第36話「ゆるだら令嬢、ねらわれる」
――女の子のあとを追って、ずいぶんと走った気がする。
彼女は人ごみからどんどん遠ざかり、狭い横道を次々と駆け抜けていった。
気がつくと周りに人はおらず、あたしは寂れた区画へと辿り着いていた。
人の喧噪とは縁のない狭い裏通りで、少女はようやく足を止める。
「……ここに友達が? もしかして、秘密基地ってやつ?」
そこはどうやらとうに人が住んでない廃置くばかりの区画のようだった。
まわりにあるのは、無人の廃墟ばかり……ちょっと物騒だけど、子供の遊び場には絶好の場所かもしれない。
「……」
でも、女の子はあたしの言葉になにも答えず、そのまま佇んでいた。
「お嬢ちゃん……?」
あたしは歩み寄り、もう一度声をかける。
すると、周りからおもむろに複数の足音が近づいてくるのに気づいた。
例の友達? と思ったけど、なんか思ってたのと違う。
現れたのは、中年のおじさんおばさんや若いお兄さんお姉さんなど……それが、十人ほど。
明らかに女の子の友達とは思えないし、そもそも互いの接点すらわからない、通りすがりの一般市民といった様相の人たちだった。
「え、えーと……なにか?」
……不意にあたしを取り囲むように現れたもんだから、普通に怖かった。
みな一様にあたしの言葉になんの反応も示さず、ただ棒立ちしている。
が、やがてみんな示し合わせていたかのような一糸乱れぬ動作で、懐や腰からなにかを取り出した。
「はっ!?」
それはナイフやら棍棒やら剣やら……とにかく、人を害するための武器だった。
現れた人たちが突然武器を構え、じりじりとこちらとの距離を詰めてきたのだ。
気がつくと、あたしを案内した女の子までもが、その小さな両手にナイフを構え、あたしを狙っていた。
「な、なんの冗談でしょう……?」
あまりに状況が意味不明すぎて、我ながらとぼけたような言葉しか出てこない。
……わたしはどうやら、命を狙われているらしい。
混乱した頭でも、それくらいはわかる。
しかも、あらためて見ると、女の子も含めたここにいる人たちはみな、挙動が変に緩やかで、目の焦点もあっていないように見えた。
寝ながら歩いているか、あるいはなにかに操られているような……そんな感じだ。
とにかく、このままだと本当に命が危ない。
逃げようにも、周りをすっかり取り囲まれているし、あたしったらこの状況にすっかり腰が引けて、走って逃げるという気にもなれなかった。
可能性についてはバハル様から散々聞かされてたけど、まさか本当に命を狙われるなんて……
てゆーか、なんでよりによってこんな時に、フィリーたちはいないのさ!
いくらあたしが魔王だからって、指先ひとつで刺客を撃退できるような、そんな能力はない。
魔法はろくに使えない。武術の心得もない。武器ももちろん持たされてない。
以前ユーリオを干物にしたサキュバスの力も、意識して引き出すことはできない。
そんなあたしだけど、ただひとつ、この場をなんとかできるかもしれない方法があった。
(こーなったら……!)
――あたしが唯一扱うことができる魔王の大魔法、“昏睡の禁呪”だ。
あれなら、一瞬でこの人たちを眠らせることができる。
それを使うため、あたしはまずすぐ傍にいる女の子へ手を掲げた。
でも……
「………っ」
いざ使おうと思ったら、なかなか踏ん切りがつかない。
この魔法は、かけられたら本当に二度と目が覚めない危険な魔法。
元に戻せるのは、この魔法をつくったばーちゃん本人だけ……
以前あたし自身にこの魔法を使って騒動を起こしたあと、あたしはフィリーからその事実を聞かされていた。
そんな魔法を、こんな小さな子に……もしかしたら誰かに操られているかもしれないだけの一般市民に使うことを、あたしは躊躇ってしまった。
そうしているうちに、あたしを取り囲んでいた市民たちが、一斉に襲い掛かる。
――だめだ。もう間に合わない……!
あたしは恐怖のあまり、とっさに目を閉じた。
………………
ん?
どういうわけか、いつまで経ってもあたしが襲われる気配はなかった。
でも、怖くて目を開けることもできない。
そうしていると、
「もう安心よ、お嬢さん」
なんだか聞き覚えのある女性の声が語り掛けてきたので、そっと目を開く。
「あ、あなたは……」
それは、つい三日前会ったばかりの思いもよらない人物だった。
「ディアーシャ……様?」
そう、いかにもセレブのような豪奢なドレスを着た妖艶な雰囲気を醸し出す美女……この前の十大領主議会にも出席していた、氷魔族領領主のディアーシャ=グラキオン様だ。
「ここにいた人たちは……?」
「大丈夫、ちょっと眠ってもらってるから」
「え……」
ディアーシャ様の言葉を受け、あたしはおそるおそるあたりを見渡してみる。
すると、周りにいたのは白い冷気をまとって佇む、何体もの氷像だった。
これはすべて、さっきまであたしを襲おうとしていた人たちだ。
あの女の子も……みんな、武器を構えてあたしを襲おうとした姿勢のまま、氷の彫刻のように固まっていた。
「ちょっと手荒かったけど、これだけの人数を一気に止めるとなるとね……さすがに殺すわけにはいかないから、冷凍睡眠の要領で瞬間的に凍らせたの」
言葉を失うあたしを尻目に、なんでもないようにディアーシャ様はそう説明した。
……まるで日常茶飯事のような口ぶりだけど、実際この程度は彼女にとって造作もないことなのだろう。
ディアーシャ様は
なんでそんな人がこんなところにいるのかわからないけど、とにかく助かった。
でも……
「ところであなた、あたくしの名前を知ってるようだけど、どこかで会ったかしら?」
あ……
「ん、あなたもしかして……」
やっべ。
ディアーシャさんには、ユーリオのパーティーの時にがっつり姿を見られている。
今は仮面の魔王装束でなく、ただ帽子とサングラスで顔を隠してるだけ……
もしあたしがルーネだとバレたら
まずい。でもどうすれば……
「おおい、急に走り出してどうし……って、なんだこりゃあ!?」
そこへ、また聞き覚えのある声とともに誰かが駆けつけて来た。
真っ黒な肌に炎のような真っ赤な髪という出で立ちに、鎖やらドクロの銀細工やらをじゃらじゃらつけたヤンキーなスーツ姿の若い男性……
これまた十大領主のひとり、炎魔族領のバルザック=ボルーガ様だ。
「おそいよ、バルザック。ったく、女の子のピンチに出遅れるなんて、トロい男だねぇ。それだから、イキった見た目のわりに腰が重いヘタレなんて陰口叩かれるのさ」
「うるせえ、そりゃオメーが言いふらしてんだろうが! それより、さっき言ってたのその子か? たしかに、オメーが目をつけるのも無理はないお美しいお嬢さんだが……」
どうやら、ディアーシャ様はたまたまあたしを見かけて、ここまで追って来たらしい。で、それをさらにバルザック様も追っかけてきたと。
パーティーの時でもそうだったけど、よほど可愛い女の子が好きなのかな、ディアーシャ様。
それはともかく、バルザック様はあたしの顔を見つめ、いぶかしむように難しい顔をしていた。
……もしかして、バレた?
「まさか……あなたは、魔王様では?」
あ、そっち?
バルザック様は急に恐縮したように、わなわなと声を震わせていた。
「う、うむ……じつはそうだ。お忍びなので黙っていようと思ったが、バレてしまってはしかたない。ふたりとも、世話をかけたな。しかし、そなたらはふたり揃ってどうしてここに?」
せっかくなのでそれに乗っかって、魔王ムーブをしてみる。
仮面はないけど、一応顔は隠してるからあとは声色と雰囲気でわかるよね。
「はあ、我々は互いに先の十大領主議会から魔王城に滞在していたのですが、息抜きがてら街に出てみたら偶然ディアーシャと顔を合わせまして。それで、ちょっと話していたら彼女があなたを見かけたようで、急に走り出したのです」
ふーん、なるほどね。
今回ばかりはディアーシャさんのおっかない嗅覚に感謝だね。
「なんか見覚えがあるとは思ったけど、まさか魔王様とはねぇ。なるほど、お忍びで
「おい、無礼だぞ! ディアーシャ!」
そういえば魔王としてディアーシャ様と直接話すのはこれがはじめてだけど……うーん、さすがブレない。
一方で、バルザック様は粗暴そうな見た目に反して、礼儀をわきまえた紳士だった。
パパもこの人とはわりと気さくな関係みたいだったし、人付き合いが得意なタイプのようだ。
……ま、なんだかんだでディアーシャ様とも長い付き合いのようだし、そこはご察しである。いろいろ苦労も多いんだろうなぁ……
「ところで、魔王様。視察で街に来ているようですが、なんでまた護衛も連れずこんなへんぴなところに? それに、この氷漬けの者たちはまさか……」
「ああ、それはもちろんあたくしよ。あたくしがここまで追ってきたらちょうど魔王様が襲われていたので、軽く凍らせてさしあげたの。命まではとってないから、安心しなさいな」
「魔王様を守るためとはいえ、無茶をするな、お前……」
「すぐに溶かせばなんの問題もないでしょ。というわけで頼んだよ、バルザック」
「俺かよ!!」
「でも、見たところ普通の一般市民という感じだけど、なんでまた魔王様を狙ったのかしらねえ。こんなちっちゃいお嬢さんまで……あら、なかなか可愛い子もいるじゃない」
憤慨するバルザック様をよそに、若いお姉さんの氷像に歩み寄り、その頬をそっと撫でるディアーシャ様。
ほうと恍惚に浸りながら氷像を愛撫するその様に、なんだかぞくりとした寒気を背中に感じた気がした。
――とまあ、そんなこんなであとでバルザック様が手配した城の人が到着し、魔王襲撃事件はたちまち魔王城を震撼させることになる。
でも、この時のあたしは想像もしていなかった。
これが、さらなる大事件のほんの序章に過ぎなかったなんて……
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