第23話「甘やか執事、お嬢様の影武者を立てる②」


「――いきなり呼びつけられて何事かと思えば、まさかこのようなことになっているとはな」


 お嬢様の部屋で、ベッドに横たわる本人の寝顔(目はさすがに閉じさせた)を見下ろしながら、ナーザ様は呆れたようにそう言った。


 どうやら、この前覚えた“昏睡の禁呪”を自分に使い、深い眠りに落ちているお嬢様……


 それを解除できるのは、この魔法を編み出したご本人である元魔王ナザリカ様……すなわち三賢臣さんけんしんナーザ様のみ。


 前は深夜ゆえ魔王城でことを済ませられたけど、朝では人目につく可能性が高い。


 だから、僕の転移魔法で直接ナーザ様にこの部屋へおいで願ったのだ。


「すみませんナーザ様、僕のミスです……お嬢様はあの事件の真相を知らない。ご自分の禁呪が不完全だと思い込んだままだったので、このような行為に至ったのでしょう」


 以前、お嬢様は昏睡の禁呪でメルベルとガーコを眠らせたことがある。


 でも、その魔法は一度眠れば二度と目が覚めない文字通りの禁呪……

 お嬢様は遊び半分でそれを使って、メルベルたちを眠らせてしまったことを深く後悔なされていた。


 そこで僕はナーザ様に助けを乞い、お嬢様には魔法は不完全だったために効果が薄かったと説明して、事件を穏便に終わらせたのだ。


 それは、罪の意識に囚われたお嬢様を想っての措置だった。


 それがこんなことになるなんて……


「そんなに自分を責めるな、フィリエル。おおかた、夜眠れなくなって困ったから禁呪を使ったのであろう。取り扱いには注意せよと申しつけておいたのに、この体たらく……完全にルーネの自業自得だ」


「いえ、それも元はと言えば僕のせいなんです。昨日お嬢様があまりにおねむだったので、超強力な栄養ドリンクを用意してたんですが……本来一本で半日は不眠不休で働けるほどの効果があるそれを、お嬢様はどうやら用意してた分を一度に全部飲んでしまったようで。そのせいで、ゆうべはとにかく寝つけなかったのでしょう。僕がちゃんと言っておくべきでした……」


 僕がドリンクのことに気づいたのは、昨日の公務終わりに執務室の休憩部屋を掃除していた時だった。


 ゆうべはお嬢さまにも変わった様子はなく朝まで様子を見るつもりだったけど、まさか禁呪に頼らざるをえないほど苦しんでいたなんて……


 完全に僕のミスだ……!


「いや、だからそれも……もういい」


 ナーザ様はなにかを言おうとして、言っても無駄だろうとばかりにため息をこぼした。


 この事態には驚かされたけど、とりあえずナーザ様が来てくれれば安心だ。


 ナーザ様は解呪に取り掛かるべく、まずはベッドで眠るお嬢様の額に軽く手を置くが……


「む、これはいかん」


「え……」


 その不穏な一言に、僕は表情を凍らせた。


「こやつ、前よりも禁呪を自分のものにしていたようだ……前回よりずっと、魔法を構築する魔力が濃い。これは、少々骨が折れるぞ」


「だ、大丈夫なんですか……?」


「ま、解呪自体なら問題ない。時間はかかるが、今日中には目を覚ますだろう」


「それならよかった……」


 一時はどうなるかと思ったけど、ナーザ様の言葉を聞き、僕は安堵する。


 けど、ナーザ様の顔は今なお穏やかではなかった。


「全然よかない。少なくとも陽が暮れるまで、ルーネはこのままだ……つまり、今日の公務をすることができない。おぬし、よもや忘れてはおるまいな? 今日は十大領主との定例議会の日だぞ」


「あ……」


 そう言われ、僕もようやく事の重大性に気づいた。


 ……これはまずい。


「今回は、ルーネの父であるウォルム=ヴィリジオをくわえた新十大領主初の議会だ。そんな大事な議会に肝心の魔王が不在となれば、ほかの三賢臣さんけんしんや領主たちの不信を招くだろう……魔王には是が非でも出席してもらわねばならん」


「しかし、どうすれば……まさか、寝たままお嬢様を出席させろと?」


「たわけ、そんなことをして寝てるのがバレたら、それこそおしまいだ。だいたい、この姿のままのルーネを議会の席に座らせる気か?」


 そうだ、お嬢様は幼女姿の省エネモードのままお眠りになっている。


 目を覚まさないかぎりは、ずっとこのまま。この姿では、魔王の扮装もできない。


「なら、どうすれば……」


 事は、当代魔王の沽券こけんにかかわる大ピンチ。


 僕はこれを打開すべく、必死に思考を巡らせた。


 ……そして、思いついた。


「……あ」


 閃きを得た僕の視線は、自然ととある方向へ吸い寄せられる。


 そこにいたのは、ハラハラしながら僕たちの様子を見ていたメルベルだった。


 ……彼女の“能力”を使えばどうになるかもしれない。


「メルベル、大きい方のお嬢様に“変身”することはできるか?」


「はい? そりゃあ、できますけど……よいっしょ!」


 僕の言葉に応じると、メルベルの体に異変が起きる。


 彼女の体が服ごとみるみる変色、さらに変質し、緑色のゲル状となって崩れていった。


 そして、一度形を失ったゲルはふたたび、人の姿を形作る。


 裸体の少女になったそれは、そこからさらに形状変化。


 やがて、ドレスを着た淑女姿のルーネお嬢様がそこに立っていた。


 見かけだけなら、僕でもすぐには具体的な違いが挙げられないくらい、完璧な変身だ。


「えへへ、どんなもんですぅ?」


 お嬢様の姿で、得意げにそうのたまうメルベル。


 声帯も擬態しているだめ、声までお嬢様そのものだ。


 ただし、完璧なのは見た目と声だけ。中身はあくまでメルベルのままである。


 お嬢様はそんなアホっぽいノリじゃない。もっと真似ろ。


「気配が少々普通の魔族とは違うと思っていたが……こやつ、“スライム”か」


 一連の変化を見ても眉ひとつ動かさず、ナーザ様は言った。


「はい、お嬢様に直接仕える三名は、魔族ではありません。僕以外のふたり……このメルベルとガーコは、旦那様がお嬢様のお世話のためにお造りになった“魔法生物”なんです」


 そのうち、メルベルはスライムと呼ばれる魔法生物だ。


 本来は意志を持った液状の生命体……自由自在にその形を変える能力を持つ。


 メルベルは特に、旦那様がかなりの魔力を注いで造りあげた自信作。


 その変身能力は並のスライムより格段に精度が高く、見た目と声だけは本物を完コピできるほどだ。


 ……それ以外にも厄介な特性があるのだけど、ここでは割愛しておこう。


「なるほど、たしかにこれなら表面的には誤魔化しきれるかもしれぬな」


「はい。メルベル、お前にはお嬢様になりすまして魔王としての公務をしてもらう。いいな?」


「ええっ、そんな……」


 僕の申し出に、メルベルは大仰に驚いてみせた。


 けど……


「そんなの、面白すぎるじゃないですかぁ~っ! ぜひ、やりまぁ~っす!!」


 直後、普段のお嬢様でも見せないような会心の笑顔でそうのたまった。


 ……うん、こいつはこういうヤツだ。


 ふざけた態度だけど、魔王様の信用を守るために、今はこいつに頼るしかない。


「では、我はここでルーネの解呪に努める。議会には同席できんが、上手くやれよ」


「はい……お嬢様のこと、どうぞよろしくお願いします」


 僕は深々と頭を下げ、ナーザ様にあとを託す。


 そして、さっそくメルベルとともに魔王城へ発つ準備をはじめた。


 ……今日は間違いなく、僕にとってかつてなく大変な一日になる。


 それは予感じゃない。もはや、確定された未来であった。

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