隠し事
高校の時、祖父が天国へと旅立った。同居していたわけではなかったから、毎月のように会っていたにも関わらず涙をこぼすことはなかった。
しかし祖父の家、安らかに眠る祖父の顔を見て、まるで人形のようになってしまった祖父を見て、今までの祖父との思い出がまやかしだったのではないかと錯覚を覚えたことを今でも覚えていた。
線香の香り。
そして、亡骸。
大友の父。
祖父。
……そして。
まだそうなると決まったわけではない。むしろ、杞憂に終わる可能性の方が高いだろう。しかし夢を見ながら、俺はどうしても……。
どうしても、渚と天国へと旅立った彼らの姿を重ねてしまっていた。
ゴールデンウィークも半ば、つい先日帰省して東京へ帰還したばかりなのに、俺は再び地元に帰省をしていた。
電車の中。
いいや、朝起きた時。
昨日、眠る前。
……母から渚の入院を聞いた、その時。
その時から、俺はずっと気が気ではなくなっていた。
母が渚の入院を知ったのは、彼女の母親から連絡があったからだそうだ。
渚が入院した。
貧血気味でふらっとして、階段から転んでしまった。
可愛げのある、されど心配になる入院理由だった。
あの後母は、渚のおっちょこちょいなところを少しだけ笑っていた。
安心した、と母は言っていた。
大切な息子の恋人に、もしものことがあったら悲しいから、と。
本当に、良き母を持ったと思った。
それと同時に、直前にエリカさんにより気付かされた成人式の日の渚の奇行のせいで、動揺は隠せなかった。
渚が何かを俺から隠していることは明白だった。
思い返せば、あの後渚はあっさりと俺の意見に乗っかってくれた。まるで俺がその場で拒絶することをわかっていたかのように、婚姻の話を保留にした。
あれはつまり、自分でも自分の行動がおかしかったと思っていた証。
そうだ。小学校の同窓会の時だって、渚は周囲に俺達の本当の馴れ初めを語ることを恥ずかしがった。俺はあの時、その理由が自分のした行動があまりに突拍子もないことだと渚自身が自覚しているからなんだと、そう思ったはずだったんだ。
どうしても、結びついてしまうのだ。
あの日、渚があんな奇行に出た理由と……彼女の今回の入院が、重なってしまうんだ。
残された時間が少なかったから、渚が内に秘めた気持ちを俺に伝えたようにしか思えないのだ。
『宗ちゃん』
もしかしたら、出雲旅行の時の体調不良は前兆だったのではないだろうか。
彼女の両親に会いに行く前に渚が痩せていたことにも気が付いた。彼女はダイエットはしていないと言っていた。もしやあれも……。
電車の中、不安ばかりが募る内心に歯止めが効かなくなりつつあった。不安だった。渚が死ぬのではないかと、不安だった。
そんなはずはないんだと唇を噛み締めた。
彼女は、死なない。
全てが俺の杞憂で、ゴールデンウィークが終わる頃には退院して元気に電話し合えるようになる。
その時には、今日彼女が心配で再び帰省した俺のことを、渚に目一杯茶化されるだろう。茶化されて頬を染めて、それでも彼女に抱くこの想いが不変であることを認識し、そして甘い言葉を呟くのだろう。
早く、会いたい。
そう思って、夏休みにまた会って、彼女の両親とだってまた会って、ウチに招いて。
……そんな、明るい未来を連想した。
しかし、そんな明るい未来の手前に大きな白いモヤがかかった。濃霧を突き進む俺は、いつしか方角さえも見失い、やっとの思いで見つけた光の先に見えたのは……。
渚との、死別だった。
涙が零れていた。
渚の身が無事であってほしい。
渚の身にもしものことがあってほしくない。
もし、何かあったら……多分俺は、俺である自我を保てなくなる。
泣いて、叫んで、取り乱して、自傷行為に走って……きっと、後追いをしてしまう。
如何に、渚という存在が俺の中で大きな存在なのかを、再確認させられた。
幼少期、小学校低学年の時はたくさん遊んだ。
でも小学校の高学年、中学に上がると疎遠になり……。
高校、大学では別々の進路を歩んだ。
再会し、互いの気持ちを理解させられたのは、彼女の突拍子もない行動のせいだった。
でもあの行動のおかげで、俺は俺がなりたくもなかった大人になろうと奮闘し、そうして彼女への想いを膨らませて、少しだけ成長して……、
渚のことを、愛したんだ。
彼女のいない人生なんて、今ではもう考えられない。
彼女のいない未来になんて、今や何の価値も感じない。
彼女の死なんて……。
わかっていたはずなのに。
人はいつか、死ぬと……わかっていたはずなのに。
その事実を受け入れなければならない。
その事実を受け入れ、残された人達で手を取り合い、先へ進まなければならない。
あの時、俺の親友がそうだったように。
わかっているんだ、そんなことは。
でも、そんなこと出来っこない。
出来るはず、ないではないか。
渚がもし死ぬとしたら……そんな残酷な運命を受け入れられるはず、ないじゃないか……。
* * *
母に迎えに来てもらった足で、そのまま俺は渚が入院した病院へと向かった。
思わず憎らしくなるくらいの晴天の中、車は観光客で他県ナンバーの車が多いバイパス道を真っすぐ走った。
途中、渚と初めてデートに向かった神社へ向かう道を走った。
あの時、渚と談笑しながら乗る車の中では、こんな気持ちで彼女と会いに行くことになるとは思ってもいなかった。
ただ、無事を祈った。
まもなく車が病院に辿り着くと、母に一瞥だけして先に病院内に入った。母は俺を見送って、駐車場に車を停めに行った。
渚の入院する部屋番号は、事前に母伝いで聞いていた。
昨晩から、渚とは電話が繋がらなかった。だから一層、俺は不安に駆りたてられていた。
渚の入院する部屋は個室になっていた。
少し薬品臭い廊下で決意を固めたように息を吐いて、俺は扉を開けた。
「……渚?」
「あ、宗太」
渚は、元気そうだった。
頭と右腕に包帯を巻き、患者衣を纏っていた。
痛ましい姿だった。
「ご、ごめんねー。心配かけてー」
申し訳なさそうに、渚は言った。
「いやあ、びっくりしちゃった。突然ふらっとしたら階段でコロコロ転がって、気付いたら病院だもん。本当、驚いた」
俺は、黙って渚に近寄った。
そして、彼女を抱きしめた。
「うわひゃあっ!」
おかしな声が、渚から漏れた。
でも俺は、堪えきれなくなっていた感情をただ彼女にぶつけた。
「ご、ごめん……」
「……事故なら、仕方ないじゃないかっ」
怒気が交じった。言葉とは裏腹な感情は、俺のことを俺より知っている彼女ならば恐らく筒抜けだった。
「本当、ごめん……」
「無事なら……問題なんてないじゃないかっ」
問題ない。
包帯を巻いた彼女の姿を見て、とてもそうは思えない。だけど、自分に言い聞かせたくて俺は言った。
……そうだ。
これで良かったんだ。
彼女は怪我こそしたが……生きていた。
生きていたんだ。
それだけで十分じゃないか。
それだけで……。
それだけ、なら……。
「お母さん達に宗太を会わせたくなかった」
渚は俺を抱き寄せた。
「会わせれば、怒られるから」
渚は……。
「無関係な宗太を傷つけるようなことをしたあたしを、怒るから」
俺に、隠し事をしていた。
「でも、抑えきれなかった。言い訳にならないのはわかっているけど、抑えきれなかったの。そして、宗太の気持ちも。お母さんやお父さんの気持ちも、全部わかってた。
だってあたし、好きだったの。昔から。ずっとずっと。
小さい頃は一緒に遊んだ。少し大きくなって、君が周囲の目を気にするようになった。そして会話する機会も減った。
君は言ったね。あたしは大人だって。
小さい頃、あたしも自分はそうなんだと思ってた。
だから我慢してたの。
でもいざこうなって、愚かだったと思ったの。好きって気持ちをひた隠しにした昔の自分を、愚かだって思ってしまったの。
だってさ、時間は有限なんだもの。
人はいつか死んでしまうんだもの。
限られた時間でしか人は愛し合えないのに、どうして無駄な時間を過ごしてしまったんだろうって後悔しかなかったの……っ!」
震える声で、渚は捲し立てた。
「お父さんとお母さんには嘘をついて、宗太を会わせた」
渚の白い柔肌が、冷たかった。
「あたしの容体を伝えた上で交際してもらってるって、嘘をついた」
祖父のように。
「ごめんね。本当にごめん」
親友の父のように。
「あたし、もう永くないそうなの……」
人形のように、渚が見えた。
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