お昼ご飯を食べて、電車でGO
二月であるが程よく温かい気候の日だった。コートを着て行くか迷ったが、渚が迷うことなく着たから釣られて着て外に出た。
散歩日和の良い日だなとぼんやりと思った。実家を出て、しばらくホームシック気味になった時期もあったが、落ち着き始めた最近では天気一つで情緒を感じられるようになった気がした。
「うー、寒い」
隣を歩く渚がそう言った。地元に比べればまったくそんなことはないと思ったが、寒がりな彼女はなんだか愛おしかったので黙って微笑んだ。
しばらく渚と談笑して、歩き慣れ始めたアスファルトを踏みしめた。
都心を拠点とする大手企業の工場の隣を歩き、角で曲がった。そこから更にしばらく住居の隙間を縫って歩き、まもなく定食屋に辿り着いた。
「良かった。あんまり人いないみたいだ」
「お店の人は商売あがったりだろうけどね」
自分の都合だけを考えない渚に、思わず笑ってしまった。
定食屋は、店内も少しだけ寂れた雰囲気なように、店外も少しだけ古びた家屋みたいななりをしていた。暖簾がかかっていなかったら住居としか思えない有様だった。
しかし、これで味が絶品なのだからわからないものである。よく一緒にここに来る大友とは、食後にいつも感慨深げに定食の品評を繰り広げていた。
建付けが悪くなった扉を持ち上げながらスライドさせた。一回二回とつっかえて、扉が開かれた。
「二人。入れますか?」
よく利用する定食屋なものの、ここの店主と会話した試しはこれまで一度もなかった。田舎な地元と違い、都会は人との距離が少し遠く感じた経験は少なくなかった。ただまあ、現代っ子である俺的にはそれが悪いことだとはあまり思わなかった。
「どうぞ」
店主に空いている席に座って良いと促されたので、壁に付けられた小さなブラウン管テレビの真下の席に座った。向かいに渚が座った。きょろきょろと店内を物色しているようだった。
ブラウン管テレビからは演歌の特番が繰り返し流されていた。ここの店主は、どうやら演歌好きらしい。
「ここに良く大友と来るんだ」
「そうだね」
大友は電車が好きな男だった。それは彼の小さい頃から一定した嗜好であり、ただ世間で疎まれるような粗暴な連中とは違いマナーは守る男だった。とりわけ来年度からはそっち関連の仕事につくこともあって、一層粗暴な連中へ憤慨としているらしかった。
そんな話はどうでも良くて、とにかく電車好きの大友がわざわざ家から逆方向の都心へ向けて電車を乗り継いでくるのはさしておかしくもない話だった。彼の通う専門学校は八王子にあり、新宿から山手線に乗り換えるここいらは遠回りとは最早言えないくらいの距離があった。
にも関わらず大友は度々こちらに来る。その理由がつまり、電車好きだから、というわけだった。
「大友以外とは来るの?」
「来ないな。一緒に夕飯に行っても、居酒屋が多い」
「大友と二人の時は素朴さを求めるということね。特異な関係。やっぱり怪しい」
先日の話を引き摺る渚は、目を細めて俺を睨んでいた。謂れのない話過ぎて、この件に関してはすっ呆けるか無視するのが一番だと思っていた。
店主のお茶を一口啜って、
「渚、何にする?」
俺は尋ねた。
「宗太は?」
「いつものやつ」
「大友しかわからないのは止めて。大友しかわからないやつは」
えらく大友を主張してきた。ただの同性間の友人相手にそれは、些か嫉妬深過ぎるとも思ったが可愛いからオッケーです。
「ごめんごめん。アジフライ定食」
「美味しいの?」
「保障する」
「そっか。あ、でも食べきれなかったらあれだし。あたしやっぱり別のにするよ」
「そう?」
ようやく気を取り直した渚は、壁にかけられたメニューを楽しそうに眺めていた。
「決めた。あたし生姜焼き定食にする」
「わかった」
「アジフライ、一口分けてね」
「わかった。すみません」
店主を呼びつけて、俺は生姜焼き定食とアジフライ定食を頼んだ。
しばらく渚と談笑しつつ、背後のテレビから聞こえる演歌を聞いていると、まもなくお盆に乗せられた食事がやってきた。
二人でご飯を楽しんで、素朴ながら幸せな昼食を楽しんだ。
お会計は割り勘となった。
俺が払うと言ったのだが、そういうのは嫌と断固拒否されたので渋々従った。
そうして腹も膨れたところで、俺達は目当てである隣県、埼玉の川口を目指し最寄り駅へと向かった。
「ここから川口はどれくらい?」
「新宿から三十分くらいだから、こっからだと五十分くらいかな」
「結構あるね」
「都心の五十分なんてあっという間だよ」
それはしょっちゅう電車を利用する俺の個人的な感想だった。まあ、田舎の三十分に一本しかない電車事情に比べれば、待ち時間も短い都会の電車は体感での所要時間がまるで違った。
「……そう言えば、大友と一緒に川口に行ったことはある?」
「なんで?」
「いいから」
「……ないけど」
「やった。じゃあ宗太の初めて、一つもらっちゃったね」
……大学の友達の飯沼の家があるから、度々あいつと一緒に行ったことがあるとは野暮なので言えなかった。
ただ、たかだか一つの駅に一緒に行っただけでそれを喜んでくれる渚は、思わず口角を上げてしまいそうになるくらい可愛いと思った。
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