意されているティーセットは二セットなのに、用意されている椅子は四脚。
もちろん、私と王太子殿下それぞれの本置き場として二脚余分に用意されているのである。
先週、二人で二時間読書して過ごしたという報告を受けた父は頭を抱え、ティアは私の隣でお腹を抱えて笑っていた。大爆笑である。
笑いすぎて呼吸困難になり、下の妹二人に抱えられて部屋へと戻されていた。
父と母は、いよいよ王太子殿下から「婚約の打診は無かったことに」という通達が来るのでは無いかとハラハラして数日を過ごしていたが、ようやく届いたお手紙は「来週もうかがいます」という内容のものだった。
「諦めてくれない……」
繰り返すが、私は父と兄のすねをかじって公爵家で一生を過ごすつもり満々なのだ。私の人となりをしっかりと知ってくれている家族万歳。
今更、知らない人のお家の子になるなんて耐えられる気がしない。しかも王太子殿下に嫁ぐと言うことは、将来的にはこの国の王妃になるということである。
絶対に忙しいでしょう、王妃なんて。
王族の女性というのは、外交や社交がお仕事だというじゃないか。人間が嫌いで人間と会話するのが苦痛である私に出来る仕事では無い。絶対にだ!
季節が一つ進む時間、私と無言のお茶会をしてきた王太子殿下にそれがわからないはずが無いのに、なぜ断ってこないのだろうか。
謎は深まるばかりである。
「王太子殿下がおこしになられました」
メイドの告げる声で顔を上げる。
私は今日も本を読んで待っていたのだが、王太子殿下がなぜ断らないのかについて考えていたのでちっとも頭に入ってこなかった。
私は表紙から少しだけ進んだページにしおりを挟み、隣の椅子において立ち上がった。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
ぺこりと淑女の礼をして、王太子殿下の礼を受ける。
二人そろって椅子に座れば、読書タイムの始まりである。
「今日は何という本を読んでいるのですか?」
早速続きを読もうと思って隣の椅子から本を持ち上げたところで、王太子殿下が声を掛けてきた。
まぁ、他人の読んでいる本のタイトルが気になるという気持ちはわかる。
わかるので、私はタイトルが見える様に表紙を前にして本を突き出して見せた。
今回読んでいる本は装飾が凝っているのでパッと見てタイトルが読み取りにくい。そのせいだと思うのだけど、王太子殿下がテーブルに手を突いて身を乗り出してタイトルを確認してきた。
うう。良い匂いがする。
こちらに向かって身を乗り出すというたったそれだけのささやかな行動で起こったささやかな空気の動きによってささやかに香りが漂ってきた。
なんだろう? 柑橘系みたいな、ハーブみたいな、爽やかな匂いがする。
王子様というのは体臭まで爽やかな物なのか、それとも何か香水をつけているのだろうか。
ちなみに私は香水は付けていない。一応、王太子殿下とのお見合い前には入浴しているので臭くは無いはず。たぶん。
だいじょうぶだよね?
チラリと後ろに控えているメイドに目配せするが、力強くうなずいた彼女はお茶を入れ直してくれただけで背後に戻っていった。
お茶がぬるいから入れ替えて、なんてつもりで目線を送ったのでは無いだのけれども仕方が無い。
人間は意思疎通が難しいイキモノなのだ。
「『装飾刺繍の歴史と物語』ですか、面白そうな本ですね」
ゴテゴテに装飾された装丁からタイトルを読み取れたらしい王太子殿下は、そういって椅子に座り直した。
無事にタイトルを読めたらしいので私も突き出していた手を引っ込めて本を目の前で開く。
ここから、漸く二時間の読書タイムだ。落ち着いて、自分の思考にふけることが出来る。
『装飾刺繍の歴史と物語』は、刺繍の図版に込められた意味や、それが作られた時の逸話などが載っている本である。兄嫁の産んだ子の綿着に何か刺繍をしてあげたいと思って、せっかくなら健康や将来の夢やそういった諸々の願いを込めて刺繍をしてあげようと思ってこの本を読んでいる。
しかし、内容の半分ぐらいは血なまぐさい逸話になっているのであまり読み進められていない。
とある王国に代々伝わる戴冠式用のマントに施されている豪華な薔薇の刺繍は、戴冠式当日にクーデターが発生してしまい、穴が空いて血が付いてしまった部分を隠すために施された刺繍だと書いてあった。代々伝わる歴史的意味のあるマントなので、どうしてもクーデター側がそのマントで戴冠式をすることに固持したため、血痕と穴を塞いだらしいのだが、銀糸で刺繍したにもかかわらず地の布から血がにじみ出し、赤い薔薇になっているという。
おっかない。なんておっかないんだ。
そんな刺繍にまつわるおっかない話がいくつも載っているし、お手本用の図版も載っているのだ。
だれがそんな縁起の悪い刺繍をまねるというのか。
赤子が健康に、幸せに育つように願って作られた刺繍の逸話が無いかと思って順に読んでいるところなのだ。
「今日、私が読む本はこちらです」
「?」
手元の本に思いを寄せていたら、王太子殿下からまた声を掛けられてしまった。
私の中ではもう今日の会話は終わっていたので驚いたが、顔を上げてみれば王太子殿下も本の表紙をこちらに向けて精一杯腕を伸ばしていた。
「『温泉は枯れるのでは無く移動する物。枯れた温泉地の復興をめざし、移動した源泉を探し出したとある村の記録』」
イヤに長いタイトルの本だ。
私が声に出してタイトルを読み上げれば、王太子殿下は嬉しそうに頷いて本を手元に戻した。
本の下側を膝の上に置き、背表紙をテーブルに預ける形で本を開き、抜いたしおりをティーカップの隣にそっと置いていた。
そこまでの所作の何もかもが上品で優雅である。さすが王太子殿下というイキモノは違う。
しかし、温泉は枯れるのではなく移動する物。なんて面白そうなタイトルなんだ。
私は温泉という物に一回しか入ったことが無いのだが、アレはとても良い物だった。いつだったかは忘れたが、兄だか姉につれていかれた先で二泊ぐらいしたんだったっけかな。朝でも昼でも、真夜中でも、好きなときにお風呂に入ることができるのだ。メイドに「湯を沸かしてほしい」とお願いをしなくても、常にお風呂が沸いている、素晴らしい体験だった。
私は人と関わり合うのが煩わしいので、一人で出来る事はなるべく一人でやってしまいたい性分なのだけれども、食事を作って貰ったりお風呂を沸かして貰ったりというのはどうしたってメイドや従僕に頼まなければならない。
それが、温泉地では一人で勝手にお風呂に入ることができるのだ。
すばらしい!
しかし、そんな温泉もお湯が出きってしまうと枯れてしまう事があると聞いた事があった。雨が降って地に染みこみ、長い時間を掛けて地下にたまった物が地熱で暖まった物が再び地表に湧き出てきたり、もしくはそんな地下にたまっているお湯を吸い出したりする事で温泉となっているのだそうだ。
温泉を売りにした観光地などは、温泉が枯れてしまったら大打撃だろう。
王太子殿下の読んでいる本は、温泉が枯れてしまった村が復活をかけて新たな源泉を探し出した話とかだろうか。
それとも、本当に温泉は枯れるのでは無くて源泉が移動しているという事があるのだろうか。
気になる。
「王太子殿下、そろそろお時間です」
王太子殿下の連れてきた護衛騎士が告げる声で、お茶会は終わった。
「では、また」
王太子殿下はそう言って本を持って帰って行った。
兄嫁の子に送る綿着の刺繍について本を読まなければならなかったのに、王太子殿下の持ってきた本の内容が気になって集中できなかった。
まあ、冬にはまだもう少し時間があるのでゆっくり読んだって良いんだけどもさ。
王太子殿下は、「では、また」と言って帰って行った。だから、きっと来週も来るのだろう。
私は、ほんのちょっとだけ来週が楽しみになった。
次はどんな面白そうな本を持ってくるんだろうって。
人間嫌い令嬢のお見合い 内河弘児 @uchikawa
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