第44話「ゆるだら令嬢と甘やか執事の約束」


 ――かくして僕は、魔王様の部屋を訪ねた。


 ここは以前、即位前に一時的に魔王城に滞在していた時にも魔王様が私室として使っていた、長期滞在用の部屋だ。


 中はさながら一流ホテルのVIPルーム同然の装いで、バスルームも完備されている。


 そして、その大部分を占めるリビングとドア一枚で隔てられた寝室に僕は向かった。


「――失礼します、魔王様」


 ドアを軽くノックし、声をかける。


 でも、中からの返事はなかった。


 部屋に詰めている使用人から、お嬢様がここにいるのは確認済みだ。


 鍵も掛かっていないようだし、僕は無礼を承知でドアを開けて寝室に入った。


 部屋の真ん中にどんと据えられた大きなベッド……そこにはブランケットがもこっと盛り上がった山が生えていた。


 どうやら、お嬢様はブランケットの中にすっぽり収まって不貞寝しているようだ。


 ……機嫌を損ねている時のお嬢様のお決まりの行動である。


 そう、お嬢様はすっかり機嫌を損ねていた。


「……フィリー、さんざんあたしを放っておいて、今さらなんの用?」


 ブランケットの中から、いかにも不機嫌そうなお嬢様の声が聞こえてきた。


 お互い姿は見えないけど、それでも僕は頭を下げる。


「お世話もできず申しわけありません、お嬢様……ですが、どうかもうしばらくの辛抱を。この事件が終わるまでは……」


「事件の犯人探してるんだってね……あたしを放って」


「……はい」


 やはり、お嬢様は本来の職務を放棄している僕に、かなりお怒りのようだった。


 お嬢様の棘のある恨み節を聞くたび、ずきんと心が痛む。


「……そんなに、あたしを守れなかったのが許せない? あたしはべつに気にしてないのに。まあ、最初はしょーじき腹が立ったけど……」


「はい、たとえお嬢様がお許しになっても、僕は僕自身を許せない……だから、けじめをつけなければならないし、今度こそお嬢様をお守りしたいのです。お嬢様を襲った卑劣な犯人を捕らえることで……」


「あたしを守るためなら、ここで警護するだけでも十分じゃん……それじゃダメなの?」


「はい、なによりお嬢様の命を狙う輩を僕は放っておけない。お嬢様に対する脅威は僕自身の手で排除しなければ気が済まないのです……」


 そう、お嬢様を守るだけなら、ほかの誰かが事件を解決するまで、ここでお嬢様を警護していればそれで済む。


 でも、それじゃ僕の気が済まない。


 だから、これはただの僕のわがままなのだ。


 僕は今一度、深く頭を下げた。


「どうかお許しください、お嬢様……」


「もう、こうなるとガンコだよねぇ、フィリーって」


 そうぼやくお嬢様の声からは、すっかり棘が取れ、苦笑いがまざっていた。


 それからブランケットの山が動き、それがずり落ちて、ベッドに座り込んだお嬢様が姿を現す。


 でも、こちらには背中を向けたまま……お顔は見せてくれなかった。


「いいよ、許してあげる。そのかわり、全部終わったらうーんっと甘やかしてよね」


「お嬢様……」


 その言葉に、僕は目頭が熱くなるほどの感動を覚えた。


 まだすねているような、そっけない言動……そこから、本当は僕に傍にいてほしい、お嬢様の本心がうかがえる。


 それでもお嬢様はせいいっぱい意地を張って、僕の背中を押そうとしているのだ。


 感動するのはほどほどに、僕は表情を正して、あらためて頭を下げた。


「はい、必ず……! お嬢様もどうかお体に気をつけて。たまにはバルザック様たちにも顔を見せて、安心させてあげてください」


「む、わかってるよう。ほらほら、さっさと行った行った!」


「では、失礼します……!」


 見ずともむくれ面をしているのがわかるお嬢様に言われ、僕はただちに寝室をあとにした。


 結局最後までお顔を見せてはくれなかったけど、それもすべてが終わるまでお嬢様に顔を合わせられないという僕の気持ちを汲んでのことかもしれない。


 ……かなり都合がいい解釈なのはわかってるけど、僕はそう思うことにした。


「どうだった、魔王様は?」


 僕が寝室から出てくると、バルザック様が待ちわびていたように声をかけてきた。


「はい、なにも心配いりません。魔王様は急にこの部屋に閉じ込められて、少々機嫌が悪かっただけみたいです。僕と話してだいぶ落ち着かれたので、そのうち顔を出してくれると思います」


「そうか……これでディアーシャのヤツもすこしは機嫌を直すだろう」


「では、僕はこれで……ひきつづき、魔王様をどうぞよろしくお願いします」


「ああ、任せておけ。君も、犯人探しがんばれよ!」


「はい……!」


 バルザック様の激励を受け、僕は出入り口のドアに向かう。


 けど、そこで思うところあってぴたりと足を止めた。


「……ところで、バルザック様。ディアーシャ様になにか不審な動きは?」


 そして、視線だけを後ろに向けて、そう尋ねる。


 バルザック様はため息まじりに、肩をすくめた。


「べつに。言ったろう、そもそも魔王様はロクに我々にお顔すら見せなかったのだ。なにもしようがないし、そもそもアイツに妙なたくらみなどないと思うぞ。アイツはただ純粋に、魔王様とお近づきになりたかっただけなのさ」


「そう、ですか……それならいいのですが」


 ……正直、僕はディアーシャ様にすこしばかり疑いの目を向けていた。


 皇太子や先代魔王の死には直接関与してないにしても、彼女も強硬派だ。


 強硬派にけっして同調しない魔王様の存在を疎み、害しようと考える可能性はゼロではない。


 魔王様が襲撃された際も、あの方は抜群のタイミングでその場に居合わせていた……それがもし、偶然ではなかったとしたら?


 あの事件自体、ディアーシャ様が魔王様に近づくために打った芝居だという線も考えられる。


 だから、僕はひそかにバルザック様にディアーシャ様を見張っておくよう頼んでいたのだけど……


「君の心配はわかるが、もしディアーシャが魔王様を疎んでいたとしても、命を狙うようなことはしないし、あのような卑劣な手段も使わないだろう。幼子や女子を利用するなど、なおさらな……アイツは女には甘いんだ。それは、魔王様とて例外ではない」


「バルザック様がそうおっしゃるなら……」


 バルザック様は穏健派だし、その人柄も信頼できる。


 ディアーシャ様とも付き合いが長く、その性格を知り尽くしているであろうこの方がここまで断言するのであれば、僕の考えすぎなのだろう。


「では、失礼します。ディアーシャ様へあらぬ疑いをかけたこと、お詫びします。ご本人にも機会があれば、そうお伝えください」


「ああ」


 最後に僕は頭を下げ、今度こそ部屋を出る。


 予想外の寄り道ではあったけど、結果的にお嬢様からは相当の元気をもらった。


 お嬢様との約束を守るのをモチベーションに、僕はなんとしてもこの事件を解決することをあらためて誓うのだった。






「――ということで、お嬢様はもう大丈夫です。心配はありません」


「そうですか、よかった……」


 部屋の外で待っていたシャロマさんと合流しお嬢様のことを話すと、彼女は心の底からほっとしたように胸をなでおろした。


 そんなに心配なら一緒に来ればよかったのに……と思ったけど、彼女がいたらおそらくお嬢様と腹を割って話すことができなかったと思うので結果オーライだった。


 けど、気になることがひとつ……


「シャロマさん、なにかありました?」


「え……?」


「いや、さっきと比べてすこし顔色がよくなったような気がして」


 本人は自覚がなかったようだけど、さっき別れた時のシャロマさんはひどく気分がすぐれない顔をしていた。


 その暗い雰囲気が、今ではずいぶんと薄れていたのだ。


 僕のその言葉に、シャロマさんはくすりと笑みを浮かべた。


 ……やはりさっきと比べて、心に余裕ができているようだ。


「よくお気づきになるんですね。実は、さきほどジデル様とすこしお話してて……」


「ジデル様と……?」


 思わぬところで意外な名前が出て、すこし驚く。


 僕は念のため、どういう話をしていたのか聞いてみた。


「――なるほど、ジルグード様ですか」


「なにか気になることが? さすがに先々代の魔王様と今回の事件はなにも関係ないと思いますが」


「たしかにそうですね……ではいずれ、ジデル様には今回の事件についてあらためてお話を聞くとして、そろそろ次へ行きましょう」


「はい」


 そうしてお嬢様の件を解決した僕らは、あらためて本来の目的を果たすため、とある部屋へ足を運ぶ。


 そこは、屍魔族コープス領領主リチル=ネクロシア様が滞在されている部屋だ。


 お嬢様がいたのと同じ様式のVIP部屋で、距離も近かった。


 リチル様は使用人もつけず、ひとりでこの部屋にいるらしい。


 シャロマさんとともに部屋のドアを前にし、僕は軽くノックした。


 ……しかし、ドアが開く様子も返事もなかった。


「お留守でしょうか?」


 不審に思ったシャロマさんが首をかしげる。


「いえ……」


 それを遮って、僕は耳を澄ました。


 にわかに、ドアの向こうから人の気配をともなった物音が聞こえたのだ。


 やがて、ドアは開かれた。


「……何用だ?」


「………」


 ドアから出てきたその人物の声に、姿に、僕とシャロマさんは言葉を失った。


 現れたのは、あきらかにリチル様ではなかったからだ。


 それは、目を奪われるくらい白い肌が印象的な美しく若い女性だった。


 けど、僕らが言葉を失っているのはそれだけが理由ではない。




 ――彼女は、服を一切身に着けない全裸で僕らの前に立っていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る