第43話「魔王秘書と三賢臣ジデル」

 

 ――ガラド様から事件に関する話を聞いた僕らは、次にリチル様を筆頭とした残りの犯人候補の方々に話を聞くため、魔王城へ向かった。


 仰々しい門をくぐり、正面ホールを訪れると、そこで意外な人物が僕らを待っていた。


「ああ、フィールゼン殿、ちょうどよかった。待っていたぞ」


 バルザック様だ。


 僕たちがホールに来るや、それを見計らってすっと姿を現したのである。


「バルザック様、魔王様の警護をしておられるのでは?」


 僕がそう尋ねると、バルザック様は苦々しく眉をひそめた。


「その魔王様だが、少々困ったことになっていてな」


「え……」


 バルザック様の言葉に、僕は心臓を針で刺されたような不安に襲われる。


「夕べからずっと寝室に閉じこもって出てこないんだ。使用人が運んできた食事はしっかり完食しているみたいだが、それ以外は誰も部屋に入れずひとりで閉じこもっている……ま、命を狙われたんだ。魔王様といえど、ショックでふさぎがちになるのも無理はないんだが」


「魔王様が……」


「で、ナーザ様に相談したところ、君なら多少は元気づけられるんじゃないかと聞いてな。魔王様とはずいぶん付き合いの長い従者だそうだな」


「はい、まあ……」


 たしかに、普段はたくましいメンタルをお持ちのお嬢様でも、命を狙われるほどの事態に遭遇したとあれば、平気ではいられないかもしれない。


 そんな中、親しい者がまわりに誰もいない生活を強いられたのだ。


 ……いくらお嬢様でも、そんな状況で不安を感じないはずがない。


 僕したことが、自分の罪悪感とつまらない意地に囚われて、そんな簡単なことにも気づかなかったなんて……いよいよ、従者失格だ。


「わかりました、僕がお話してみます。手間をおかけしました」


「いや、べつにたいしたことはないさ。魔王様とロクに会えず、ディアーシャのヤツはすっかりヘソを曲げて仕事をボイコットしてしまったものだから、私も困っていてな……このことをナーザ様に知られたら、私まで叱られてしまう。早いところ、なんとかしてくれ」


 ……あの奔放なディアーシャ様が、ナーザ様からの要請とはいえ魔王様の警護なんて面倒を素直に承諾したのは、やっぱり魔王様に近づくためか。


 アテが外れて不貞腐れたディアーシャ様と、部屋から出てこない魔王様という面倒ごとに挟まれて、バルザック様も相当苦労されているようだ。


 ……笑いごとじゃないけど、思わず苦笑いが出る。


「では、僕は魔王様の方へ顔を出してきます。シャロマさんはどうします?」


「私は……いえ、遠慮しておきます」


 シャロマさんも気が気でない様子だけど、それでもためらいがちに首を横に振る。


 彼女はいまだお嬢様と顔を合わせることに抵抗があるようだ。


 僕もこんなことでもなければ、事件が終わるまでお嬢様に合わせる顔がないと思っていたのだから無理もない。


 そうして僕は部屋の前までは付き合うと言ってくれたシャロマさんとともに、お嬢様が滞在する部屋へと向かうのだった。




 ◆




 ――フィリエルさんが魔王様……ルーネお嬢様と話している間、私は部屋のドアの前で待っていることにした。


 その間、私の胸にあったのはこの期に及んでお嬢様と顔を合わせることを拒む弱い自分への失望……そして、フィリエルさんへの嫉妬だった。


 あの人もお嬢様を守れなかった失意を抱いていたのは一緒のはず。


 なのに、それでも彼はお嬢様とお会いすることを決めた。


 お嬢様のためなら、自分のちっぽけな感情などどうでもいい。


 そう言わんばかりに、彼はすぐさまお嬢様のもとへ駆けつけたのだ。


 たとえお嬢様から直接罵倒されようとも、彼女の従者としての役目を優先する……


 そんな使命感と覚悟を、私は彼の姿勢から感じた。


 ……そんなフィリエルさんが憎らしく、羨ましかった。


 そして、それがわかっててなお、彼とともにお嬢様のもとへ向かえない自分に、心底嫌気が差す。


 お嬢様は、とてもさっぱりした性格だ。従者の失敗をいつまでも根に持つような方ではない……それはわかっている。


 けどその一方で、もしあの方から直接『この役立たず!』『二度と顔を見せるな!』なんて罵倒を浴びせられたらと思うと、胸が締めつけられるほどに怖かった。


 その恐怖が、こうして私をお嬢様から遠ざけているのだ。


(私はなんて臆病なんだろう……)


 そんな鬱屈とした感情に耐えかね、私はいつしかドアの前でしゃがみ込み、いじけるように膝を抱えていた。


 ――そうしていると、不意にポンと肩を軽く叩かれた。


「失礼、どうされましたかな? シャロマ殿」


「え……」


 それからかけられた声に顔を上げると、思わぬ人物がそこに立っていた。


「ジ、ジデル様!? こ、これは……!」


 その顔を見た途端、私は反射的に立ち上がる。


 父やナーザ様と肩を並べる、偉大なる三賢臣さんけんしんのおひとり……


 そのジデル様にとんだ醜態を見られてしまったことが、どうしようもなく恥ずかしかった。


 それでも、ジデル様はいつもどおりの柔和な笑顔でほほ笑む。


 この方は獣魔族でありながら、同じ種族のガラド様とはまったく逆のタイプだった。


 老いのせいかもとからなのか、背丈はかなり小柄……私より背が低いくらいだし、体も細い。


 ガラド様が獰猛なライオンなら、ジデル様は年老いた穏やかな山猫といった雰囲気だ。


 性格も獣魔族でありながら、きわめて温和。三賢臣さんけんしんのバランサーとして、父バハルも全幅の信頼を寄せる人物だった。


「ほっほっ、少々タイミングが悪かったですかな?」


「いえ、そんなことは……すみません、恥ずかしい姿をお見せしてしまいました」


「ここはたしか魔王様のお部屋でしたな。魔王様となにか?」


「そういうわけでは、ないです、が……」


 やましい気持ちを必死に抑え込もうとしても、どうしても歯切れが悪くなる。


 なにかあったと白状しているようなものだ。


 でも、ジデル様はそんな私を怪訝に見るでもなく、見守るようにやさしく微笑む。


「ほっほっ、まあおぬしと魔王様の関係はまだはじまったばかり……いろいろありましょうな。ワシもかつての魔王様たちとはいろいろあったものですじゃ」


「かつての魔王様たち……?」


「ほっほっ、この老いぼれ、力も魔法もとんと頼りないが、しぶとさだけは自慢での……古くはナザリカ様の代からお仕えしてきたのですじゃ。と言っても、ナザリカ様に仕えたのは、ワシがまだ魔王城で働きはじめたばかりのころ、ほんの五十年ほどですがな」


 今から三代前の魔王、ナザリカ様……すなわち、現在のナーザ様だ。


 あの方は千年もの間魔族を統治し、当時から油断を許さない関係だった人間との間に一度も大きな戦争を起こさなかった名君として知られている。


「あのナザリカ様に……それは、たいへん栄誉なことですね」


「まったくですじゃ。無論、あの方が三賢臣さんけんしんとなった今でも敬意は変わりませぬ。そもそも、小賢しい知恵以外なんの取柄もなかったワシを三賢臣さんけんしんという栄誉ある立場に取り立ててくれたのはあの方と、“ジルグード様”なのですから」


「ジルグード様……先々代の魔王様ですね」


「ええ、ワシがもっとも長く深く仕えた魔王様ですじゃ。それがあのようなことになり、今でも無念でなりませんですじゃ……」


「……」


 ジデル様は昔を懐かしむような、悔やむような切ないまなざしで宙を仰いだ。


 ……先々代魔王ジルグード=ザルツハイベン様。


 在位中、突如として人間を相手に全魔族を戦いに駆り立て、全面戦争を起こした方だ。


 そして、ジルグード様は人間の“勇者”なる者に倒され、魔族は敗北。


 その結果、魔族は魔大陸プラトーに押し込められ、現在の苦渋の生活を強いられている。よって魔族の中にはジルグード様を批判する声がいまだあり、一部では“狂王”などと揶揄されているそうだけど……


「ほっほっ、いかんいかん。つい話し込んでしまいましたな……年寄りの思い出話に突き合わせてしまって、申し訳ないですじゃ」


「いえ……」


 まるでジルグード様への複雑な感情を隠すように、ジデル様は微笑みを浮かべて、私に顔を向けた。


「そういえば、ナーザ様からなにやら難題を託されたそうで……このジデルもなにか力になれるなら、いつでもお訪ねなされ」


「はい……いずれ、お話を聞かせていただきたいと思います」


「ほっほっ、それでは」


 最後までやわらかな笑みを浮かべたまま、ジデル様は去っていった。


 ……気がつくと、さっきと比べて心がずいぶんと軽くなっている気がした。


 まるで実のおじいちゃんのような、そんな優しい雰囲気のあるジデル様と話しているうち、元気づけられたような気分だった。


(父上が信頼するわけだ……)


 父・バハルもこんなふうにたびたび、ジデル様の助言に助けられているのだろう。


 私はそんな感慨深い気持ちで、バハル様が去っていった方向をなんとなく眺めていた。


 

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