第20話「ゆるだら令嬢、父の心を知る④」
――翌日、僕は午後には魔王様のお傍を離れ、
そして、昨日と同じく領事館で旦那様へのアポを申請。夕暮れ時に少しだけ時間をいただき、会うことができた。
「昨日の今日だというのに、
執務室で応対してくれた旦那様は、今日はすこしだけ不機嫌な様子だった。
……もうあまり、干渉されたくない。そう言わんばかりだ。
それでも僕の訪問を受け入れてくれたのは、信頼できる従者のひとりとして無下にはできなかったというところだろう。
そういう真面目さには、好感を持てる方だ。
「重ね重ねの無礼、申し訳ありません。昨日の十大領主の件、やはりお気持ちは変わりませんか?」
僕は粛々と頭を下げ、さっそく本題を切り出した。
これに、旦那様は辟易したように溜め息を吐く。
「君らしくもなく、強情だな……ルーネに言われて来たわけでもあるまい?」
「はい、今回は僕の独断です。お嬢様にはなにも告げず、ここに参りました」
「従者として褒められた行為ではないな。まあ、それを咎めはしない……君も、ルーネのことを思ってのことだろう。だが、それでも私の返答は変わらない」
「どうしてもですか?」
「くどい! 話がそれだけなら、帰りたまえ! これ以上、この件で話すことはなにもない!」
やがて、旦那様は脅すように声を大きくして怒鳴った。
こうして強硬な態度に出る旦那様を見るのは、はじめてかもしれない。
それだけ、これ以上はもう首を突っ込まれたくないのだろう。
……けど、僕とて引き下がるわけにはいかない。
僕は一歩も引かず、旦那様の顔を見すえた。
「……旦那様。お嬢様は表向きにはあなたをこきおろして強がっていますが、本心では寂しがっています。夕べのお嬢様の姿、あなたも見ていたはず」
「なにを……」
「僕が本当に気づいていないとでも? ここ最近……いや、お嬢様が魔王になるずっと以前から、魔法でお嬢様の様子を覗いていたのはあなたでしょう?」
「………」
僕がこのことを指摘すると、旦那様は眉をひそめ、黙り込んでしまう。
お嬢様は最近になって視線を感じるようになったと言っていたけど、実はそうじゃない。
僕はもうずいぶん前から、お嬢様を見つめる謎の視線に気づいていた。
その気配が旦那様のそれだったので、これまで黙認していたのだ。
ちなみに、お嬢様がユーリオとの事件で魔王城の地下牢に囚われていた際も、その視線はあった。
だから、その視線に紛れて僕たちを監視していたナーザ様の目に気づかなかったのだ。
……本当だよ?
「以前のお嬢様なら、あなたの視線にはずっと気づかなかったでしょう……でも、ユーリオ氏から吸い取った魔王級の魔力がお嬢様の体に定着し、魔力の向上だけでなく魔法に対する感覚も敏感になっているのです。ですから、今になってあなたの視線に気づきはじめたのでしょう」
「なるほど、そういうことだったのか……」
僕の話を聞いていると、旦那様はやがて自嘲のような薄笑みを浮かべた。
その言葉は、まさしく自白だった。
「……ルーネはあれで、昔は私の前でもなかなかやんちゃな子だったんだ。妻を亡くしたころから、忙しくてろくにかまってやれなかった私の気を引くために屋敷を飛び出すようになったり、ささやかないたずらが絶えなかった」
「……存じております」
――それは、僕がお嬢様と出会う前の話だ。
僕と出会ったあの日も、お嬢様は旦那様へのささやかな反抗心から、ピクニックの最中に姿を隠し、旦那様や屋敷の者をすこしだけ困らせようとしていたらしい。
そのことを、お嬢様は出会って間もない僕に告白してくれた。
……寂しさに耐えかね、誰でもいいから話を聞いてもらいたい。
そういう感じだった。
「ところが、君がルーネに仕えるようになってからいつしか、あの子は私の前ではすっかり素直な子になっていた。まるで、重大ないたずらを隠すためによそよそしく振る舞う子どものようにね……その時からだよ、あの子の様子を魔法でひそかに覗き込むようになったのは」
――そして、旦那様は見た。
僕に甘やかされてすっかり堕落し、部屋ではゆるだらの極みにあるお嬢様の姿を。
「……愕然とした。外では私の理想通りに振る舞ってくれていたあの子が、部屋ではああものびのびとくつろぎ、だらしなくぐうたらしていた姿に……」
「……さぞ、お怒りになったでしょうね」
「もちろんだ。最初は君をクビにするだけでは飽き足らず、私自らの手で八つ裂きにしてやろうと思ったくらいだ」
ぞっとしかしない話に、僕は苦笑いを浮かべた。
「だが、あの子を見ているうち、そんな気は失せた……君に甘やかされているあの子は、じつに楽しそうだったのだ。私がそれまで一度として見た事がないほどに、いきいきしていた……幸せそうな笑顔だった」
語るうち、消沈したように旦那様のお顔と声から張りがなくなっていく。
いつしか、旦那様は僕に対して
「……こう言っても信じてもらえないかもしれないが、私はルーネを愛し、私なりにあの子の幸せを願って生きてきた。亡き妻の分まで、私があの子を幸せにしようと誓って働いてきたのだ。私が必死に領を発展させてきたのも、ルーネを積極的に社交界に連れ出して人脈を広げようとしたのも、いずれ
「あくまで、お嬢様のためだったと……」
「そうだとも。だが、いつしか私はその目的に囚われ、あの子自身からは目を背け、ないがしろにしていた……ルーネの本当の姿を見た時、私はそのことに気づいたのだ」
――その時の旦那様の自分に対する落胆、嫌悪、失意は計り知れない。
そして、旦那様は悟ったのだ。
「私には、もうあの子を幸せにする資格はない……その役目は、君に託そうと思った。だから、ルーネの様子を見守りつつ、あの子の好きにさせることにした。そして、私があの子にしてやれるのは、幸せになるための盤石な将来を用意することのみ……そう思って、それまで以上に私は仕事にのめり込んだ」
旦那様が身を粉にして領発展に従事し、プライドを投げうってほかの領主にこびを売っていたのも、すべてはお嬢さまのため……
自らの地位を上げるためだけにお嬢様を利用しているかのように見えた数々の行為は、そうして手に入れた自らの地位をいずれお嬢様に明け渡し、なに不自由ない幸せな生活を送らせるためのものだったのだ。
……あまりに純朴で、不器用な愛情表現だった。
「……だが、それも私のひとりよがりに過ぎなかったようだ。まさか、私の行いが原因で、娘を命の危機に晒すとはな……私はすべてにおいて父親失格だと思い知らされた」
ふふ……と、旦那様から小さな笑みが零れる。
自分の空回りっぷりにほとほと愛想が尽きたという、寂しげな無念の笑みだった。
行為に問題はあったけど、旦那様にはお嬢様に対するたしかな愛情がある……そのことには、僕も最初から疑いは持っていなかった。
ユーリオとの件でお嬢様が魔王城に囚われた際、この方は必死にお嬢様を助けようと奔走し、処刑が決まった際には心の底から自身を責め、悔いていたのだ。
その姿に偽りはないと思っていた。
「だから、私はもうルーネに干渉することはやめた。私がいなくても、あの子はもう自由で幸せな道を歩きはじめている……私は、ただあの子を見守って生きていくことにしたのだ」
「だから、十大領主の座をお蹴りになると?」
「ああ……言ったろう、どんな顔をして仕えればいいんだ、とね。実際、私にはもうあの子に合わせる顔がない」
昨日の自分のメンツにこだわるような発言はおおよそが偽りだろうけど、その一点だけは事実のようだった。
自分が傍にいれば、お嬢様を傷つけるだけ……そんな思いに囚われ、旦那様は距離を置くことを誓われたのだ。
その意思を確認し、僕はふーっとため息をこぼした。
……本当に、困ったお方だ。
「旦那様のお気持ち、よくわかりました。ならばその本心、どうぞお嬢様に直接お伝えください……ご無礼を」
「え……」
僕はさっと旦那様のそばに回り込み、その腕を握った。
そして、呆気にとられる旦那様を尻目に、空間転移魔法を発動。
旦那様ごと、僕を中心に空間ゲートを発生させ、そのまま転移した。
行き先は……
「え」
――転移した先で僕がはじめに見たのは、ベッドの上にふんぞり返りながら、茫然と僕を見つめるお嬢様の姿だった。
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