第57話「ゆるだら令嬢の怒り」


  「――さあ、今一度選ばせてやろう。恭順か。我が毒に意思を奪われ、死にながら生きるか……」


 その理不尽な二択を掲げて、獣化したジデルはあたしの前に立ちはだかる。


 ――あたしの目の前で、メルベルとガーコちゃんを奪った悪魔が。


「………」


 それを前に、あたしの頭の中は真っ白になっていた。


 ついさっきまでガーコちゃんだった石の破片をぼんやりと眺めたあと、メルベルの姿を探す。


 でも、彼女はどこにもいなかった……


 さっき、彼女がジデルの毒のブレスで跡形もなく焼却されたのはまぎれもない現実だと、にわかに頭が理解する。


「よくも……」


 途端、真っ白だった頭がたちまち、とある感情に染まっていく。


 ――怒りだ!


「よくも、ふたりを……!」


 あのふたりはあたしにとっても家族同然の大事な存在……ガーコちゃんがやられた時のメルベルと同じ真っ赤な感情が、遅まきながらあたしの中からあふれ出す!


「ああああああああああっ!!」


 今までゆるだらに過ごしてきたあたしには、全然縁のなかった激しい衝動……


 相手を絶対許せない……生かしてはおけないという、“殺意”。


 その扱い方も知らず、あたしは感情に任せてただ叫ぶことしかできない。


 ……でも、それだけで十分だった。


「こ、この力……!」


 激情をあらわにしたあたしに、ジデルの巨体がはじめて怯んだ。


 ――正確には、あたしの感情の爆発とともに発生した魔力の波動が、あいつの体を揺るがせたのだ。


 その力の余波は、強固に作られているだろう修練場の壁や床も激しく揺らす。


「まさか目覚めたというのか……」


 全体を揺らすこの振動に耐えながら、ジデルはそんなことをつぶやく。


 ……激しい怒りに振り回されながら、あたしもなんとなく気づいた。


 あたしが魔王になった原因……以前、ユーリオの体から吸い尽くした、先代魔王から受け継いだという強大な魔力。


 これまでたいして力を発揮してこなかったそれが、あたしの怒りを栄養としたように急激に、あたしの中から膨れ上がるのを感じた。


 やがて、ただの衝撃の奔流でしかなかったそれは、あたしのとある一念のもと具体的な形をとりはじめる。


 あたしの全身からただ垂れ流されていた魔力が収束し、あたちの周りに浮かぶ無数の弾丸へと変わったのだ。


「し、ね……!」


 あたしの中に生まれてはじめて生まれた、明確な殺意……!


 それに呼応するように、あたしの魔力は黒い魔法弾となって、あたしの殺意の対象……ジデルへと向かった!


「ぬおおおおおおおおおっ!?」


 目にも止まらぬ弾のスピードにくわえ、予想だにしなかった状況に気後れしていたジデルは、ほぼ棒立ちのままその攻撃をくらう羽目になる。


 あたしの殺意の具現たる無数の弾丸はすべて、あいつに向かって発射された。




 ――けど、それでもジデルは五体満足のまま、そこに立っていた。




 弾は間違いなく全弾、あいつの方に向かった。


 でも、ジデルの体はあちこち傷ついてはいるけど、それでも端っこから少し血がにじんでいるだけ……


 あいつの背後の壁には、弾丸が命中したと思しき無数の亀裂。


 あたしの魔力の弾丸はすべて、棒立ちだった標的の急所を外れ、その体をかすめただけだったのだ。


「あれ……」


 この結果に、あたしの頭から一気に熱が抜けていく。


 ……考えてみれば、攻撃らしい攻撃型の魔法を使うのは、これが生まれてはじめて。


 そんなあたしに、敵を正確に射貫くエイム力なんてあるはずもなかったことを、冷静になった頭はすぐに理解した。


 ジデルも終始圧倒されていたように固まっていたけど、状況を察するやにやりと笑みを浮かべる。


「ふ、ふふ……驚かせてくれおる。だが、所詮は奪った魔力のみを頼りに魔王になっただけの、領主の娘! いくら強大な魔力が目覚めたといっても、それだけで敵を倒せるなどという都合のいいことがあるわけないのじゃ!」


 ……それは、そうだった。


 でも、メルベルたちの仇をとるには……あたしが生きのびるためには、なんとしてもこいつを倒さなきゃいけない!


「う、うああああああああっ!!」


 その重圧にかられ、あたしはなりふり構わず魔力を放出した。


 あたしの攻撃性に反応したように、そう念じるまでもなく弾丸を形成する魔力。


 それを、あたしは一心不乱に発射した。


「フン、当たらぬとわかれば恐れるに足らず!」


 けど、ジデルはそれでも悠々とあたしに向かって歩みだす。


 あいつの言うとおり、あたしの弾丸はあの巨体にすら、全然当たる気配がなかった。


 よしんば当たったとしても、肩や足をかすめるだけ……


 しかも、今度は流血すらない。


 ……弾の威力が明らかに落ちている。


 今のあたしにあるのはジデルへの殺意ではなく、がむしゃらな生存本能と恐怖だけだった。


 ……付け焼刃の魔力弾じゃ、使い物にならない。


「なら、これで……!」


 あたしは放出した魔力はそのままに、魔法のイメージを変えた。


「眠れ! 眠れぇっ!」


 当たらない弾丸をいくら撃ってもダメ……


 だから、あたしはジデルを無力化するため、“昏睡の禁呪”を繰り出した。


 けど……


「バカめ! そんなめちゃくちゃな精神状態で、禁呪を操れるものかァッ!!」


 ジデルにはまったく効果がなく、気がつくとすでにあたしの目の前まで迫っていた。


 そして、苛立ちにかられたように、ジデルはその巨腕を横なぎに振るう。


「ぎゃんっ」


 その攻撃をよけるすべがあるはずもなく、あたしはいとも簡単に吹き飛ばされた。


 ……多少は加減してはいたのだろうけど、それでもあたしにたいしたケガはなく、軽い打ち身程度で済んだ。


 放出した大魔力が、防壁の役割を果たしてくれたみたい……


「うぅ……」


 でも、所詮あたしは戦いどころかケンカも知らない、ただのゆるだら令嬢。


 たった一発はたかれただけで、腰が抜けて立ち上がれなかった。


 そのあたしにのしっと歩み寄り、やたら高い位置にある顔で見下ろすジデル。


「とはいえ……」


 その視線が、おもむろに周囲を見渡す。


 あたしの前方の壁や床は、今の魔法弾の威力ですっかりボコボコになっていた。


「この修練場は高位魔族の全力にも耐えられるよう、かなり強固に造られているはず。それをここまで破壊するとは……」


 そうつぶやくジデルは神妙に目を細め、冷や汗を流していた。


 結果的にあたしの攻撃は当たらなかったけど、それでもその威力にかなり警戒心をあおられているようだった。


「こんな力を持ちながら、まったく操れないなどむしろ危険。それに、これほど戦闘の痕跡が残ってはもはや言い逃れもできまい。ならば、せめてお前の命だけでも……」


「え……」


 ふたたびジデルの視線があたしに向けられた瞬間、背中がぞくりと冷たくなる。


 そこから感じるのは、明確な殺意……


 恭順を誓わせるにせよ、意思を奪って操るにせよ、あたしを生かしたまま手に入れようとしていたジデルだったけど、この瞬間こいつは本気であたしを殺す気だった。


「娘子を直接殺すなど、さすがのワシも気が咎めるがやむなし……せめて、ひと思いに叩き潰してくれよう」


 若干の情を覗かせながら、それでも妥協の余地なくあたしに拳を振り上げるジデル。


 あんな巨木みたいな腕を本気で振り下ろされたら、あたしの体なんて一発で原形も残らないくらい、ぐちゃぐちゃにされる……




 ……あたし、死ぬの?




 むりやり魔王にさせられたあげく、そのせいで理不尽に死んじゃうの?




 そんなの……




「そんなのいやだあああ~~~~~っ!!」




 迫りくる死を前に、あたしの思考回路はぷっつんした。


 魔王ならもっと潔く死ぬべきなのかもしれないけど、あたしは本当の魔王なんかじゃない。


 自分の死を冷静に受け入れる覚悟なんて、あるはずもない。


「いやだああ~~っ、じびだぐだびいぃぃ~~~っ!! だでがぁぁ~~~っ、だずげでええええ~~~~っ!!」


 だから、あたしは泣き叫んだ!


 死の恐怖を我慢するのも無理!


 涙と鼻水とよだれで顔がぐしゃぐしゃになろうと、そのせいで滑舌が悪くなろうともかまわず、泣き叫んだ!


「ぐっ、なんとみじめでみっともない……所詮は、魔王の資質なき甘ったれの小娘か。もういい、死ねいっ!」


 そんなあたしの醜態がかえって相手の神経を逆なでして、ジデルはついにその巨腕をあたしに振り下ろす。


「フィリィィーーッ! フィリイイイィィィーーーッ!!」


 それでも、あたしは助けを求めた。


 名前を呼べば、いつでもひとっとび。


 かならずあたしを助けてくれた無敵の執事の名前を叫んだ。


 それでもジデルの巨腕は止まらず、あたしを襲う。




 ――けど、突然あたしの前に降り立った一筋の光が、それを遮った。




「ぬぅわっ!?」


 その衝撃にジデルは振り下ろした拳もろとも怯み、あたしは強烈な風圧と煙にまかれる。


 それも一瞬で過ぎ去り、おそるおそる目の前の光景を確認すると、そこにはあたしのよく知る人物が立っていた。




「――はい、お嬢様」




 いつもと同じように、穏やかにほほ笑んだ顔をあたしに向ける青年。


 それは、背中に漆黒の翼をはやした“黒い天使”――フィリエルだった。




 ◆




「ぐ、ぁ……バカ、な……」




 ――“彼”との戦いののち、そこには全身くまなく打ちのめされ、虫の息で倒れ伏せる獣人が残されていた。


 その父の姿をしばらく呆然と眺めていた少年ミランは、ぼーっとなにかに導かれるように、空を仰ぐ。


 戦いを終えて間もなく彼が飛び去って行った、その空を。


 ミランの脳裏に、その戦いは鮮烈に刻み込まれていた。


 どんな高位魔法をものともしない肉体と強さを持つ獣魔族ビースター領領主にして獣魔族ビースター最強の男ガラドを、彼はたった一発の魔法で、あそこまで完膚なきまでに打ち倒したのだ。


 彼の宣言どおり、ガラドはボコボコにされ、みじめに地に這いつくばっていた。


 そんな父への侮蔑も情けも、今のミランにはなかった。


 その胸にあるのはただひとつ……


「フィリエル、さま……」


 黒くも美しい双翼を羽ばたかせ、息をのむほどの鮮やかさで父を倒して空へ去って行った彼に対する、淡い憧憬しょうけいの念だった。

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