第12話「ゆるだら令嬢と伝説の魔王」

 ――ナーザ様はかつて魔王だった。




 それを聞かされるや、僕とお嬢様はまた固まった。


「ルーネから数えて、三代前の魔王……それが我だ」


「三代前……まさか、史上初の女性魔王と言われる“ナザリカ=ザルツハイベン”様、ですか?」


「ふ、よく知っておる。なかなか勉強熱心なようだな、フィリエル」


 恐縮する僕をちゃかすように、ナーザ様はまたにたりと微笑む。


 ……たしかに、この名がすらりと出てくる者は、魔族の中でもそう多くはない。


 在位していたのはもう千年以上前のことだし、当時はめったに公の場に姿を現さず、いまだ謎多き王と言われている方だからだ。


 もちろん、かの王がこんなにも幼い少女の姿だったなんていう記録はない。


 公に出る時は、魔法で姿を変えて妙齢の女性を演じていたらしい……その辺は、あくまで大きい方が本当の姿であるお嬢様とは正反対の人物だ。


 でも、名前のマイナーさに反して、その功績は歴史に残るほど偉大なものだ。


 なにせ在位期間は歴代最長の約千年……しかも、その長きに渡って魔族と人間の間に一度の戦争も起こさせず、両者の均衡を守ってきた方なのだから。


「――それは言いすぎだ。我が防いだのは歴史に残るような大戦だけ……紛争レベルの争いは我の治世でも幾度となくあった。少なくない犠牲も出た……」


 そのことに触れられると、ナーザ様は自らの力不足を恥じるように、そう言った。


 でも、それでも偉業は偉業だ。


 歴代魔王で在位中に多種族との大戦を起こさなかったのは彼女と、先代だけ……


 しかも、ナーザ様の時代は魔族の状況も今と違い、いつ人間との間に大戦が起こってもおかしくない不安定な時世だったのだから。


 しかし、ある時期をさかいに彼女の名前は歴史からふっと消えている。


 失踪、病死、事故、暗殺、そして自殺……当時は様々な憶測が飛び交っただろうけど、正確なところは今日まで明らかになっていない。


「単純に疲れたのだ……このナリだが、当時ですでに二千年以上は生きていた老骨だからな。ゆえに、後継に座を譲って隠居した。その後継が、まさかあんなバカをしでかすとは思いもよらなかったがな……」


 ナーザ様の次代の魔王――ジルグード=ザルツハイベン様。


 それが、五百年前に魔族と人間の大戦を引き起こし、結果として魔族が人間の脅威に日々悩まされる原因をつくった人物である。


「あの大バカモノめ……己の力を過信して戦をしかけた挙げ句、人間の“勇者”なぞという輩にあっさり討ち取られおって。あやつを魔王に推薦したことだけは、どんなに悔やんでも悔やみきれぬ……我の生涯最大の失敗だ」


 言葉では厳しく非難しつつも、どことなくもの悲しげな表情を覗かせるナーザ様。


 ……公式資料によると、ジルグード様は、彼女のお孫だったとか。


 その胸に秘めた感情は僕などでははかりきれないけど、ナーザ様は自分の後継の所業に深い責任をお持ちだということはたしかなようだった。


「罪滅ぼしというわけではないが、我が今もこうして三賢臣さんけんしんなぞとぬかして未練たらしく政治にかかわっているのは、そういうことだ。この事実を知るのは、ほかの三賢臣さんけんしん及び十大領主の中でもごく限られた者のみだ」


 ……公式ではその去就が語られていないかつての魔王が、後継のしりぬぐいのために魔王の側近に名を連ねているなんて、対外的にあまりいい話ではない。


 だから、秘密を知る者もなんとなく口をつぐみ、ナーザ様の正体に関しては一種のタブーとなっているようだ。


 ご自身についてわりと軽々しく語っていたナーザ様だけど、不意に表情をあらため、神妙な空気を纏う。


「まこと難儀な身の上ではあるが、それでも責任はとらねばならぬ……そのために、我は過ちを犯すような者を二度と魔王にはせんと誓った」


 ……ユーリオ様の王位継承に否定的だったのも、その信念からのようだった。


 あの男のことだ、いつさらなる欲望にかられて戦争を起こさないともかぎらない。


 ナーザ様の判断は正しいと思う。


「その点、ルーネなら暴走の心配はないと判断した。あれだけ怠惰であることに心血を注ぐおぬしじゃ、戦争などというしちめんどくさいことはゴメンじゃろ?」


「う……」


 急に話を振られ、お嬢様は黙り込んでしまう。


 ……実際そのとおりなので反論しようがないようだ。


 それに、お嬢様の顔は恥ずかしさから、ほんのり赤みを帯びている。


 お嬢様なりに誇りをもってだらけてはいるものの、それを他人からあらためて指摘されるのは、やはり恥ずかしいようだ。


「それに、フィリエルもいる。おぬしなら、ルーネを堕落させはしても、みすみす破滅への道を進ませることはせんじゃろ」


「はい、そのとおりです」


 一方で、僕はけろりとそう頷いてみせた。


 僕の望みは、お嬢様のゆるだら生活、ひいては幸せを守ること……お嬢様を不幸にし、死に至らせるようなことはけっしてしないし、させない。


 その信念で、僕はこの方に仕えているのだ。


「ま、そういうわけでルーネにはとんだ災難だが、これも魔族の将来のため……せめて少しはマシな後継者が見つかるまで、どうか魔王の座を守っていてほしい」


「……ほんとに、あたしでいいのかなぁ」


 ナーザ様の言葉に対し、お嬢様はぽつりと弱音を一言。


 それは、魔王モードはもちろん、淑女モードでもけっして言わないこと……お嬢様の本音にほかならない。


 秘密を知るナーザ様の手前、それにここの気安い空気が、お嬢様を素に立ち戻らせたのだろう。


「たしかに、言葉ではおぬしを歓迎していても、腹のうちではよからぬことを思う者がいるだろう。我ですら御しきれない曲者もいる。それが魔王城という場所だ……数千年前から、ずっとな」


 そんなお嬢様に、ナーザ様は実感のこもった現実をあえて突きつける。


 たしかに、さきほどの会合での十大領主の方々の反応は、グラガム様を除いて意外なほどに好意的だった。


 ぽっと出で権力の座についた魔王に対して、不自然なほどに……


 そのすべてが本心とはかぎらない……ナーザ様はそう言いたいのだろう。


 でも……


「しかし、おぬしの態度次第で味方についてくれる者も多いはずだ。臣下たちの信を勝ち取り、多くを味方につけろ、ルーネ。それが、魔王であるおぬしのこれからの務めだ……我も、できるかぎり協力しよう」


 ナーザ様はやさしい笑みを浮かべ、穏やかにそう言う。


 まるで親のように慈しむようなやわらかな顔で、お嬢様を見つめていた。


「ナーザ様は、どうしてそんなにあたしにやさしくしてくれるんですか……?」


「言ったろ、親近感だよ。それに、実際に血のつながりはなくとも、おぬしは我の遠い孫のようなものだ……老婆心くらいわくさ」


 たしかに、今のナーザ様からは普段の得体のしれない気配は感じない。


 打算からではなく本心からお嬢様を気遣っている……僕はそう感じた。


「なんなら、ばあちゃんとでも気安く呼んでくれても構わんよ? おぬしみたいな可愛い孫娘とは、とんと縁がなかったのでな」


 そんなことを言いながら、「かっかっかっ」と軽快に笑うナーザ様。


 たしかに見た目はともかく、その立ち振る舞いは孫を励ます元気なおばあちゃんといった感じだった。


「気づかなかっただろうが、この辺には我の結界が張ってある。我の客以外からは見えぬようにな……ここでならおぬしの正体が悪意ある者にバレることはない。愚痴のひとつでも言いたくなったら来るといい。いつでも相手をしてやろう」


「うん……」


 そんな彼女と接するうち、お嬢様の表情もほぐれ、次第にナーザ様へ心を許していくのがわかる。


 ……この魔王城で最初に得た心強い味方に、お嬢様は安心感を覚えていた。


 やがてナーザ様と気軽に話すようになり、僕でもあまり見ないような明るい笑顔で、お嬢様はこの穏やかな時間を過ごした。






 やがて日が暮れ、僕とお嬢様はそろそろお暇しようとする。


「――グラガムのこと、あらためてすまなかったな」


 そんな僕たちを呼び止めるように、ナーザ様はテーブルについたままそう言った。


「たとえでっちあげのでたらめとはいえ、“愛人の娘”と罵倒されるのはこたえたろう。“あの設定”は少々酷だと我も止めはしたが、ザルツハイベンの連中にそうでなければ協力はしないと押しきられてな……」


 さっきとうって変わって神妙な態度で、ナーザ様は語りはじめた。


 ……もともと、魔王クゥネリアが先代魔王と愛人の間に生まれた隠し子という設定は、ザルツハイベン家が言い出したことらしい。


 それが、ぽっと出の正当後継者の出自としては一番手っ取り早いのにくわえ、ザルツハイベン家は自分たちへの風当たりをやわらげるため、あえて先代魔王に責任を負わせるような設定を考えた節がある……というのが、ナーザ様の推測だった。


 死人に口なし……愛人の件ついてもっとも追及されるべき先代魔王がこの世にいない以上、この件を深く詮索する者もいない。そういう思惑だろう。


「しかし、よりによって愛人の娘とはな……やつらめ、我への当てつけのつもりか」


 ザルツハイベン家を批判していたナーザ様からふと、そんな言葉がこぼれる。


 つい、言わなくてもいい愚痴がぽろりと出た……そんな言い方だった。


 その言葉を聞いて、僕はぴんときた。


「……ナーザ様。ひとつ気になっていたのですが……」


 少々不躾ぶしつけなのを承知で、僕は思いきって訊いてみる。


「あなたはすでに、三千年以上生きているとのこと……いくら皇魔族ダークロードとはいえそんな長寿命の魔族の話は僕も聞いたことがありません。それに、その魔族にしてはいささか長すぎる耳……あなたはもしや――」


 僕が恐る恐るそこまで言うと、ナーザ様の唇がふっとゆるむ。


「……さよう。我は、我の先代の魔王と“エルフ”の女の間に生まれたハーフだ。血は多少薄いが、それでも並みの魔族の三倍は長く生きている。体の成長も早いところで止まったせいで、いまだこんな童女の姿というわけだ」


 僕の失礼な詮索に、ナーザ様は自嘲ぎみにつらつらと答えてくれた。


 エルフ……人間たちが支配する大陸のどこかで、今もひっそりと暮らしているという森の民。


 全種族一番の知恵と寿命を持った彼らは、ほかのどの種族とも積極的にはかかわらず、古くから隠れ住むように生きていた。


 だが、今でこそ交流は絶たれているものの、大昔は魔族と少なからず共生する者がいたそうだ。


 でもまさか、魔王とエルフの女性が子を成していなんて……


 公式上では、魔王の系図に他種族の血が入っているという記録はない。


 よって、エルフの女性は正式な妃ではないということ。


 それは、つまり……


「おっと、それ以上の詮索はよした方が身のためだぞ。我から話せるのはここまだでだ。これ以上の好奇心は身を滅ぼすと知れ」


「はい……失礼しました」


 ナーザ様の、気安げながら本気らしい圧がある言葉に、僕は素直に引き下がる。


 ……これ以上追及するまでもなく、ナーザ様の言動からおおよその事情はすでに察しがついていた。


 ひょんなことから魔王という重責を担うことになり、さらに愛人の娘というありもしないレッテルを貼られたお嬢様に親身なその姿勢……


 ……つまりそういうことなのだろう。


 そう推測してようやく、ナーザ様の思惑を理解できた。


 話を聞きはじめた時は、この方がユーリオ様を失脚させるため、お嬢様が魔王になるようあの事件を仕組んだ……なんてことも考えたが、それは杞憂のようだ。


 今なら言える……この方は信用できる、と。


 ならば、僕がこれ以上彼女の事情に土足で踏み入る道理はない。


「お嬢様、今のナーザ様の話はくれぐれも……」


「わかってる、絶対誰にも言わないよ。あたし死にたくないもん」


 最後にお嬢様とそう示し合わせ、事実を胸にしまいこみながら、僕たちはナーザ様のもとをあとにした。






 ――それから五日後。


 お嬢様はついに即位の儀当日を迎えた……

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