第56話「獣魔の巨人」
「ふぅ……ふふふ。“獣化”など、何百年ぶりかの……」
「こ、これが
あたしたちを見下ろし、重低音の声を漏らす巨大な獣人。
声はすこし様変わりしてるけど、その口調はたしかにジデルのものだった。
獣化……たしか、
って、魔王になるときに散々知識を叩き込まれたときに教わっていた。
でも……
「こ、こんなにおっきくなるなんて聞いてない……! それ、ほんとに獣化!?」
普通の獣化は頭や手足が獣に近くなり、その体は獣毛に覆われ、体が多少肥大化する程度の変化のはず……でも、ジデルのこれは身長が三倍以上に伸びてるし、骨格からしてもう別人。
それに、毒を注入して獣化するなんて話、聞いたことがなかった。
「無論、ただの獣化ではない。ワシの老いきった肉体では、もはや自力の獣化もままならないからの……だから、“狂化毒”でワシのなけなしの生命力と魔力を爆発的に上げ、肉体を強化したのだ……ふふ、火事場のクソ力というヤツかな」
「そ、それって……」
いかにも体に悪そうなんですけど……?
あたしがその言葉を言いあぐねていると、ジデルの獣面がにやりと笑みを浮かべる。
「察しのとおり、これはわしの命を著しく削る、禁断の技……だから、手早くケリをつけさせてもらうぞ! おおおおおおおおおっ!!」
そう言って、まさに獣のごとく咆哮するジデル。
その敵意が、殺意が、刺すような睨みとともにあたしたちに向けられる。
「がーーーっ!!」
それに反応するように、ガーコちゃんがまっさきに飛び出した。
小さかった手を強靭な魔獣の腕に変え、角と翼もはやした戦闘形態になって、獣化ジデルに果敢に挑む。
彼女はわたしを守るため作られた“ガーゴイル”……その存在理念に則り、あたしの命をおびやかす脅威に真っ向から立ち向かった。
「しゃらくさいわああァァッ!!」
その彼女に対し、獰猛な獣魔の本性をあらわにして叫ぶジデル。
ガーコちゃんの何倍も大きい巨体が、その腕を振り下ろした。
「が……」
その攻撃に、自らも自慢の怪力をぶつけるガーコちゃんだけど、質量の差は歴然。
ガーコちゃんの攻撃はジデルの攻撃に拮抗することもなく、その腕ごとガーコちゃんの体が粉々に砕けた。
「ガーコちゃ……」
空中で粉砕され、ゴトゴトと地に落ちるガーコちゃんの破片。
彼女の体は魔法で普通の魔族と変わらないように見えるけど、その本質は石……まさしく石くれと化したガーコちゃんの体は無慈悲に床に転がる。
唯一原形をとどめたガーコちゃんの胸から上の部位も、たちまち色が失せてただの石像に戻る。
体の大部分が壊れたせいで、彼女を魔法生物たらしめていた魔力も失われたのだ。
そのガーコちゃんだった石くれを、ジデルの巨大な足が容赦なく踏み砕いた。
……あまりに一瞬。
その光景を、あたしは言葉もなく、ただ茫然と眺めるしかできなかった。
「よくもガーコちゃんを~~~っ!!」
そんなあたしと対照的に、猛烈な怒りにかられるメルベル。
「待って、メルベル……!」
その声にはっと我に返って思わず彼女を止めようとするけど、メルベルはそれにかまわずジデルに向かって飛び出した。
あんなメルベル、はじめて見た……
いつもテキトーにふるまっていたけど、同じ時期にパパに造られた魔法生物として、ガーコちゃんにはただのメイド仲間以上の、姉妹同然の絆を感じていたのかもしれない。
その妹をやられた激情に突き動かされ、メルベルがジデルに襲い掛かる。
「バカめ、真正面からかかってこのワシに勝てるか!!」
そのメルベルに対して、腕を振りかぶるジデル。
このままでは、ガーコちゃんの二の舞だ。
けど……
「むぅっ!?」
メルベルに対して拳を振るったジデルが、驚きに目を剥く。
あいつの攻撃はたしかにメルベルに直撃したけど、とたん彼女の体はガムのようにびろーんと広がってジデルの攻撃を受け止めたのち、ぼよよーんとはね返した。
「へへーん! そんな力任せの攻撃、わたしには効きませ~ん!」
メルベルの正体はスライム……全身液状の体が持つ柔軟性が、ジデルが繰り出した拳の衝撃を吸収して無効化したのだ。
いくら力自慢でも、それが物理攻撃であるかぎり、メルベルの体を破壊することはできない。
ジデルの攻撃を防ぐと、すかさずもとの人の形に戻って、ジデルに飛び込むメルベル。
「さーって、その図体にはさぞかしエナジーがたっぷり詰まってるんでしょうねぇ! このメルベルさんが、残さずたいらげてあげましょーか!」
スライムの最大の武器は、捕らえた相手の生命力を吸い取り、骨になるまで体を溶解させるオールドレイン……メルベルはこのままジデルの体に密着し、あいつのすべてを吸い尽くす気なのだ。
(あれ、これもしかして勝てちゃう……?)
意外なくらいメルベル優勢の展開に、あたしはそんな希望を見た。
「ならば、これはどうじゃァッ!!」
でも、自分の顔面に向かってとびかかるメルベルに対し、ジデルはその大きな口を開ける。
そこから放たれたのは、濃厚なガスだった。
メルベルは自ら飛び込む形で、それを全身で浴びてしまう。
「ぎゃああああああああああっ!?」
途端、悲痛な叫びをあげるメルベル。
その体が、メイド服はおろか肌まで(まぁ、擬態してるだけで全部メルベル自身の体なんだけど)すごい速度で焼けていく。
まるで強力な酸を浴びたような、そんな様だった。
そのガスの中で、メルベルの体は急速に焼却されていく。
「お嬢、さま……」
こっちを一瞥したのを最後に、メルベルの姿はガスの中に溶け消える。
やがて、ガスの噴射が止まると、そこには彼女の体は一片たりとも残っていなかった……
「メル、ベル……?」
この展開に理解が追いつかず、あたしはその名を絞り出すので精いっぱいだった。
「ふぅ……ワシの全身をめぐる猛毒と強化された魔力をブレンドした、とっておきの“魔毒”のブレスだ。いくらスライムといえど、これを浴びればひとたまりもあるまいて」
そんなことを言いながら、口からしたたり落ちる毒液をぬぐうジデル。
あいつの言うとおり、実際ブレスを受けたメルヒアは跡形もなく、この世から消滅してしまった……
「さて、次はお前の番だ……」
一瞬にして、あたしのメイドたちを葬り去った悪魔……
その悪魔の邪悪な形相が、あたしに向けられた。
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