第45話「甘やか執事とすっとぼけ領主」


 屍魔族コープス領領主リチル様に話を聞くため、部屋を訪れた僕ら。


 ところがドアから出てきたのは、全身骨のリチル様とは似ても似つかぬ、眠たげな顔をしてどこかはかない印象をまとった美女であった。


 ……しかも、どういうわけか全身びしょ濡れの裸体姿で、それを一切隠さず僕らの前に立っている。


「何用だと言っている」


 その姿に面食らって固まる僕らに、女性は憮然としてそう告げる。


「あの、あなたは……?」


「お前たちは、ここが誰の部屋とも知らずぶしつけに訪ねてきたのか?」


「そ、それでは、まさか……リチル様、ですか?」


 おそるおそる僕がそう尋ねると、


「お前たちがリチル=ネクロシアの部屋を訪ね、ここに私がいるのだからそうに決まっておろう」


 女性は、不遜にそう断言した。


 ……姿も声も別人だけど、たしかにこの人を食ったような言動、口調はリチル様のものと一致していた。


 あまりに信じがたいことだけど、この方は本当にリチル様らしい。


「そのお姿は……?」


「ああ、なるほど、これに驚いていたのか」


 などと言いながら、両腕を動かして自らの体を見回すリチル様。


 ……正直、そんな姿であまり動かないでほしい。


 僕は視線をそらし、なるべく彼女を視界に入れないようにした。


「なに、ちょっとした気まぐれだ。私とて不意に生身の肉体であったころが恋しくなることもある……だからたまに魔法でこの体を複製し、過ごしている。今は、久方ぶりに湯あみなぞしてみていたところだ」


 ……つまり、これがリチル様の本来のお姿。


 普段は骨だから性別がわからないとはいえ、まさか女性だったとは……


 しかも、湯上り……それなら裸なのも頷けるし、どうりで体が濡れているわけだ。


「なにぶん、こんな部屋に閉じ込められ、おまけに監視もされて身動きがとれない状況だ。こうでもして気を紛らわせないと、退屈でな。相手がナーザ殿となれば、私とて出し抜くのは容易ではない」


 ナーザ様の強大さは一定以上の権力者なら誰もが知るところだけど、リチル様は特にそれを実感しているかのような口ぶりだった。


 ……ところで、その全裸でうろつく姿もナーザ様にばっちり見られていると思うけど、それはいいのだろうか?


「それで、今一度訊く……何用だ?」


 リチル様は依然としてそこに佇んだまま、みたび尋ねてくる。


「いえ、その……今回の事件のことで、リチル様から少々お話を聞きたいと思って」


「ああ、お前たちがナーザ殿の言っていた者か……いいだろう。では、中に入れ」


「あの、その前に……失礼ですが、なにか着ていただけないでしょうか?」


「ん? ああ、そうだったな……裸体ではいささか都合が悪いか。すまないな、死体のまま生き続けて数千年、生身の感覚をすっかり忘れていてな……これは所詮、過ぎ去った思い出を懐かしむ“ごっこ遊び”でしかないのだ」


「それでも、かつての肉体をそう容易く複製なさるなんて、さすが“リッチ”……想像を絶する魔力をお持ちなのですね」


 僕の横にいるシャロマさんが、感嘆するように言った。


 リチル様の正体は、“リッチ”……強大な魔力を持った魔族が自らの意思と呪法でアンデッド化したものだ。


 屍魔族の中でも最高位と言っていい存在である。


「見た目だけだ、五感も生身だったころの感性もとうにない。この姿でも、私の本質はあくまで死体なのだ」


 シャロマさんの言葉に対し、リチル様はやはり感情が希薄な口調で淡々とそう言った。


 自分を卑下している……というよりは、自分にすらあまり関心がない。


 そんな無感情な口ぶりだ。


「では、私は着替えてくる。お前たちは部屋に入り、適当にくつろいでおけ」


 そう言って、ぺたぺたと部屋の奥へ去るリチル様。


 彼女が別室に入るのを音で確認して、僕らは部屋へ入る。


 リチル様が濡れた体のまま歩いたせいで、当然部屋の床にはあちこち湿った足跡がついていた。


 ……生身の感覚が薄いからって、これはちょっと無頓着すぎじゃないかなぁ。


 足跡がどうしても気になったので失礼ながら、リチル様が戻ってくるまで僕らは部屋を軽く掃除しておくのだった。






「待たせたな」


 しばらくして戻ってきたリチル様は、普段の邪悪な呪術師めいた黒いローブを纏い、さらに体の方も骨に戻っていた。


 あらためて、この骨格があの美しい女性だったと考えると驚きだけど、いつもの見慣れた姿にすこしだけ安心した。


「話をするなら、この姿の方がお前たちも落ち着くだろう」


「ええ、まあ……」


 それはそのとおりなので、素直に肯定しておく。


 そうしてリチル様は僕らが座っていた向かいのソファーに座った。


「さて、事件について話があるとのことだが……」


「はい、これまでの調査の結果、僕らは今回の事件と、過去のケイム様と先代魔王様の死に関連がある可能性にたどり着きました。もしや、おふたりの死は何者かによる暗殺であり、その者が今回クゥネリア様をも亡き者にしようとしたのではないかと……」


「ほう……」


「それで、ケイム様がお亡くなりになった当時から、定例議会に出席していた方々からお話をうかがおうと思った次第です」


「なるほどな。そのメンバーというと、私とガラド、ヴィザル、それにギアレス……そして三賢臣さんけんしんの方々といったところか」


「よく覚えていらっしゃいますね」


「この体になってから時間の感覚も薄れてな……たかだか百年程度など、つい先日のようなものだ。ま、アンデッドとしては私はまだマシな方だろう。中には、過去と現在の区別もつかず、はるか昔の禍根にとりつかれたまま生き続けている者もいる……まったく、愚かなことよ」


 その文言は、うんちくに見せかけた誰かへの批判のような気がした。


 でも、今は関係ない話なので、追及はしないでおく。


「で、先ほどガラド様にまずお話を聞いたのですが、あの方はあなたが怪しいと仰り、こちらへ来るよう促されたのです」


「まあ、そんなところだろうと思ったよ。で、お前たちはそれを真に受けて、私が犯人だと?」


「いえ……それはべつとして、もともとあなたからもお話を聞くつもりでしたので」


「だろうな。ガラドは領主として多少知恵をつけただけの獣……つねに情動に任せて口を開くだけの輩の言うことなどアテにはなるまい」


「相変わらず、ガラド様にはお厳しいですね……」


 心の底から辟易したようにガラド様を酷評するリチル様の口ぶりに、僕は思わず苦笑いが出た。


 このおふたりは、毎度毎度繰り返される舌戦が定例議会の名物になるくらい、とにかく仲が悪いのは誰もが知っていることだ。


「言っておくが、私はべつにヤツを嫌っているわけではない」


「え……?」


 だから、リチル様がそう言われたのはすごく意外だった。


「ヤツとつねづね言い争っているのは、互いの立場のための結果に過ぎない……まあ、ガラドの方は本気で私を嫌っているだろうがな。あの獣が私情を排して討論するような器用なマネをできるはずもなし……そこが可愛らしくもある」


「可愛らしい、ですか……」


 あの強面が可愛いだなんて……本人が聞いたら怒りで卒倒しそうなセリフだ。


「私から見れば、ガラドなど乳を卒業したばかりの幼子も同然。その幼子が意地を張って食い下がってくるのだから、こちらも興が乗ってついつい鼻っ柱を折りたくなる。これがまたなかなか愉しくてな……ここ百年の私の数少ない趣味だよ。ふふふ……」


 そうほくそ笑むリチル様のドクロ面が本当に愉快げに笑っているように見えて、背筋に軽くおぞけが走る。


 ……それも十分私情はさんでいませんか、リチル様?


 まさか、ガラド様に同情したくなる日が来るなんて思いもしなかったよ。


「さて、話がそれたな。肝心の私が犯人か否かであるが、もちろん私は違う。もっとも、実際私なら事故や病に見せかけて対象を暗殺する手はいくらでもあるし、他者を操る毒を生成するのも造作もない……アリバイだって、魔法でいくらでもごまかせる。よって、これといって無実を証明することはできない……ふむ、こうして並べてみると真っ黒だな。なるほど、ガラドも私憎しで適当を言ったわけではないようだ」


「リチル様……」


 自ら容疑を固めるようなことを言ってすっとぼけるリチル様に、思わずあきれてしまう。


 これが、あえてそう言って自分の潔白を印象づけるための演技なのか、それともただの天然なのか、正直僕でも判別がつかない。


「私のこの怪しさを利用しガラドが罪をなすりつけようとしている可能性もあるが、まあそれはおそらくないだろう」


「……どうしてでしょう?」


「自らの手を汚さず奸計で他者を害するなど、あの脳筋のやり口ではない。言っただろう、領主として知恵はつけてもヤツは所詮獣……なにくわぬ顔で暗殺したり、小賢しい細工ができるほど利口でも器用でもないよ」


「なるほど……」


 まさか、リチル様がガラド様を擁護するとは思わなかった。


 でも、その見解はおおむね僕と一緒だ。


 僕は客観的にそう分析しただけだけど、リチル様からはこの方なりのガラド様への信頼感がうかがえる気がした。


「まあ、ガラドはつねに牙を剥く獰猛な獣だが、中には獲物が寄ってくるまで自らの手の内を明かさず、ひっそり息をひそめて牙を研ぐ慎重で狡猾な獣もいる……今回の犯人はまさに、そういうたぐいの者なのだろう」


「リチル様には心当たりが……?」


「さて、な……いずれにせよ、この事件に関して私がこれ以上出る幕はないよ。話はこれで終わりだ」


「そうですか……」


 結局、最後は言葉を濁される形で、リチル様との話は終わった。


 ……言葉だけ切り取ればかなり怪しい人物ではあるけど、穏健派の代表者であるこの方がお嬢様を暗殺しようとする理由はない。


 それは、在位の間人間との争いを避け続けてきた先代魔王様に対しても同じだ。


 だから、実を言うと最初からそんなに疑ってはいなかった。




 そうして僕らはリチル様の部屋を後にし、この方の言う“狡猾な獣”を探し出すため、捜査を続行するのだった。

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