愛している。

 渚は、呆れた顔で俺を見ていた。

 渚には、俺の心境がいつも筒抜けだった。しかし俺には、未だ彼女の気持ちの全てはわからない。時々、怒っているな。楽しそうだな、そんなことくらいしか、俺にはわからなかった。


 でも今、渚が何を思っているか、俺はわかった。


「……宗太」


「何さ」


「バカ、なの?」


 月明りが渚の顔を照らした。渚は、目尻に涙を溜めていた。

 この期に及んでろくでもない提案を持ち掛けた俺に、怒りを示していた。


「そうだよ、俺は大バカ野郎だ」


 言う通りだったから、俺は自らを嘲笑い言った。


「大切な人が死ぬ。それだけで俺の人生が終わったと、そう思ってしまうくらい……俺は大バカ野郎なんだ」


 でも、俺は気付いた。

 気付かせてもらった。


 大切な親友に。

 俺よりも大人な彼に、気付かされた。




「君が好きなんだ」




 仮に、大切な人の間近に死が迫っているとする。




「君と幸せになりたいんだ」




 でもそれは、この想いを諦める理由ではない。




「君のこと……愛しているんだ」




 だから俺は、足掻こうと覚悟を決めた。

 彼女との死別は……どう転んでも、必ずいつかやってくる。人はいつか死ぬ生き物だ。大切な人を悲しませるとわかっているのに、大切な人を苦しませるとわかっているのに、裏切り行為のように唐突にその場を去っていく。

 でも、それまでに彼女と残せる幸福は何にも代えがたいものになるだろう。


 確信していた。




「君と再会して恋人になって……ぼやけていた視界が広がった気がしたんだ」




 小学校低学年までは良く一緒に遊んだ。

 でも、小学校高学年、中学生にもなると徐々に疎遠になり、高校、大学は別の進路を進んだ。


 成人式で再会した。

 彼女への想いを知り、後悔して、憔悴した。


 彼女に婚姻届を突き付けられた。




 それからの思い出は、たくさんの色鉛筆で彩られたような素晴らしい毎日だったんだ。

 好きな人と一緒に入れる。好きな人と傷をなめ合い、慰め合える。


 好きな人と、一つになれる。


 濃密な人生を送ってきた。

 親友は俺より先に濃密な人生を送ってきた。だから彼は大人だった。


 ……だったら、今。

 濃密な時間を過ごした俺は……大切な人とのかけがえのない時間の有難いを知り、失う絶望を知った俺は。


 どんな困難が待ち受けていようと、彼女と進みたいと自己主張する俺は……!


 エゴにまみれ、損得勘定で物事を判断し……でも、誰かのためなら自分の命すら惜しくない。大切な人のためなら、どんな辛いことでも乗り越えられる。乗り越えていける。


 ……そんな、大人になったんだろう。




「結婚しよう。そして、君が生き永らえる方法がないか模索しよう」


 ただ泣くことしか出来ない子供では、もう俺はないのだろう。


「君を失いたくない。君を幸せにしたい。君に幸せにしてもらいたい。それ以外には何もいらない。君がいれば、それ以外は何もいらない。

 だから……。


 だからっ、結婚してくれ……っ」


 涙が溢れた。

 泣く場面では、決してないのに。


 涙が止まらなかった。




 渚は……、


「なんでそんなに結婚に拘るの?」


 いつかの俺と、重なった。




「……わからない?」


 渚は沈黙した。


「愛しているから」


 俺は苦笑しながら、渚を抱きしめた。


「それ以外に理由、いる?」


「いるよ……」


 渚はようやく声を発した。


「確かにあたしは……宗太が好き。宗太が別の女との関係を匂わすと嫉妬する。宗太が大友の話を嬉々として話すと嫉妬する。それくらい嫉妬深くなるくらい、宗太が好き。

 ……でも、結婚は……もう、遅いよ」


「成人式の日から、たった数か月しか経ってないのに?」


 渚は何も言えなかった。

 あれからまだたった数か月。

 もし今でも結婚が遅いと言うなら……あの時でも、既に。


 渚は抑えきれなくなったと言っていた。

 あれは渚にとって、一時の過ちだったのかもしれない。


 でも、その後の彼女は……。

 微笑み、悲しみ、怒り、嫉妬し。


 そんな等身大だった彼女は……俺の愛した彼女は。


「渚、無責任なこと言うよ」


「……うん」


「生きてくれ」


「……うん」


「誰かさんが死ぬと知って、正気じゃなくなったんだ」


 俺は苦笑して続けた。


「小さい頃は一緒にいて、少し大きくなって疎遠になって。そうして再会して、当時の気持ちに気付いて交際を始めて。

 俺、たった数か月なのに、もう君がいない人生なんて考えられなくなったんだ。


 だから、責任を取ってくれ」


 抱きしめている渚の体が、震えていた。




「……嫉妬深いよ?」


「何を今更」


「……看病に付きっきりになるかも」


「構うもんか」


「……たくさん宗太に、隠し事をしている」


「ゆっくり教えてくれればいいさ」


「……いつまで一緒にいられるか、わからない」


「……人の命なんて、そんなものだろ。電車に飛び込めばただの肉塊と化す。そんなものじゃないか、人の命なんて。


 いつまで一緒にいれるかなんて、わからなくて当然だ。

 明日かもしれないし、来年かもしれないし。もっと先かもしれない。


 時間は無限じゃない。限りがある。

 大切な人はいつか死ぬ。


 だからこそ俺は……渚といたい。いつか来る別れの日まで、ずっとずっと。思い出をたくさん作りたい。愛し合いたい」




 それが愛するということだと思った。

 別れの日まで、幸せを築いて、彼女の分も生きていく。彼女の想いを受け継いでいく。


 それが、俺の中の渚への想いだった。


 でも……俺はもう、子供じゃない。

 だから俺は、渚が生きる術を探そうと思う。渚に自分のエゴをぶつけようと思う。


 彼女との別れの日を。




 明日から、明後日に。


 来年から、再来年に。




 もっと先から、もっともっと先に。


 エゴでも。

 周りから非難されても。

 全てを失っても。

 


 構わないと思った。




 それくらい俺は、今俺にしがみつき慟哭を上げる女性のことを、愛していた。

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