想い
ゴールデンウイーク初日の特急電車は盛況で、指定席のチケットを事前に予約していなければ座ることさえ出来なかっただろう状態だった。これまで二度、大学が長期休暇に入るこの期に実家へ帰省をしている俺は、そんな状況を事前に察知し座席に腰を下ろして一時間半程度の電車の旅を楽しんでいた。
……一部、語弊があった。
特急電車が盛況で指定席が取りづらいだろう状況。それを察知していたことは本当だった。だが俺は、その場しのぎを好む男だった。だからいざ新宿駅に行ってみて、直近の特急が取れなければ駅近辺で時間を潰せばよいと座席の予約はしていなかった。
俺が今座る座席のチケットを購入してくれたのは我が親友、大友だった。駅員という職業に就いた彼は、まだ試用期間であるにも関わず持ち前の鉄道業界への精通具合を活かして俺に帰りの日にちを確認、そしてチケットを予約までしてくれるというわかりみが深い行為に及んでくれのだったのだ。
そこまでしてくれる彼に申し訳ない気持ちを抱きつつ、面倒であればしなくて良いとまで言ったのだが、
『でも宗太。お前こうしてチケット取らないと一日くらいいいやで簡単に帰る日ずらす人間だろ?』
さすが俺の親友と言うだけあって、大友の言葉がとても腑に落ちた。
「それにしても、だ。だったら俺、今度のカテキョ帰りにでも自分で予約する」
『ゴールデンウィークは旅行客も多いし、今からでも簡単には取れないぞ。それに俺、福利厚生で旅行会社のポイントもらえてるんだよ。それ、使えよ』
「いやいや、それはお前のもらい物だろうに。そんなの使えない」
『いいんだよ、ポイント多すぎてどれだけ一人で電車乗っても使いきれないんだ。使ってくれよ。……いつか、通夜で泣いてくれたお礼だよ』
通夜と言う言葉だけで目頭が熱くなるのがわかった。
『宗太、ありがとうな。多分、親父もキチンと旅立てたと思う』
就職、引っ越し、四十九日。
世話しない数か月を終えて、最近大友もようやく落ち着いた生活を取り戻しているようだった。電話し合う回数も増えてきていて、声色が日に日に明るくなる彼に俺もようやく安心出来るようになってきていた。
そして、小さい頃から憧れだった彼からされたお礼は、新鮮でむず痒くて、とても嬉しい言葉だった。
そんな一幕を経て、俺は彼の謝礼に甘えて、帰省の電車に揺られていた。
傾斜が強い坂道。トンネルばかりの山道。林の隙間に見える湖。
地元に近づくにつれて、少しずつ自然が増えてきた。のどかな田舎にポツポツ立つ家屋は、その場に降り立ったこともない俺に旧知を懐かしむような不思議な感覚を与えてくれた。
ただ、少しずつ見慣れた景色が増えていくにつれて、俺は内心浮足立っている自分に気が付き始めていた。
俺はあの日、渚に今の自分の全てを伝えた。
渚の両親に会い、謝罪し、挨拶をし、全てを伝えたいことを話した。
俺の願いに渚は……まだ、何も答えをくれていなかった。
あの日の電話も、それ以降の電話も、本題には触れないヤキモキする電話になった。彼女の気に障るようなことを言いたくなかったから、俺はあれ以上渚を下手に刺激することをしようとはしなかった。
でも今になると、それはただの逃げなのではないかと思う気持ちも多少はあった。
あの日の俺は熱に浮かされていた。成長した自分に気付き、舞い上がっていたと言っても良い。だから、渚の両親に会って挨拶したいと思い立ったのだ。
渚の両親は大友の両親と同じく、小さい頃から俺を知っている人だ。縁もゆかりもない人ではない。気心は知れた人であろう。
でも、実の娘を欲しいと俺がもし言った時、おばさんはまだしも、おじさんは何と言うのだろう。正直、見当がつかなかった。
それでもそれは、多分乗り越えていかなくてはいけない過程の一つなのだろう。
渚と結ばれるための、大切な行いなのだろう。
正解だったかはわからない。でも、この気持ちが一生変わらない自信はあった。
であれば多分、俺の願いは正しい願いだったのだろう。
ただそれにしても……。
挨拶と一口に言っても、何て言えばいいのだろうか。
そもそも渚は、俺の願いを聞き入れてくれるのだろうか。
こういう時はスマホに聞けばいい。学習機能を備えたAI様は、人間よりも高度な知能で学習し、最適の答えを俺に授けてくれる。そこまでは思っていなかったが、極度の緊張から神頼み……いいや、機械頼みをしたい気分だった。
AIに話しかけようとして、メッセージの通知がスマホに流れた。
『着いた』
渚からだった。
どうやらもう、待ち合わせの駅についているらしい。
「早いよ」
隣の座席に座る中年女性に怪訝な目をされた。申し訳ない。
待ち合わせの駅に辿り着くまで、あと三十分ほど電車は走ろうか。事前に乗る電車と到着時間は伝えていた。長距離移動になる都合上、どうしても俺の都合に渚が合わせるのがセオリーだろうと思っていた。
が、どうやら彼女は違ったらしい。
『待ちきれなくって』
可愛い事言ってくれるじゃないか。
電車が予定より早く駅に辿り着くことは決してない。
しかし、一分一秒でも早く渚に会いたい。
その先、彼女に拒まれるのかどうなのか。彼女の両親に拒まれるのかどうなのか。
それはまだわからない。だけど、心の底から渚に会いたいと、そう思った。
定刻通り、電車は待ち合わせの駅に辿り着いた。手軽にまとめてきたリュックを背負い、急いで二階に駆けあがり、ホームを出て南口に出た。
タクシー乗り場の反対側の駐車場に、見慣れた軽自動車が停まっていた。
「や」
車に近寄って、運転席に座る渚に手を挙げた。
「お疲れ様。荷物、後ろに置いて」
「悪いね」
荷物を後部座席に置いて、俺は助手席に乗り込んだ。とりあえず渚は、俺を祝福気に迎えてくれた。
あとは……。
俺は生唾を飲み込んだ。
「じゃあ、行こうか」
渚が車のエンジンをかけた。
「お父さんもお母さんも、待ってるから」
俺は心の底から安堵していた。
しかししばらくして車が走り出して、ここからが正念場であることを思い出して、気を引き締め直した。
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