子供

 翌日の講義は、まるで頭に入ってこなかった。それが大友の父が亡くなったことと因果関係があるかと言えば、そうだとも言い切れない気持ちだった。滅多にないことに昨晩は浮き足だったが、一日経って多少は俺の気持ちも落ち着いた気がした。

 だから、今不真面目に授業を受けているのは俺の幼稚な精神性が出ているからと思ったが、とにかくどうも気乗りせずにホワイトボードに書かれた文字をノートに書いていった。


「死んだ魚の目する奴って本当にいるんだな」


 大学の友人である飯沼に言われた。一年と少しの間柄だが、一人暮らしを始めて自由の身となった俺は彼と遊ぶ時間が多くなった。趣味である御朱印集めを始めたのも、旅行好き、車好きですぐ車を出したがるこの友人の影響が発端だった。

 二限目の講義が終わると、隣の席に置いていたトートバッグに教科書を乱雑に入れた。


「じゃあ、また来週」


「うい」


 簡素な会話をして、飯沼と別れた。

 今日実家に帰ることは概要だけ飯沼に伝えていた。彼はそのことに対して茶化したり深堀りしたりはしなかった。

 詮索しない飯沼という男に、正直有り難いと思った。


 実家に着いて手短に身支度を整えて、家を出た。

 丁度その時、スマホが鳴った。渚からの電話だった。


「もしもし、どうかした?」


『宗太、スーツ持ってこないと駄目だよ?』


「あ」


 そうだった。

 成人式に使用したスーツは、何かの野暮用があっても困るのでアパートに一緒に持ち帰っていた。うっかりしていた。


「ありがとう」


『いいえ、じゃあ気を付けて帰ってきてね』


 短い会話を終えて、アパートを出て最寄り駅に乗り込んだ。ここから新宿駅までは乗換なし十五分くらいだった。どうしてか、いつもより早く時間が経過しているような錯覚を受けながら、まもなく新宿駅に辿り着き、数十分の待ち時間を経て特急電車に乗り込んだ。


 電車が家の最寄駅に辿り着くと、迎えに来てくれた母の運転する車に乗り込んだ。


「急に悪かったね」


 助手席に乗り込む前にそう言った。


「いいえ、あんたにしては活発に行動してるからそれで少し驚いたくらいよ」


「そうですか」


「……おじさん、家に帰って来てるけど、線香上げに行く?」


 そうか。

 今は自宅にいるのか。


「おう、行く」


 他人と関わるのをなるべく嫌がる人種だったのに、珍しく他人と関わることを心から望んだ。それくらい、大友の父にはお世話になったと思っていたのだろう。

 大友の家に辿り着くと、母を引き連れて玄関先にあるチャイムを押した。母はさっき既に挨拶したから良いと言っていたが、強引に引き連れて行った。


「こんばんは」


 玄関の扉が開くと、出てきた大友の母に会釈した。


「あらー、宗太君。この前振りじゃない」


 先日の成人式で、彼の母とも会っていた。


「こんばんは、おじさんに線香だけ上げさせてもらおうと思って」


「ごめんねぇ? ありがとう。さ、上がって」


 玄関を上がり、左手にある大友家の畳の座敷を歩いた。一部屋抜けて、その先の部屋に大友の父はいた。


 線香の香りが鼻腔を付いた。不快感はなかった。ただ、それがより彼の父が亡くなったんだということを物語っていた。


 白い布を彼の母が取ると、真っ青な顔の彼の父が安らかに眠っていた。

 遠い記憶の、微かにある彼の父の笑顔を思い出していた。その時のおじさんの顔と、今ここで眠るおじさんの顔は結びつかなかった。

 慣れない正座をしているのに、足は痺れてこなかった。浮世離れした時間は、現実味を俺の体から奪っていった。


「おー、宗太」


 意識が急に覚醒した。声をかけてきたのは、大友だった。

 意外に元気そうな大友の姿に安心させられた。例え空元気だとしても、泣き喚いて憔悴しているよりはマシだと思わされた。


「ご愁傷さまです」


 こういう形で大友と数日振りの再会を果たした。まず、事前に何を言うかは、取り乱すことも考えて事前に考えていた。

 畏まって頭を下げると、大友は返事をしなかった。


「大丈夫? 疲れてない?」


 母が大友に言った。

 

「全然です。寝れすぎて自分でも驚いた」


「まだ実感湧いてないだけなのかもね。あたしも親が死んだ時はそうだったから」


 大友が愛想笑いをしていた。

 ……こういう時、大人は凄いなと思った。傷心の大友に、慰めであり共感の言葉をかけられるのだから。

 何も出来ないことにショックはなかった。ただ、無言の場にならず、これ以上大友に辛い思いをさせずに済んで良かったと思った。


 冷たくなったおじさんに手を合わせて、線香を上げて、大友と少しだけ話して、長居してもと遠慮がちな母の言葉に従って大友家を後にした。


「意外に元気そうで良かったわね」


「そうだね」


「あなたも。さっき一緒に行った姉ちゃんみたいにわんわん泣かなくて良かった」


「そんな真似出来るか」


 どうしてそう思ったのかはわからなかった。


「……まあ、後は明日明後日、しっかり見送ってあげましょ」


「うん」


「渚ちゃんとは会うの?」


 渚の名前を聞いて……まるで石のように硬く重くなっていた感情が修正されていく気がした。


「……わからん」


 しかし、俺は躊躇っていた。今回はあくまで、大友の父を弔うための帰省だったから。

 渚と会う。

 そんな浮ついたことをするのは、なんだか大友に対して薄情な気がしてしまった。


「仁志君からしたら、二人がこの機会に会わない方が申し訳なく思うと思うけど?」


 母の言葉に、返答することは出来なかった。


「じゃあ、何かあったらあたしが責められるから、渚ちゃんに会いなさい」


「でも……」


「宗太。人が喜ぶ話題はね、人が亡くなること、いなくなることじゃないのよ。人が結ばれる時、人が成功した時、周囲は喜ぶの。

 明るい話題を提供してやりなさいな」


 そこまで言われれば、さすがの俺も渚と会わないという考えは消え去っていた。そのことに安堵している気持ちが微かにあることにも気が付いた。

 渚とは会いたかったのだろう。

 でも、誰かから責められるかもと思ったらそれを躊躇った。他でもない大友からもし責められるかもと思ったら、それを躊躇った。


 責任逃れをしたかっただけなのだろう、俺は。


 これでは常に責任逃れをし、水際対策すらまともに出来ない大嫌いな政治家と何も変わらない。

 つくづく、俺はガキだなと思わされた。


 家に着くと、渚に連絡をした。

 ただ会いたい、と。


 渚は間髪入れず、わかったと連絡してくれた。

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