第35話「ゆるだら令嬢、至高の味に出会う」
――急遽決まった
日があけばあくほど、
だから、できるだけ早めに消化したいというお嬢様の要望を叶えるため、シャロマさんがやや強引にスケジュール調整してくれたのだ。
そうして視察の日を迎え、僕たちは
護衛の件もお嬢様の要望がそのまま通り、僕とシャロマさんが同行する。
体面もあり、バハル様からは当然不安視する声もあった(娘であるシャロマさんの安全を気遣ってでもあると思う)けど、それをナーザ様が鶴の一声で抑えてくれたのだ。
計画通りである。
「ここが、
手ごろな場所で魔王城からの送迎の馬車から降りて、自ら
大陸一の繁華街として名高いこのエリアには、昼間から多くの人で賑わっていた。
その活気に気圧されたように、魔王様は茫然と佇んでいた。
ちなみに、公務とはいえ今日のお嬢様はあの仮面の魔王姿ではない。
あまり目立たない素朴なデザインのドレスを纏い、日よけの帽子とサングラスで顔を隠した、お忍びスタイルである。
仮面をつけたままだと魔王だということがバレて街がパニックになるし、かと言って素顔で僕たちといるところを誰かに見られたら、魔王の正体がお嬢様だとバレるおそれがある……だから、このような出で立ちをお願いしたのである。
「で、フィリー? まずはどこへいく?」
ひととおり街並みを見回すと、そう声をかけてくるお嬢様。
今は魔王として振る舞う必要はないし、周りにいるのはお屋敷で仕える僕とシャロマさんだけ。
だから、今は素で振る舞うことができるのだ。
「そうですね……すみません、僕もあまりこのあたりは慣れてないもので」
お嬢様を案内しようにも、僕もここまで来たことがないので土地勘がなかった。
くそ、僕としたことがあらかじめリサーチするのを怠っていた……
「では、まず大通りへ出ましょう。どうぞこちらへ」
そうしていると、ふとシャロマさんが先頭をきって歩きだす。
街に不慣れで挙動がぎこちない僕らと違って、人ごみの隙間を縫って歩く彼女の足取りには迷いがなかった。
「シャロマさん、ここには慣れているのですか?」
「まあ、
なるほど。彼女も年頃の女性……オフの日には当たり前に遊びに歩いていてもおかしいことはない。
基本的に休日は休日でずっと屋敷でお嬢様のお世話に明け暮れている僕ら従者の中では、なかなか貴重な人材だった。
そうしてシャロマさんに案内され、僕たちは街の大通りに出る。
そこはより大勢の人々が練り歩き、屋台や出店が多く並んでいた。
なにか特別な催しがあるわけではないはずだけど、まるで祭りのような賑わいであった。
「はー、すごいねー……これが都会かー」
「立ち止まらず、私の後をついてきてください、お嬢様。ここではぐれたら、あっという間に迷子になってしまいますので……ああ、フィリエルさんはどうぞ、ふらふらとどこかへ消えてくださってもけっこうですよ?」
「はは、ひどいな……」
あからさまに僕を邪魔者扱いするシャロマさんの言葉に、思わず苦笑いが出た。
どうも彼女は僕を、お嬢様を巡るライバルかなにかと思っている節がある。
……まぁ、こちらもお嬢様の一番の従者の座を譲る気はないんですけどね?
そうして、シャロマさんに連れられるまま街を見て歩いていると、ふとお嬢様が足を止めた。
僕がお嬢様の後ろを歩いていなければ、気づかず置いて行かれてしまっていたかもしれない。
「どうしました、お嬢様?」
僕も足を止めて、お嬢様に声をかける。
そこでようやくシャロマさんも気づき、慌てて引き返してきた。
ふふふ、僕にマウントを取ったと思って油断しましたね、シャロマさん。
まあ、そんな優越感はさておき。
「うん、あそこからなんか嗅いだことないいいにおいがするなぁって……」
そう言ってお嬢様が指を差した方向にあったのは、一軒の出店のようだった。
たしかに、そこから香ばしく焼けたパンと肉のにおいが風に乗ってこちらへ漂ってくる。
「ああ、ハンバーガー屋さんですね。お嬢様、ハンバーガーははじめてですか?」
「はんばーがー?」
「僕もあまり聞き馴染みのない名前ですね……ハンバーグとは違うのですか?」
「てっきり、お嬢様ならお好きだと思っていたのですが、意外ですね。それなら、なおさら召し上がってみてください! きっと気に入りますよ!」
僕の質問は華麗にスルーし、お嬢様の手を引いて店へ向かうシャロマさん。
そうして手慣れた感じで店主に注文し、しばらくしてお嬢様はついに例のハンバーガーにありついた。
「ほわー……うっま!?」
ジューシーなハンバーグをブレッドで挿んだそれにがぶりとかぶりつき、驚きに満ちた満面の笑顔を咲かせるお嬢様。
長年、数多くの料理をお嬢様に出してきたけど、そのすべてが霞むほどのインパクトを受けたような顔だった。
……悔しいけど、たしかにこれは僕も未体験の食感と味だった。
「しかし、こうして歩きながら食べられるとは、変わったメニューですね。魔都ではこれが流行ってるんですか、シャロマさん?」
「流行りっていうか、ハンバーガーなんてどこの街にでもありますよ。まあ、若者の味といったところでしょうか……カテゴリー的には、お嬢様が大好きなマポテトやマコーラと一緒です。だから、すでにご存じと思っていたのですが」
「こんなのあたし知らない! うわーうわー、街にはこんなのがあるのかぁ~! フィリーフィリー、今度から屋敷でもこれつくってー!」
「む、そう言われれば応えないわけにはいきませんね……お任せください、お嬢様」
僕にとっては未知への挑戦になるけど、お嬢様が求めるならば必ずモノにしなければならない。
そのために、僕はこのハンバーガーとやらを研究するため、細心の注意を払って慎重に食べた。
周りが見えなくなるくらい、真剣に食べた。
食べながら、歩いていた。
……そうして、ふと顔を上げると、
「あれ? お嬢様……?」
気がつくと、前を歩いていたはずのお嬢様が忽然と姿を消していた。
「シャロマさん、お嬢様はどちらへ?」
さらに前を歩くシャロマさんに訊いてみる。
「はい……?」
すると、口元をケチャップとマヨネーズでべっとり汚してハンバーガーをほおばりながら、きょとんと振り向くシャロマさん。
うん、この様子を見ると確認するまでもない。
……僕らはどうやら、お嬢様とはぐれてしまったらしい。
◆
――それは、あたしにとって衝撃の出会いだった。
パンと肉……その組み合わせ自体は、べつに珍しいものじゃない。
パンを主食にローストビーフをつまむくらいなら、あたしも何度も経験しているし、軽食としてよく用意される肉入りサンドイッチも似たようなものだ。
でも、肉汁たっぷりの焼き立てハンバーグをレタスなどと一緒に大胆にパンではさみ、冷めないうちにがぶりとかぶりつくそのハンバーガーなる食べ物は、あたしにそれまで味わったことのない味と食感……そして、歓喜をもたらした。
一言で言うと、超うまい!
厚みたっぷりのハンバーグに、さらにケチャップやマヨをどばどばかけたそれは、まさしくカロリーの爆弾……
ささやかな体系の変化にも敏感な年頃の乙女が、軽率に食べていいものじゃない。
でも、どれだけゆるだらしても一切体系に響かないあたしのミラクルボディなら、その背徳的火力も涼風のごとし!
今回は頼みそびれたけど、マコーラとこれの組み合わせは世界最強なのでは!?
あたしはさらにそんな夢を膨らませ、夢中でむさぼり続けた。
……そして、ふと気づいた。
「あれ? フィリー? シャロマちゃん?」
ハンバーガーを完食して顔を上げると、さっきまで傍にいたはずのフィリーやシャロマちゃんの姿がどこにも見えなくなっていたのだ。
周りを歩くのは、見知らぬ人の群れ……それに阻まれ、周りの景色もろくに見えず、自分が今どこに、そもそもどの辺を歩いていたのかすらわからなかった。
……これ、やべーやつでは?
「あたし、はぐれちゃった……?」
茫然と佇み、その事実を確認する。
もう、ふたりともどこいったのさ!
さては、ハンバーガー食べるのに夢中で周りが見えてなかったな~?
まったく、しょうがないなあ!
……などとブーメランを投げてみたところで、状況は変わらない。
移動しようにも、今自分が街のどこにいるのかもわからず、さっきのハンバーガー屋さんもとっくに見失っている。
まったく……ここ、人はもちろん似たような店も多すぎで、なにを目印にしたらいいかもわかないんだよぉ。
そんな有り様であてもなくさまようのは面倒だし疲れるし、どこか適当なところで休んで、フィリーたちに見つけてもらった方がいいかな?
そう思ってあたしが周りをきょろきょろしていると、
「おねーさん、まいごー?」
不意に視界の下あたりから、幼い声が聞こえた。
視線を下ろすと、ひとりの小さな女の子がぽつんと立って、あたしを見上げていた。
もちろん、お互い面識がないはずの少女だ。
……知らない人にいきなり声をかけれるなんて、物怖じを知らないお子さんだなぁ。
「ううん、違うよー。むしろ、あたしが迷子を捜してるっていうかー」
あたしは腰を下ろして女の子に視線を合わせて、そう見栄を張ってみる。
それとなく周りの様子を見ていると、傍にこの女の子を気にかけているような人は誰もいない。
この子も、どうやらここにひとりでいるらしい。
「そういうお嬢ちゃんこそ、ひとり? そっちも迷子なんじゃないのー?」
「ひとりだけど、まいごじゃないよー。おともだちがたくさんいるんだー」
「へえ?」
「そうだ、おねーさんもきなよ。いっしょにあそぼー」
「あ、ちょっ……!」
あたしが止める間もなく、女の子はどこかへ向かっててってっと走り出した。
……まったく知らない子とはいえ、あんな小さい子を放っておくのもはばかられる。
だから、あたしは彼女を見失わないうちに、慌ててその背中を追いかけた。
ま、フィリーたちが見つけてくれるまでのヒマつぶしができたと思えばいっか。
そんな軽い気持ちで、あたしは女の子のあとについていくのだった。
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