第4話「甘やか執事、牢獄でもお嬢様を甘やかす」

 

 ――幻魔族ナイトメアとは、幻惑や精神攻撃をもって他者を惑わす能力に長けた種族だ。


 ヴィリジオ家はその中でも強力な、“夢魔”の一族である。


 男性はインキュバス、女性はサキュバスと呼び名は異なるが、いずれも異性を魅了し、強力なエナジードレインで精気と魔力を吸いつくして自らの力に変える魔族だ。


 お嬢様にももちろん、その血が流れていた。


 もし、まっとうに成長していたなら、さぞ妖艶ようえんでみだらなサキュバスに成長していただろう。


 でも、僕の教育の賜物たまものというかなんというか……


 お嬢様は性の快感を知ることなくゆるだらに育ち、本来なら適性の年齢である1××歳を超えてなお、ついぞサキュバスの本能が目覚めることはなかった。


 ただ、一族の特性はべつとして、子供がエッチじゃないに越したことはない。


 ゆえに旦那さまからも特に注意されることなく、ここまでエッチとは縁のない健全(?)なゆるだら令嬢として過ごすことができたのだ。




 ……けど、ユーリオ様に強引に迫られた結果、その本能がついに目覚めてしまった。


 ベテランの夢魔であったなら、イタズラ程度のドレインで済んだかもしれないけど、あれがはじめてだったお嬢様にそんな加減はできなかった。


 サキュバスとしての力を発揮したお嬢様は、ユーリオ様を逆に快楽のとりことし、その精気と魔力を見事に吸いあげてしまったのである。

(あくまで行為におよぶ前にドレインしたので、お嬢様の貞操はセーフ。もし本当にヤッてたら、僕がユーリオ様にトドメを刺していただろう)


 ユーリオ様はミイラにかぎりなく近い状態になったものの、さいわい一命はとりとめた。


 お嬢様にユーリオ様を害する意志はなく、呼び覚まされた本能のまま無意識に彼を襲っただけ……それでも事態が事態なだけに、無罪放免とはいかない。


 お嬢様はその場でただちに拘束され、皇太子を害した罪で魔王城の地下牢に投獄されるのだった……




 ◆




「ひもじい……ひもじいよぅ……ぐすん」


 ――あれから、何時間経っただろう。もう夜は明けたのかな。


 あたしは、外の光も届かない暗い牢屋の中で、ひとりしゃがみこんでいた。


 周囲はかびくさく、投獄の際に着せられたボロ布のような囚人服もなにやらきついにおいがしみ込んでいて、まるで地獄のようだった。


 それに、ここにはなにもない……


 ふかふかのベッドも、本も、おもちゃも、マポテチも、つめたいマコーラも、なにも……


 床も壁も一面が堅い石造りだから、ごろごろすることもできやしない。


「マポテチがたべたいよぅ……マコーラ飲みたいよぅ……フィリー……フィリー……!」


 いつしか涙がぽろぽろと止まらなくなり、あたしはここにはいない執事の名を呼び続けた。


 呼べばいつでも来てなんでもしてくれる、大好きなあたしの執事。


 でも、いくら呼んでもここには……




「――はい、お嬢様。ここに」


「へ……?」




 もしかしたらもう一生聞くことはないかもしれないと思ってた声に顔を上げると、そこにはいつもと変わらないメガネの黒髪執事が、微笑みを浮かべて立っていた。




 ◆




 ――自慢じゃないけど、僕はその気になればたいていのことはできる。


 献身的な執事スキルのみならず、魔法もけっこう得意なのだ。


 たとえば、とある領主の記憶をほんのすこしだけいじって、まんまと執事として雇ってもらえるよう仕向けたり……


 たとえば、ヴィリジオ家本邸から直接この牢の中に空間転移したり……


 たとえば、そこの看守の認識をほんのすこしいじって、お嬢様の牢の様子に気づかないようにしたり……まぁ、そんなところだ。


 ただ、事情があってどれも頻繁に使えるものじゃない。


 僕がそれらを使うのは、お嬢さまの窮地のみだ。


「はい、お嬢様。マポテチとマコーラをどうぞ」


 僕は屋敷でいつもそうしているように、お嬢様の好物が載ったトレイを差し出す。


 空間魔法を使えば、屋敷からこの牢にものを運ぶことも造作もない。


「ふ、ふおおおお……!」


 お嬢様は涙目で感激の声をあげるや、マポテチをバリバリ、マコーラをごきゅごきゅ飲み干し、牢獄の中で堕落の味を満喫する。


 けど、こんな劣悪な環境では、これだけでは到底満足とはいくまい。


「お嬢様、このような場所ではさぞ眠りにくいでしょう……ただいま、ベッドをお運びします。おいで、ガーコ」


 僕は、たった今自分が通ってきた“空間の穴”に声をかける。


「がー」


 そこから短い声が返ってくるや、空間の穴からぬっと、お嬢様ご愛用のふかふかベッドが乗り込んで来た。


 それを運ぶのは、幼女同然に小柄なメイド……僕やメルベルと一緒にお嬢様に仕える、メイドのガーコである。


 ガーコはその小さな体からは想像もできない力でベッドをひとりで持ち上げ、のっそのっそ、どしーんと牢の中にこれを設置した。


「わーい、ベッドだー!」


 まさに、地獄の中に出現した楽園。これには、お嬢様も大喜び。


「はいは~いお嬢さま~! そんなばっちぃぼろきれはさっさと脱ぎ捨てて、どうぞこれにお召し替えを~」


 さらに空間の穴からメルベルもやってきて、お嬢様にご愛用のパジャマを渡す。


 その後も僕は屋敷から次々とお嬢様の愛用品を持ち込み、牢屋はあっという間にお嬢様のゆるだら空間へと変貌した。


 ……その気になれば、お嬢様をここから連れ出すこともできなくはない。


 でもそんなことをすれば、それこそお嬢様の怠惰な生活は終わりを迎え、待つのは過酷な逃亡生活。


 だからせめて、牢屋だろうとお嬢様の怠惰な時間は守り通す……


 それが、執事たる僕の務めだ。


「お嬢様、もう少し辛抱してください。現在、旦那様とともに一刻も早くお嬢様がここから出られるよう、尽力しておりますので……」


「うん……! うん! ありがとう、フィリー!」


「それでは僕とガーコはこれで失礼しますが、メルベルは置いていきます。どうぞ、なんなりとお申しつけを」


「え」


「じゃあ、メルベル。まずはここをちゃっちゃと掃除しちゃってよ。におってたまらないんだー、ここ」


「え」


「それじゃ行くよ、ガーコ」


「がー」


「ちょっ、まっ……いやですよ~、こんなきたないとこ! においがうつっちゃうじゃないですか~!」


「そんなとこになおさら、お嬢様だけ置いておけないだろ。いいから働け」


 わめくメルベルを尻目に、僕とガーコは空間の穴から屋敷へ帰還。


 その間もメルベルはぐだぐだとなにやらほざいていたが、魔法を解除した途端穴は塞がり、彼女の声も途切れるのだった。


 ひとまず、彼女がいればお嬢様も寂しくあるまい。


 本当なら僕が直接お仕えしたいけど、僕には旦那様にいろいろ入れ知恵して、なるべく穏便かつすみやかにお嬢様を救うための交渉をさせるという使命がある。




 そして、それから三日後の朝……思わぬ進展が待ち受けていた。




 ◆




 その朝、僕は旦那様が普段から詰めている領事館へと呼ばれた。


 この幻魔族ナイトメア領は領とは名前だけの、ひとつの街に過ぎない。街の規模にこそ差はあるが、皇魔族ダークロード領を含めたすべての領がそうだ。


 よって、領事館もヴィリジオ家本邸からそう遠くない距離に建っていた。


 そこを訪れると、僕は早々に旦那様のいる執務室に通されたが、そこにいたのは旦那様だけではなかった。


 それは、執務服のようではあるけどずいぶんとタイトな装束姿の、お嬢様とたいして変わらない年ごろっぽい少女だった。


 この気配、おそらく“妖魔族デモニア”か……


 魔族の中でもっともポピュラーな種族だ。


「よく来てくれた、フィリエル。こちらは、先ほど到着された魔王城からの遣いの方だ」


「はじめまして。詳細な自己紹介は省きますが、私は“三賢臣さんけんしん”がひとり、バハル=ダルムードからの遣いの者でございます」


 少女は見た目に反してかなり落ち着いており、淡々と会釈する。


「はじめまして……」


 それに応じ、僕も軽く会釈した。


 ……三賢臣さんけんしんとは、魔王の相談役として魔族の統治に密接に関わる魔王城の大臣たちだ。


 お嬢様が投獄されてから、旦那さまは僕との相談のうえでずっと、その三賢臣さんけんしんに直接働きかけるため、魔王城との交渉を進めてきた。


 その結果、僕らの声が届き、ついに彼らは腰を上げたのである。


 だが、それでも事態はまだ安心できない。


 いざという時の判断のため、旦那様は僕にこの場への同席を求めたのだ。


 かくして、僕たちは接客用のソファーに座り、話を聞くことになった。 


「――さて、ユーリオ=ザルツハイベン様に害をなした罪で、現在投獄されているご息女についてですが……」


 重い沈黙がしばらく続くと、やがて遣いの少女が厳かに口を開く。


「残念ながら、処刑は免れないかと……次期魔王候補の皇太子様を害した罪はそれだけ重いのです」


 そして、その残酷な決定はじつに淡々と告げられた。


「そんな、ルーネ……! ルーネ! 私の、私のせいで……!」


 これを聞いた途端、旦那様は頭を抱え、狂おしく悲嘆に暮れる。


 今回の事件に、旦那様は心から責任を感じていた。


 ユーリオ=ザルツハイベンの本性を見抜けず、まんまと娘を明け渡してしまった自分の行いを後悔していた。


 だからこそ、僕の言葉があったとはいえ、三賢臣さんけんしんにコンタクトをとるためこれまで必死に方々を駆けずり回ってきたのだ。


 それが徒労に終わったと知り、旦那様は無念に打ちひしがれていた。


 けど……


「お待ちを、旦那様。どうぞ、落ち着きください」


 旦那様の震える肩にそっと手を触れ、僕は遣いの少女の顔を見すえた。


「――今、“このままいくと”、と言われましたね? それは裏を返せば、お嬢様の処刑を阻止するための案があるということでは?」


 僕がそう言うと、これまで仏頂面だった少女が、薄く笑みを浮かべた。


「聡明な方ですね、話が早くて助かります。ええ、そのとおり……三賢臣さんけんしんの方々は、ある“条件”でルーネ嬢の処刑を取り消す用意があると仰せです」


「その、条件とは……?」


 藁にもすがるといった面持ちで、旦那様が尋ねる。


 その問いに、少女は笑みを消し、ふたたび感情の乏しい顔で淡々と口を開いた。


「それは私の口から言えることではありません。続きは、どうぞご本人たちから……三賢臣さんけんしんの方々が魔王城でお待ちです」


 ――それは、三賢臣さんけんしんとの直接交渉の申し出であった。

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