第39話「甘やか執事と百年目の陰謀」

 

 ――ナーザ様からもたらされた、一冊のファイル。


 僕とシャロマさんはさっそくこれを屋敷に持ち帰った。


 今後しばらく、ルーネお嬢様は屋敷に戻らず、魔王即位前にも使っていた魔王城の部屋で寝泊まりするそうだ。


 その間、お嬢様の世話はナーザ様が手配してくれた使用人がしてくれる。


 ナーザ様の使用人はすべて、生身ではなく与えられた命令を黙々とこなす人形……


 ナーザ様が言うにはコミュニケーションの必要がないため気楽だそうだけど、以前からお嬢様はすこし苦手な様子だった。


 気の毒だけど、当分は我慢してもらうほかない。


 そして万が一の護衛のため、ディアーシャ様とバルザック様が可能な限り部屋に詰めてくれるそうである。


 これはナーザ様が要請し、ふたりとも快く承諾してくれたそうだ。


 あの方たちには、今回の襲撃事件で直接お嬢様を救った実績がある。


 そのため、ほかの領主たちも文句を言えず、この決定を受け入れたらしい。


 そんなわけで、僕たちはしばらく屋敷で、お嬢様のいない生活を送ることになった。


 もちろん仕事らしい仕事もなく、僕とシャロマさん、それにメルベルでささやかな夕食をとったあと(魔法生物は本来、普通の食事を必要としないが、メルベルは気分で食事を楽しんでいるらしい)、各自自由時間とした。


 だから夕食のあと、僕は自分の部屋でシャロマさんと一緒に、ようやく例のファイルに目を通すことにする。


「――ナーザ様も言ってましたけど、あなたもさらりととんでもないことを考えるものですね。いえ、考えるだけならまだしも、それを口に出すなんて……」


 僕が机の上にファイルを用意していると、傍に立つシャロマさんがあきれたため息まじりに、そう言った。


「そうですか?」


「そうですよ。“元皇太子と先代魔王の死は、何者かによる暗殺の可能性がある”……あなたはそうお考えなのでしょう?」


「すぐにそう推測できるあたり、シャロマさんも同じことを考えていたようですね」


「まあ、職業柄多少の興味はあったので私も調べようとしましたが、父――バハル様に止められました。その件には絶対に首を突っ込むなと……」


「でしょうね。もし僕らの推測どおりなら、かなり闇の深い事件です。貴重な配下……ましてや自分の娘をむざむざ危険にさらしたくはないでしょう」


 でも、僕らはその闇に向き合わねばならない。


 ……お嬢様が襲われた今回の事件に関する手がかりをすこしでも集めるため。


 もし、元皇太子と先代魔王の死が作為的なものなら、今回の事件と何らかの関連があるかもしれない。


 僕はその可能性を視野に入れて、ファイルを開いた。


「――どうやらこれは、ナーザ様個人で知りえた情報をまとめたものみたいですね。調査日誌……いや、手記といったところでしょうか」


 ナーザ様は実質的に魔族の内政の頂点に立つ三賢臣さんけんしん……その中でも、筆頭と呼ぶにふさわしい方だ。


 そんなナーザ様のもとには、魔王城ひいては大陸中の情報が優先的に回されてくるはず。


 もちろん、元皇太子と先代魔王が命を落とした出来事に関しても……


 ゆえに、この手記にはその日の発端と経緯が詳細に記されていた。


「――元皇太子は事故死。他魔族領との交流のため魔王城を馬車で出た早朝、魔都まとを走行中に車を引いていた二頭の馬が突然暴走。民家に突っ込み、馬車は大破。崩落した民家の壁に車ごと押しつぶされる形で、皇太子様はお亡くなりになられたそうですね……」


「その記録なら、私も以前資料で見たことがあります。馬も御者も皆、死亡。馬の死体からはさしたる異常は見つからず、暴走の原因は依然として不明とか」


「はい、この手記にもそう記されています」


 その記録の最後には、ケイム元皇太子の死を悼む文章が添えられていた。


 ――先代の第二子ユーリオはどうしようもないバカ皇子だけど、第一子ケイムは父ディオールの実直さと統治者としての資質を受け継いだ立派な若者だったそうで、ナーザ様はその死をひどく残念に思われていたようだ。


 その一文一文からは、有望な魔王継承者を失った無念、そして自らの血を引く子孫を亡くされた、ナーザ様――元魔王ナザリカ様の悲しみが伝わるようだった。


「そして、それからおよそ百年後、先代も亡くなられました。半月ほど前に突然体調を崩され、病床に臥せったままお亡くなりになったそうです」


「先代魔王様のお姿は昔から何度か見る機会がありましたが、年齢的にもまだまだお元気な様子でした。それに、父から聞いたところ、健康にも大変気を遣っていたとか……またしても、“疑惑の死”ですね」


「はい。ですが、先代魔王様のご遺体にもやはり不審な点はなく、病死と判断せざるをえなかったそうです。死因は過労による内臓疾患だとか」


「公式発表と同じ……どうやら、たいした収穫はなさそうですね」


 一連の会話を経て、シャロマさんは落胆したようにため息をつく。


 けど……


「いえ、ひとつだけ、公式には発表されていない事実も記されていますよ」


 僕がそう言うと、シャロマさんは「え!?」と前のめりに手記を広げた僕の机をのぞき込んできた。


「元皇太子さまの亡くなられた日、それに先代魔王様が亡くなられた日……いずれも、当時の十大領主との定例議会の直後? これって、今回の事件と状況が一緒じゃないですか……!」


「そう。すくなくともこれで、先代魔王様たちの死と今回の事件を関連づける根拠ができました。それに、容疑者の絞り込みも……」


「なるほど……もし今回の事件の犯人がおふたりを事故や自然死に見せかけて暗殺した者と同一人物、あるいは関係がある者なら、その容疑者はケイム皇太子様が亡くなられた当時から在籍していた三賢臣さんけんしんや十大領主におおよそ絞られる。ナーザ様は、私たちに当面の調査方針を示すために、この手記を託されたのですね」


「そういうことです」


 根拠とはいえ、こじつけに等しいほんの小さな糸だ。


 ナーザ様ほど立場のある方では、この程度の状況証拠でおおっぴらに調査するのは、はばかられたのだろう。


 へたに同僚や十大領主に嫌疑をかけて不興でも買えば、今後の内政に悪影響を及ぼすかもしれないからだ。


 ……そんな自分に代わって僕らに調査をさせるのが、ナーザ様の思惑だろう。


 それがわかっただけでも、たいした一歩だ。


 すぐにでも事件解決に向けて動き出すことができる。


 ……けど、その前に至急に解決すべき問題が目の前にあった。


「――ところで、シャロマさん」


「はい?」


「……いささか、顔が近くありませんかね」


 新事実の発見で興奮していたせいで、本人も気づいていなかったのだろう。


 シャロマさんは身を乗り出して、僕が眺めていた手記を覗き込んでいたため、その……顔がものすごく近かった。


 ……お嬢様以外特に興味がない僕でも少々ばつが悪いため、口にせずにはいられなかった。


「し、失礼……!」


 僕の指摘に本人もようやく気づいたらしく、顔を赤くして反射的に僕のそばから飛びのいた。


 お互い気まずい空気を修正するため、僕は「こほん」とわざとらしく咳をたてた。


「とにかく、これで調査の足掛かりはつかめました。シャロマさん、皇太子様の事故当時から現在に至るまで三賢臣さんけんしん及び十大領主の座についている方たちはご存じですか?」


「は、はい……」


 僕はすぐに立ち直ったものの、シャロマさんはまだ引きずっているらしく、顔が赤いままだった。


 でも、深く深呼吸して、すぐに落ち着きはじめる。


「まず、そうですね……事故当時から同じポストについていたのは、たしか三賢臣さんけんしんはナーザ様とジデル様のおふたり。十大領主は、獣魔族ビースター領のガラド様、屍魔族コープス領のリチル様、幽魔族スピリット領のヴィザル様、機魔族メタリア領のギアレス様の四名だったかと」


「思ったより少ないんですね」


「皇太子様の死は、もう百年も前のことですから……当時の領主様たちはほとんどが、すでに代替わりされていたり、十大領主の座を退いたりしています」


「なるほど……」


 十大領主の座を退いた方……最近だと、旦那様の前任に当たる竜魔族ドラゴニア領領主のグラガム様がそうだ。


 皇太子様が亡くなられたのは、お嬢様が幼かったころ……僕と出会って間もない時のことだ。


 考えてみれば、それだけの間同じ座に留まり続けるのも大変である。


「それと、この方々に加えてもうひとり……」


 僕が納得していると、不意にシャロマさんがぼそりと告げる。


 なにかう後ろめたさを感じているような、歯切れの悪い口ぶりだった。


現在三賢臣さんけんしんの座についているバハル様……あの方も事故当時、妖魔族デモニア領領主として十大領主の座についていました」


 やがて、ひとおもいに絞り出すように、シャロマさんはそう告げた。


 なるほど……


 容疑者のひとりとして、自身の父の名を挙げることを、シャロマさんは躊躇っていたのだ。


 絶対にありえない。そう思いたいけど、それでも父が犯人か、それに関わっている可能性はゼロじゃない……


 シャロマさんはその可能性に怯えるように、若干気分がすぐれない様子だった。


 けど……


「心配いりませんよ、シャロマさん。バハル様は好んで魔族を混乱に陥れるような真似をなさる方ではないし、なにより家族を心配させるようなことはしないはずです。容疑者から外すことはできませんが、あの方が犯人の可能性はかぎりなく低いと思いますよ」


「そう、ですよね……」


 僕がそう言い聞かせると、シャロマさんは安堵したように、肩の力を抜いてくれた。


 ……まあ、バハル様の諜報部トップと言う肩書を考えると、容疑者としてはかなり黒い。諜報部を使って証拠の隠蔽、捏造なんでもし放題だからだ。


 でも、僕の心証としてはバハル様はおそらくそんな卑劣な方ではない。


 バハル様はお嬢様排斥の機会をうかがうなど油断のならない人物だけど、それも真剣に魔族の将来を憂いてのことだとシャロマさんから聞かされているし、僕も反論はない。


 家族に対する情も疑いようがないし、狡猾な手段でお嬢様を襲撃したり、自然死に見せかけて先代魔王様たちを殺めたかもしれない冷酷な犯人像とは一致しない。


 ……もちろん、バハル様が僕を欺くほどの演技力を持っていなければの話だけど、わりと感情的な面が多いあの方の性格上。その可能性もほとんどないだろう。


 ナーザ様についても、僕の心証ではほぼ白と言っていい。


 だから、容疑者は実質このふたりを除いた五人だ。


「ひとまず、先代魔王様たちの死が故意か偶然かをはっきりさせるため、当時の関係者――すなわち、容疑のある方々に話を聞きたいところですね」


「私もそれがいいと思います。証言の中で、思わず犯人しか知りえない事実でも口走ってくれれば好都合ですしね」


「さすが、諜報畑の人……なかなからしいことを言いますね」


「茶化さないでください……で、まず誰からお話を?」


「そうですね……」


 照れくさげに言うシャロマさんの言葉に、僕は思案する。


 ……手当たり次第に探りまわっては、角が立つ。


 ゆえに、なるべく容疑が濃厚な人物に的を絞ったほうがいいだろう。


 僕の心証的に、もっとも疑わしいのは……

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