第16話「ゆるだら令嬢、禁呪を覚える③」
――あたしが魔法をかけると、フィリーはがくりと膝から崩れ落ち、そのままうつ伏せに倒れて動かなくなった。
「フィリー?」
呼びかけながら、しゃがんでフィリーの横顔を見下ろす。
目は閉じ、すーすーと小さな寝息……無事に眠りについたようだ。
「おーい、フィリー?」
念のため頭をぽんぽんしたり頬をつねってみても、フィリーは眉ひとつ動かさず、眠りこんでいた。
「すごい……あのフィリーがこんなに熟睡してるなんて」
思えば、あたしはフィリーが眠っているとこなんて見たことがなかった。
絶対一日の睡眠量が普通の人の半分以下のくせに、あたしの前じゃあくびひとつ漏らしたことがない鉄人だ。
そのフィリーが、こんな無防備に眠りこけている……
「眠らせるだけなんてしょぼい魔法だと思ってたけど、さすが禁呪……こうかはばつぐんだ!」
などとおどけてみせるも、それに反応する者は誰もいない。
フィリーもメルベルもガーコちゃんも、みんな眠っていた。
静かな部屋に聞こえるちいさな寝息が、あたしを冷静に立ち戻らせる。
「さて……じゃ、そろそろメルベルたちを起こそっかな!」
この手の魔法には、解除法もセットで載ってるのがセオリー。
あたしは本を開き、昏睡の禁呪のページをもう一度眺めた。
……そして気づいた。
【昏睡の禁呪】
『相手は深い眠りにおちいる。
永遠に……』
「と、倒置法だとおうっ!?」
とってつけたようなその一文に、あたしは愕然とした。
「なんでこんな大事なことが、本文からそっと離れて載ってんの!? 完全に悪意あるよね!? これ書いたヤツ、バカじゃないの!?」
ひとしきりわめいて、ふと我に返る。
……バカはあたしだ。
そもそもが、魔王が使う最上級の魔法……それ自体、悪意の塊に決まってる。
それをあたしが軽々しく使った結果、フィリーたちは二度と目覚めない。
フィリーがいなきゃ、あたしはもう生きていけない……(お世話的な意味で)
「うう、こんなはずじゃ……」
あたしはぐずりながら、救いを求めるようにページに目をやる。
……そして、こんな記述を見つけた。
『――この魔法で眠った者は二度と目覚めない。が、ひとつだけ目覚めさせる方法がある』
「あるの!?」
……興奮して、つい本と会話しちゃった。
気を取り直して、あたしはさらに読み進める。
『この魔法で眠らされた者は、魔法をかけた者との口づけにより目覚める』
「なんだそりゃああ~~~っ!!」
あたしは思わず叫んだ挙げ句、本を放り投げた。
まるで冗談みたいな解除法……だけど、ほかに魔法を解くアテはない。
せめて、フィリーだけでも目覚めさせなきゃ、あたしが困る。
「………」
あたしは眠るフィリーの横顔を見つめ、固唾を呑む、
そして、彼の唇にゆっくりと自分の顔を近づけた。
フィリーの顔が近づくにつれ、なんか恥ずかしくなって目を閉じる。
どっくん…… どっくん……
緊張で頭が真っ白になり、自分の高鳴る鼓動だけがやたらと響いて聞こえる。
そして、あたしはフィリーの唇に自分の唇を……
「――そこまでです、お嬢様」
「……はへ?」
突然の声に目を開くと、目の前でフィリーの瞳があたしをのぞき込んでいた。
◆
――危なかった、まさかお嬢様がこんな行動を取るなんて。
もうすこしで、シャレにならないところだった。
「フィリー……? なんで……」
茫然とするお嬢様を尻目に、僕はむくりと起き上がる。
「お芝居ですよ、お嬢様」
そして、お嬢様にそう微笑みかけた。
「残念ながら、さきほどの魔法はどうやら完全ではなかったようです。メルベルたちならともかく、僕には効きません。ですので、戯れに魔法が効いたふりをしていたんです……しかし、少々悪ふざけが過ぎたようで、申し訳ありませんでした」
僕は深々と頭を下げる。
「あ……あ……あ……!」
すると、お嬢様の顔はみるみる赤くなり……
「あ~~~~~~~~~~~~~~っ!!」
最後には悲鳴を上げてひっくり返ってしまった。
安心感にもまさる自分の行為への羞恥心で、頭がパンクしてしまったようだ。
少々かわいそうなことをしたかなと反省する一方で、こんなお嬢様もかわいいと思う僕であった。
その後、しばらくなだめているうち、お嬢様はようやく落ち着かれた。
「――メルベルたちには多少魔法が効いているようですが、効果は長続きしないはず。明日には目が覚めるでしょう。ですから、お嬢様は安心してお休みください」
「うん……ごめんね、フィリー」
そう言って、僕はお嬢さまを寝かしつける。
今回の騒動でお嬢様もすっかり疲れたのだろう。あっという間に、ぐっすりとお眠りになった。
それを確認し、僕は眠ったメルベルたちを部屋から出し、自らも退室する。
これで、この事件は終った。
……少なくとも、お嬢様にとっては。
部屋から出ると、僕はこっそり持ち出していた禁術書を広げ、例の昏睡の禁呪のページを眺める。
(まさか、これほどの魔法をこんな短時間で使えるようになるなんて……お嬢様もさすがだけど、あれが魔王の魔力か)
……じつを言うと、お嬢様の昏睡の禁呪は完璧だった。
とっさに精神防御系の魔法で抵抗してなかったら、さすがの僕も危なかっただろう。
……それだけ、強力な魔法だったのだ。
最低ランクでも、さすがは禁呪といったところである。
「さて……」
僕は本を閉じて、懐にしまい込む。
魔法が本物である以上、この本に書かれている通り、このままではメルベルとガーコは永遠に目覚めることはないだろう。
けど、僕はけっしてお嬢様にその場しのぎのデタラメを吹き込んだわけじゃない。
……ふたりを目覚めさせるアテはあった。
そのため、僕は空間転移の魔法で、ある場所へ向かう。
唯一、この事態を丸く収められるであろう人物がいる、魔王城へと……
「――なるほど、昏睡の禁呪か。それはまた災難であったな、フィリエル」
禁術書を机に広げながら、ナーザ様はすこし愉快げにそう言った。
ここは、魔王城内のナーザ様個人の執務室だ。
ナーザ様は自分のお屋敷こそ持っているがめったに帰らず、しょっちゅうここにこもっているらしい。
もう夜も更けているが、僕が訪ねて来た時もお休みになっておらず、ここで仕事をしていたようだった。
「あまり、笑えるような状況じゃないですけどね。ナーザ様なら、魔法が解けるかと思って訪ねたのですが、いかがでしょう?」
僕は、足元に適当に転がせたメルベルたちに目をやりながら尋ねる。
彼女たちも転移魔法でここに運び込んでいたのだ。
僕の質問にナーザ様は……
「そりゃあ、もちろん解ける」
あっさりとそう言った。
「ていうか、これは我が書いた本だ。つまり、この禁呪は我が編み出した魔法ということだな」
「は……?」
「ちなみに、本に書いてある解除法はふざけて書いたでたらめだ。キスなんぞで治るわけなかろう。こんなものを真に受けるとは、かわいらしいものだな」
さらに続く言葉に、さすがに僕も驚かされた。
……たしかに、禁術書を書けるのはその禁呪を編み出した本人か、それに依頼された専門家くらいのもの。
ナーザ様も元魔王であるからには、多くの禁呪を修得されているはず。
ならば、その魔法を自ら書に記していたとしても、不思議はなかった。
「大昔ここの大図書館に寄贈して以降、どこの棚にあったか我も知らなかったのだが、まさか今になって出て来るとはな。おそらくルーネは適当に持って行ったのだろうが、豪運というか因果というか……」
「では、このふたりは目覚めさせることができるのですね?」
「だから、そう言っておる。自分で編み出した魔法だ、その構造を崩す方法も当然心得ている。なに、魔法さえ解ければ、そのうち目覚めるだろう」
「よかった……」
九割確信はあったけど、ナーザ様でもどうにもならない可能性がないわけではなかった。
だから、僕は彼女の言葉に心の底から安堵した。
これで、お嬢様を悲しませるようなことにはならない。
「引き続き、この書はルーネに預ける。説明さえしっかり読めば、今回のような騒動にはならないだろう。低ランクの魔法なら、我がいるかぎり大事にはなるまい。これにめげず、禁呪習得に励むよう言っておけ」
「はい……!」
――間もなく、メルベルたちの魔法は解かれ、ナーザ様の言う通り、朝には目を覚ましてくれた。
こうして、事件は無事に幕を下ろすのであった。
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