第22話「甘やか執事、お嬢様の影武者を立てる①」


 ――その日、あたし、ルーネ=ヴィリジオもとい魔王クゥネリアは、魔王生活はじまって以来の最大の危機を迎えていた。


(ねむい……)


 そう、眠い! 眠いのである!!


 ……ゆうべ、フィリーに隠れてこっそり夜ふかしして(まぁ、本人は気づいてたんだろうけど)、暗い部屋で幻影写機マジックビジョンに録り溜めしてた今期のアニメを消化してたのが、完全にたたった……!


 今日は会議とかめんどくさい予定はないけど、一日中執務室にこもって押し寄せる大量の書類をひたすらチェックしたり、判を押したりしなければならない。


 ……この無味乾燥としたルーチンワーク。


 今にも電池が切れかかっているあたしには、へたな肉体労働よりつらい。


 充血して涙ぐんだ目とひどい顔色を仮面に隠し、あたしは机に座って、黙々と書類を片づけ続ける。


 せめてここにいるのがフィリーだけなら、泣きついてサボることもできるのに……


 でも今ここには、直立不動であたしを見守るフィリーのほか、魔王たるあたしの専属秘書であるシャロマさんもいる。


 彼女は秘書として、魔王城にいるほとんどの時間は、フィリーと一緒にあたしの傍に控えていた。


 あたしが必死に築き上げてきた美しくも厳しい魔王のイメージを壊すようなだらしない姿を、秘密を知っているフィリーや三賢臣さんけんしんたち以外の前で見せるわけにはいかない……


 あたしの今後のゆるだら生活のために!


 だから、あたしはあくびすら許されないこの極限の状況で、なんとか睡魔と戦い、耐えていた。


 けど……


(だめだ……そろそろ意識が飛びそう。これ以上はもたない……!)


 それも限界を迎え、敗北の足音が聞こえてきた。


 こうなったら……!


 あたしは書類を処理し続けていた手をぴたりと止め、椅子から立つ。


「……すこし疲れた。しばし席を外す」


 そして、執務室の隣にある休憩室のドアへ向かった。


「わかりました、魔王様。では、五分ほどお休みください。それ以上は、スケジュールに差し障るので」


 そのあたしの背中に、シャロマさんは淡々と告げる。


 ……五分かぁ。仮眠もとれやしない。


 この徹底したスケジュール管理が、シャロマさんの秘書としての主なお仕事。


 なにをするにも厳しい制限時間を設定され、休憩するにもぜんぜん心が休まらない……魔王城にいる間、あたしには基本的に自由がないのだ。


 フィリーもシャロマさんが見ている前で堂々とあたしを甘やかすことはできず、今も表情が読めない仮面姿で突っ立っているのみ。


 ここではフィリーの直接的な助けは期待できない。


 でも……






 休憩室は、仮眠用のベッドと机、それにもしもの時のための着替えが入ったクローゼットだけが置かれた、こぢんまりとしたあたし専用の部屋だ。


 出入り口とはべつのドアの先には小さなシャワー室とトイレもある。


 徹夜での残業を想定した、魔王専用の宿直室といったところだ。


 ……残業なんて、絶対やってやんないけどね!


 で、ここでの本題は机の上。


 そこには、液体の入った瓶が三本置かれている。


 こんな時のために、フィリーがあらかじめ用意しておいてくれた疲労回復用の市販の魔法薬……いわゆる栄養ドリンクだ。


 もう一直線にベッドに倒れ込みたいところだけど、今寝たら仮眠どころか夜まで爆睡コース間違いなし。


 だから、今日はこの栄養ドリンクでどうにか持ちこたえるしかない。


『これ一本で十二時間フル稼働、眠気も吹っ飛ぶ!』


 ……という、深い闇がうかがえる気がするラベルが張られた瓶の栄養ドリンク。


 いかにも怪しげな宣伝文句だ。


 どうせ、中身は普通のなんてことない栄養ドリンクに決まってる。


 フィリーめ、あたしを気遣うあまり適当にお高いのを買ったな?


 きゃつめは、あたしのことになると、たまにポンコツになる時があるからな~。


 こんなあおりだけは立派なそんじょそこらの栄養ドリンクが、今のあたしに憑りついた呪いのごとき睡魔に効くとは、とても思えない。


 だから、あたしは一本と言わず、用意された三本一気に飲み干した!


 ぐび! ぐびぐびぐびぐびぐびぐびぐび!


「ぷはーっ!」


 爽快に息を吐き、ひと心地つく。


 こころなしか、さっきまで重くてしかたなかったまぶたが急に軽くなり、頭もスーッとした気がする。


 大量に飲んだせいか、ただの栄養ドリンクにしては文字通り目が覚めるような効果だ。


 これならいける!


 あたしはさっそく休憩室を出て、仕事に戻った。


 調子は絶頂! 気分は上々!


 さっきまでの眠気が嘘のように晴れ、やる気にも満ち溢れたあたしは、押し寄せてくる書類を片っ端から処理し、無事今日の仕事をやり遂げるのだった。






 そして、公務終わりの夜。


 あたしはいつもどおり屋敷でぐうたらし、お風呂に入ってベッドに潜り込んだ。


 明日も仕事だ。今日のような地獄を味わわないために、今夜は早めに寝よう。


 そう思ってた。


 けど……


(ね、ねむれん……)


 ベッドに入って小一時間が経つのに、あたしは目をギンギンに開いて、天井を眺めていた。


 眠気が……眠気がまったく来ない!


 思考もつねにフル稼働状態で、スリープする気がまったくない!


 寝なきゃ……はやく寝なきゃ……


 そう思うほどにかえって眠気は遠ざかり、時間だけが過ぎていった。


 ていうか、今こうしてる最中もベッドを出てなんかしろと、ハイになった脳が訴えかけている。


(あのドリンク、本物だったんだ……! ヤバイって、どうしよう……!)


 一本につき十二時間フル稼働、眠気も吹っ飛ぶという、あのドリンク。


 それを、あたしは一度に三本も飲んじゃった。


 つまり、それから合計三十六時間、あたしの脳は常時フル稼働。一瞬のまどろみも許されない、ガンギマリモードだということ……!


 それほどの時間を眠らず過ごすなんて、普通に地獄だ。


 眠るべきとき、眠りたいときに眠れないことほど過酷なものはない。


 三十六時間もの間不眠不休でいたら、頭がどうにかなる。


 そのあとの反動も想像ができない……大ピンチだ!


(どうしよう……どうしよう……どうしよう……)


 いつしかあたしはそれだけ考え、ぐるぐるした目で天井を眺めるばかりだった。


 でも、そんなあたしの脳裏に、ふと一筋の光明が差す。


(そうだ……! あたしには“アレ”があったんだ! アレならきっと眠れる!)


 以前ちょっとやらかして使うのを控えていたけど、使うなら今しかない!


 あたしはすぐにベッドから飛び起き、机にしまっていたある物を取り出す。


 そして……




 ◆




 ――今日も朝が来た。


 自室で目覚めた僕、フィリエルはいつもどおりすぐに着替え、身だしなみを整え、仕事に入る。


 毎朝、お嬢様の朝食を用意するのは基本的に僕の役目だ。


 愛しいお嬢様が口にするものだ。


 お嬢様が屋敷で食事をとる際は、僕が留守のときなどの例外を除き、極力自分自身で用意したいというのが僕の信条である。


 もちろん、お嬢様が食べられないものは絶対にお出ししない。


 お嬢様の健康と好みを両立させた完璧なメニューを毎日お出ししている。


 そして調理が終わったころ、メイドのメルベルがお嬢様を起こしに行き、お嬢様が食堂に到着し次第、食事を並べる……


 それが、僕の朝の日課である。


 でも……


「フィ、フィリエルさん! たいへん、お嬢様が……!」


 食器を用意していると不意にどたばたと足音が聞こえてきたと思ったら、メルベルが血相を変えてキッチンに飛び込んできた。


 その報せを受けた瞬間、僕は作業を放り出し、お嬢様の部屋へと駆け込んだ。






「お嬢様……!」


 お嬢様の部屋でそれを目にした瞬間、僕は愕然とした。


 お嬢様がベッドの上で、白目を剥いてぐったりしていたのだ……!


 口からはよだれを垂れ流し、ぱっと見窒息でもしたかのように見えたが……


「……かー……すかー……」


 よく確認すると呼吸はしているし、寝息も立てている。


 どうやら眠っているだけのようだ。


 これほど凄惨な格好になるくらい、深い眠りに落ちているのだ。


「声をかけても反応がないし、すこし手荒に起こそうとしてみたけど、それでも起きてくれないんですよぉ~」


 それなりに動揺はしているものの、いつもどおりのんきそうな声色でメルベルが状況を語る。


 そういえば、お嬢様のパジャマの襟元が乱れており、胸ぐらをつかんで派手に体を揺り動かしでもしたような跡がうかがえた。


 ……お嬢様が白目を剥いてるのって、そのせいじゃね?


 まあ、それはひとまず置いといて、問題はお嬢さまがこれだけされても爆睡しているという点だ。


 あきらかに普通じゃない。


 お嬢様はなにか特殊な状態で、昏睡しているようだった。


「いったい、お嬢様の身になにが……」


 動揺したままそれとなくお嬢様の様子を眺めていると、不意に枕元に一冊の本が置いてあるのを見つけた。


 それを手に取り、確認する。


 それは、以前の“昏睡騒動”の引き金になった禁術書(ナーザ様著)だった。


 その瞬間、僕は察した。


「まさか、お嬢様……ご自分に“昏睡の禁呪”を……?」


 そう語りかけるも、お嬢様はなにも答えない。


 今も寝息を立てて、泥のように眠っていた。


 ……白目で。

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