第5話「ゆるだら令嬢と三賢臣」
――朝早く
目的地に着いたころには、陽が高くなり、時刻は正午を過ぎていた。
その中央に、魔王城は存在した。
黒ずんだ石とも鉄ともつかぬ素材で造られた、おどろおどろしくも荘厳な佇まいの巨大な城だ。
城内に立ち入れるのは、城勤めの役人以外は特例でないかぎり、領主の中でも十大領主のみ……僕はもちろん、旦那様も中に入るのははじめてだそうだ。
……けど今は、とても観光できるような気分ではない。
大きな城門を抜けて、ここまで同行してきた遣いの少女の案内で城の中を進む。
やがて通されたのは、城の最奥……十大領主でさえ立ち入れないという、
「――では、こちらの席へどうぞ」
着席を促されたのは、部屋にぽつんと置かれた椅子……その目の前に設置された円卓には、三人の人物が揃って座っていた。
あれが、
魔王と対等に近い地位に上り詰めたほどの熟練した濃密な気配をたしかに感じながら、僕は旦那様とともに席についた。
……まるで、これから査問にでもかけられるかのような、重い雰囲気だった。
「遠路はるばるご苦労であったな、ウォルム殿。私は
まず最初に口を開いたのは、こちらから向かって円卓の右側に座る、いかめしい髭面の壮年の男性だった。
バハル……バハル=ダルムード。ここに来る前、遣いの少女の口から聞いた名だ。
「同じく、ジデルと申しますじゃ……ほっほ」
さらに、左側にかなり物腰の柔らかそうな老年の男性……頭頂部に見える獣耳から、“
「――ナーザだ」
そして、その二人の中央に座るローブ姿の人物……
この人物にかぎってはフードを目深にかぶっていて顔がわからず、声も魔法で加工しているかのように性別がはっきりしなかった。
……背丈は、子供くらいに見える。
その得体の知れなさに僕が不安を覚えていると、隣で緊張するばかりだった旦那様が、意を決したように口を開いた。
「このたびは、
「まあ、待て……」
はやるように話を進めようとする旦那様を、ナーザ様がおもむろに遮る。
「まだ、ここに招集するべき者がいる……そら、椅子はもうひとつあるであろう?」
ナーザ様に言われて確認すると、たしかに僕の左側の席に座る旦那様の向こうに、空席があった。
「――ただいまお連れしました」
そこへ、いつの間にか姿が見えなくなっていた遣いの少女が、ふたたび現れる。
その後ろにいるのは……
「ルーネ……!」
その姿を見るや、旦那様が立ち上がって声をあげた。
少女に連れて来られたお嬢様は、投獄された時と同じ囚人服を着ている。
……平然とした少女の様子を見るに、お嬢様のゆるだら牢獄生活のことはバレていないようだ。
今朝、少女から話を聞いた時点でこうなることを予想した僕はここへ向かう前、大急ぎで牢屋に空間転移し、メルベルとベッドその他を回収。
お嬢様には、もとの囚われの身に戻っていただいたのだ。
あのゆるだら空間に気づかないのは、僕が認識阻害魔法をかけた看守だけ……新たにあそこを訪れた第三者の目を誤魔化すことまではできない。
普段は好きこのんで足を踏み入れる者がいない地下牢だからこそ、成立した手段なのである。
あのままだったら、お嬢様を迎えに来た少女によってすべてが明るみになっていただろう……ふー、あぶなかった。
お嬢様は終始無言で俯いたまま、用意された椅子に座る。
今は、長い投獄生活で心身疲れきった哀れな令嬢モードといったところだ。
……僕と打ち合わせたとおりの立ち振る舞いである。
「――では、みな揃ったところで話を進めよう」
お嬢様が席に着くと、
見た目どおりの、厳格な性格を浮き彫りにした態度だった。
「まず、皇太子ユーリオ様を害した下手人、ルーネ=ヴィリジオ。お前が犯行に至った経緯は我々も把握している。ユーリオ様に非があったことは明らか……客観的に判断するなら、
「ならば……!」
「それでも、たかが一領主の娘が次期魔王候補の皇太子を害した罪は重い! 本来なら、とっくに処刑されるべき立場であったと知れ!」
旦那様の言葉を一蹴し、バハル様は猛るように声を荒らげた。
長きに渡り魔族を支配する絶対王政の掟……このバハル様は、それを遵守する“旧いタイプ”の大臣であるようだ。
でも……
「……本来なら、とおっしゃられましたね。事実、お嬢様は今もこうして刑を免れている……失礼でなければ、その理由をうかがってもよろしいでしょうか?」
ヒートアップする旦那様とバハル様を諫めるように、僕は冷静に言葉を挿む。
これにバハル様はばつが悪いように、口を閉ざした。
「ほっほ、要はですな……現状、唯一王位を継ぐ資格があったユーリオ様があのようなことになり、我々は非常に困っているということですじゃ」
その彼に代わって、三賢臣ジデル様がひょうひょうとした態度で語る。
「――ユーリオが問題多き人物であったことは、我らとて承知していた。それでも、あの者を王位に推したのはひとえに、ほかに適任の者がいなかったからだ」
さらに次いで、ナーザ様が言葉を続ける。
「知っての通り、我ら魔族は五百年前の“大戦”で人間どもに敗北してから、非常に危うい立場にある。人間どもは我らをこの大陸という小さな檻に押し込めて、すっかり世界の支配者気分だ……現在は戦後協定によりこの大陸でのみ我らの暮らしを認めてはいるが、いつ魔族の息の根を止めるため攻め込まんともかぎらん」
ナーザ様はつらつらと語った。
魔族の屈辱の歴史を……
そして、長年頭を悩ませてきた問題を……
「だからこそ、我らには“強い王”が必要なのだ。強大な魔力を背景に人間どもに睨みをきかせられる、強い魔王がな……先代とその第一皇子亡き今、魔王にふさわしい魔力を持つのは、第二皇子ユーリオ=ザルツハイベンをおいてほかにいなかった」
「――ゆえに、我々は多々なる問題に目をつぶって、あの方を即位させようとした。いつまでも王座をカラにしていては、人間どもにつけ入るスキを与えかねんからな。細かな問題は、即位させたあとで徐々に改善させていくつもりだった……!」
「それも、すべて今回の事件で台無しになったわけですがな……唯一頼りにしていた魔力がない今、あの方を王座に据える理由はありますまい。あれだけ徹底的に魔力を吸いつくされたとなると、もとの状態に戻るまで何十、何百年かかるか……」
かわるがわる、事態の深刻さを吐露する三賢臣たち。
それを聞かされるほど旦那様、それにお嬢様の顔がどんどん青くなっていく。
お嬢様は俯いたまま、体をかたかたと震わせていた。
それに気づきながら、僕は声をかけることもできず、見ているしかなかった。
けど……
「――だがさいわいなことに、かわりの目処はついた。ユーリオ以外にひとりだけ、魔王にふさわしい魔力を持った者が現れたのだ」
――ここで、流れが変わった。
それまでぼんやりと前を見るだけだったナーザ様の視線が、不意にお嬢様を見すえたのだ。
「おぬしだよ、ルーネ=ヴィリジオ」
「へ……?」
俯いて話を聞いていたところ、急に名前を呼ばれてとっさに顔を上げるお嬢様。
彼女も旦那様も、それに僕も、きょとんとした顔でナーザ様を見る。
「おぬしはサキュバス、他者から精と魔力を吸い取る魔族だ。ならば、おぬしの体には当然、ユーリオからしぼり取ったきゃつの魔力がたっぷり残っているだろう? であれば問題なし……魔力量だけなら、十分に魔王になる資格はあると言っていい」
「え、それって……つまり……?」
動揺するお嬢様に対し、ナーザ様のフードに隠されて見えないはずの唇が笑みを浮かべたように見えた。
「――ユーリオにかわり、おぬしが新しい魔王になるのだ、ルーネ」
「え……」
えええええええええええええええええっ!!?
ナーザ様の発言に茫然とするお嬢様の横で、僕は盛大にたまげていた。
もちろん、声にも態度にも出していない。
旦那様たちの前で、そんな醜態見せてなるものか。
だから、心の中で力のかぎり驚いた。
「条件とはこのことだ。もちろん、いきなり全魔族の統治者として完璧に仕事しろなどと、無茶なことは言わん。おぬしにはあくまで、象徴としての魔王を演じてもらうだけじゃ。統治に必要な実務は我ら
……とりあえず、
そういうことらしい。
「もし、おぬしが承諾するならば、処刑の件は白紙にしよう。だが、もし断るのであれば……」
にたにた笑っているかのようないやな気配を漂わせて、ナーザ様は言った。
こんなの、脅迫じゃないか……!
でも……
お嬢様は思案するように俯き、そのまま黙ってしまった。
魔王になるか……
それとも死か……
多少裕福で教養もあるとはいえ、王族というものになんの縁もなく育ってきたお嬢様にはあまりに突然で、過酷な二択だ。
当然、すぐに答えられるはずもなく、お嬢様はいつまで経っても顔を上げることはなかった。
◆
「――迷うような話ではないと思うが、しかたない。今晩だけ時間をやろう。じっくり、心の整理をつけるがいい」
結果として、ナーザ様から一晩の猶予が与えられた。
僕と旦那様は魔王城に部屋を用意され、そこに宿泊ののち、明日の議会にも出席することになった。
ささやかに用意された夕食を済ませ、旦那様と別れた僕は自分にあてがわれた部屋へ入ると、そこからすぐ空間転移した。
行くのはもちろん、お嬢様がいる牢屋の中だ。
「いやだよぉ~! 魔王になんかなりたくないよぉ~っ! なんで、あたしがそんな面倒なことしなくちゃいけないんだよ~うっ!」
僕が来るや、お嬢様はすぐに泣きつき、その本心を打ち明けた。
それも当然だ。旦那様と違って、お嬢様は基本的に権力には興味がない。
むしろ、権力が増すだけ仕事が増え、ゆるだらする時間が減ると忌避すらしている。
「魔王って、すんごい忙しいんでしょ!? そんなのになっちゃったら、ベッドでゴロゴロしてマポテチ食べてマコーラ飲むヒマもなくなっちゃうじゃんかよぉ~!」
「しかし、お嬢様……魔王にならなければ、処刑されてしまうんですよ?」
「ぐすっ、それもヤダだけどさぁ……」
……この件で、お嬢様がぐずるのは予想できたことだ。
たいていのことなら、僕はお嬢様の意思を尊重し、擁護していただろう。
けど、今回ばかりは……
「すみません、お嬢様。僕のわがままをお許しください……どうか、この話を引き受けてはくれませんか?」
「フィリー……?」
僕はお嬢様の肩に手を置き、
僕がこんな風にものを言うのが、よほど意外だったのだろう。
お嬢様は茫然とした声を僕に返す。
「――僕は、お嬢様に死んでほしくないんです」
……そうだ。
僕はこの一言を言いたいがため、ここに来たのだ。
お嬢様の身を案じての言葉なのは間違いないけど、それはすなわち僕自身のためでもある。
僕はあくまで個人的な望みで、お嬢様にお願いしているのだ。
……お嬢様を失いたくない。ただ、その一心で。
「けど、あたしが魔王なんて……」
「もちろん、お嬢様が魔王になっても、僕は変わらずあなたに仕えます。面倒なことは可能なかぎり、僕が引き受けます。この先なにがあろうと、お嬢様の平穏は揺るがせない……この身にかえても、あなたの自由は僕が守ります!」
お嬢様の手をとり、跪いて、僕は誓いを立てた。
お嬢様が魔王になろうと、僕のすべきことは変わらない。
「……ほんとに?」
「はい、必ず……!」
心細げに揺れるお嬢さまの瞳を見すえ、僕は断言した。
なにがあろうと、お嬢様の笑顔が絶えないゆるだらな日常を守り抜く……
それが、僕の絶対の使命なのだ。
「わかった……」
やがて、お嬢様は薄く笑みを浮かべた。
僕を信じてくれたのだ。
その信頼にこたえるため、なんとしてもこの誓いを破るわけにはいかない。
「では、お嬢様……今後のため、明日お嬢様にはすこしがんばっていただく必要があります。よろしいですか?」
「ん?」
そのために、まず僕は彼女に策を授けた。
僕がこれからも、お嬢様のそばで仕えるために必要な悪知恵を……
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