第32話「ゆるだら令嬢、省エネできなくなる②」


 ――この事態には、さすがの僕も驚かされた。


「お嬢様、これはいったい……」


 朝食の支度中、突然シャロマさんに呼ばれてお嬢様の部屋に来てみれば、そこにいたのは省エネ中の小さなお嬢様ではなく、美しく育った本来の姿のお嬢様だったのだ。


「念のため聞きますが、お嬢様……自分の意思で小さくはなれませんか?」


「なれないから困ってんだよおっ! だいたい、あの姿は気が抜けると勝手になるもので、もともと意識して切り替えてるわけじゃないんだからさあ!」


「ごもっともです」


 そう、これはただ元に戻っただけという、単純なことではない。


 お嬢様の省エネモードは、お嬢様が心の底からリラックスしている精神状態と、ゆるだらしたいという願望がお嬢様の体内魔力に影響した結果発現した……僕はもちろんお嬢様にすらよくわかっていない、謎の多い現象なのだ。


 それでも、お嬢様が屋敷でゆるだらしているかぎり、勝手に元に戻るなんてことはこれまで一度としてなかった。


 元に戻るのは、外出の時やお嬢様の本性を知らない人物と会う時くらいだ。


 だから、これはれっきとした異常事態なのである。


 元に戻れないといって、お嬢様の命にかかわることはないとは思うけど……


「うー……ウチの中でこの姿はなんだか落ち着かないなあ~」


 お嬢様にとっては、ある意味死活問題だ。


 あの省エネモードでなければ、お嬢様は心の底から気を抜いてゆるだらできないのだから。


「お嬢様、もしかしてあの小さな姿にはもう戻れないんですか……?」


 シャロマさんも、あからさまに不安を訴えている。


 彼女は、あの省エネモードの小さなお嬢様の可愛さに骨抜きにされてメイドになったのだから、当然だ。


 これをきっかけに、彼女の心がお嬢様から離れると、いささか都合が悪い。


「これは……なんとかしなければ、いけませんね」


 大きかろうが小さかろうが、僕のお嬢様に対する忠誠と親愛は変わらないけど、この状況がお嬢様の安寧を奪うのであれば、看過できない。


 僕は事態の解決に乗り出すことにした。


 そのために、まずやるべきは……




 ◆




「朝っぱらから何事かと思えば、まーた妙なことになっておるようだな」


 というわけで、今回もナーザ様にお越し願った。


 朝早く失礼ながら空間転移の魔法で魔王城にいるナーザ様を訪ね、一緒に魔王公邸まで転移してきたのである。


 ナーザ様もすっかり慣れた様子で、ぼやきながらも素直に応じてくれた。


 困ったらとりあえずナーザ様とばかりに気軽に声をかけているようだけど、そうではない。


 なにせ、お嬢様が急に省エネモードになれなくなった理由が、僕には全然想像もつかないのだ。


 もし、その原因が魔王特有のなにかであれば、わかるのは元魔王のナーザ様だけ……そう合理的に判断したまでである。


「ふむ、なるほどな……」


 そして、僕の判断は正しかったようだ。


 ベッドに寝そべるお嬢様の体を軽く触ったりして診察めいたことをしていたナーザ様が不意に手を離し、得心がついたように頷いた。


「その省エネモードとやら……ルーネがゆるだらしていたらある日、本人も知らないうちに体が縮むようになっていた、というわけか?」


「はい。最初に見た時は僕もさすがに驚きました」


 もうずいぶん前、僕が甘やかしすぎてお嬢様がすっかり怠惰になられてしばらくしたあとのことである。


「ふむ。むやみに周りに被害を出さないため普段の魔力を抑えるというなら、魔王を含めた我々高位魔族にとってありふれた特性ではあるが、ルーネの場合は無意識に体が怠けたい一心で消費魔力を抑えていたというところかの……あの姿を見た時から似たようなものだろうとは思っていたが、まさか怠けるためにその特性を身に着ける者がいたとは、さすがの我も驚いた。というか、呆れたわ」


「てへ……」


 ナーザ様の苦言に、ばつが悪そうにはにかむお嬢様。


「しかし、さすがですね、ナーザ様、ちょっと体を調べただけで、お嬢様の省エネモードの本質を見抜くとは」


「おぬし、本当に気づいていなかったのか?」


「はあ、正直どうでもいいことなのであまり深く考えていなかったというか……どんな姿でも、お嬢様はお嬢様ですから」


「まったく……ルーネのことになると、本当におぬしは有能とポンコツの差が激しくなるな」


 主人が主人なら執事も執事だと言わんばかりに、ナーザ様は深いため息を吐く。


 まぁ、それは置いといて、本題はここからだ。


「それでナーザ様……こうなった原因はわかりますか?」


「うむ……調べたところ、ルーネの魔力がまた上がっておる。おそらく、ユーリオから奪った魔力がこの数カ月で本格的に体になじんできたのだろう。もはや借り物の魔力でなく、ルーネ自身の力と言えるほどにな」


「えー……アイツの魔力って言われると、なんだかイヤだなぁ」


 ナーザ様の見解に、あからさまにユーリオへの嫌悪を覗かせるお嬢様。


 まあ、あんなどうしようもないクズ野郎の魔力……いわば血が、自分の体にすっかり定着してしまったとなれば、ぞっとするのも無理はない。


「しかし、それとお嬢様のこの状態に、どのような関係が?」


「ま、早い話がもはや抑制もきかぬほど魔力が強大になりすぎたということだな。今はまだなじみはじめたばかりで制御がきいてないようだが、完全になじめばまたそのうち無意識に省エネできるようになろう。それまで、当分はこのままだろうがな」


「そうですか……」


「じゃあ、いずれまたお嬢様は小さくなれるんですね……よかった!」


 ナーザ様の解説に、ひとまず安堵する僕とシャロマさん。


 すぐに解決できる問題じゃないけど、この状態が永久的でないとわかっただけでもナーザ様をお呼びした甲斐があったというものだ。


 けど……


「全然よかないよおっ! このまましばらく、ずっとこの姿でいろってこと!? これじゃ、全然心が休まらないんですけどおっ!」


 この結果に、当事者であるお嬢様だけはひどく納得がいかない様子だった。


 その言動に僕ははっと気づき、頭を下げる。


「そうです、ね……無神経でした。もうしわけありません、お嬢様」


 今までのお嬢様にとって、本来の姿は旦那様の出世のために出たくもないパーティーでしたくもない笑顔を振る舞うためのもの……いわばお嬢様にとっては、そちらが虚構で、あの小さな姿こそが真実なのだ。


 それを思うと、たしかに素直に喜んでいいことではなかった。


「ま、ひとつだけ今すぐ省エネできる方法があると言えばあるが……」


 僕が軽く自己嫌悪に陥っていると、しれっとナーザ様はそんなことを言った。


「あるの!? おしえておしえて!」


 これに、とっさに食いつくお嬢様。


 けど……


「ならん、それくらい自分で見つけるがよい」


「えー、なんでさあ~!」


「どうも、おぬしらは我に頼りすぎだ。我も、少々世話を焼きすぎた……このまま頼り癖がついてもらっても困る。すこしは自分で努力してみせい」


「え~~っ!? ケチケチぃ~~っ! ばーちゃんのケチぃ~~~っ!!」


「ええい、だまらっしゃい! 少なくともこの件に関して、これ以上我が手を貸すことはない! 肝に銘じておけ!」


 そう啖呵を切って、ナーザ様はぷいっとそっぽを向いてしまう。


 ……たしかに、ナーザ様の言うことはもっともだ。


 ナーザ様は実際頼りになる。僕もそれにすっかり甘えていた。


「しかたありません、お嬢様。僕ももちろん協力します、何とかその方法を探してみましょう」


「フィリー……」


「ちょっと、ひとりだけなにかっこつけてるんです! 当然、わたしも協力ますよ、お嬢様!」


「ありがと、シャロマちゃん!」


「でも、まずは魔王の公務が先ですね。僕はナーザ様を城へ送るので、その間に支度を済ませておいてください」


「うん……」


 そうしてひとまず、今朝の騒動はひと段落。


 僕はふたたび空間転移でナーザ様を魔王城に送り届け、そのまま屋敷にとんぼ返り。お嬢様の支度が済むのを待って、あらためて送迎の馬車で魔王城へと向かうのだった。

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