タイムカプセル

 渚の友人である絵里という同級生と俺との関わりは、正直言ってあまりなかった。小学校、中学校までは同じ学校に通っていたというものの、二人きりで話したことは皆無だし、彼女の性格自体もそこまで知る機会というものはなかった。

 強いて言えば、昨日渚が言っていた酒癖が悪い、というイメージが、この一件を通して実感させられたという、その程度の間柄だった。


 さっきまでの車内、渚は俺から同級生の女子の話をすると酷く機嫌を悪くしたが、自分の友人である連中の話は自分から楽しそうに語っていた。だから、絵里という女性が根っからの悪人でないことはわかっていた。普段は周囲の空気を敏感に察知し、自分から話題を提供するようなそんな女子とのことだ。

 しかし、一度酒が入るとこうなるそうだ。

 将来、鬱屈な社会人生活を始め、酒が生きがいになるような年頃になったとして。もしその時が訪れた際、彼女は大丈夫なのかと、今この場でのこのウザ絡みを見て心配になった。


 渚は、半分やけくそになっていた。その姿もまた、再会してからは見せたことがない彼女の姿だった。捲し立てながら、如何にこの場の興味をさっさと片づけるか、そんな早期解決を試みているさっぱりとした問答をしていた。

 

 まるで有名人にでもなり、記者会見をさせられている気分だった。

 好奇な視線。下世話な質問。くだらないノリ。

 こういう時、人の隠された本性が見えるようで気分はあまりよくなかった。

 ちなみに言えば、俺は渚に任せて黙っていた。渚を見ながら、再会してから見れなかった彼女の一面を見て、周囲と一緒になって渚の反応を楽しむ側に回っていた。最低の男である。


 周囲は渚の回答に一喜一憂……いや、多喜していた。同級生同士の恋仲関係に、かつて同じ学び舎で遊び、学び、成長してきた立場だからこそ思うものがあったのだろう。


「それでそれで? 二人の馴れ初めは? どっちから告白したの?」 


 快調に質問に答えていた渚が、さっきもされ無視していた質問で固まった。


 どうしたというのだろう。

 思って、馴れ初めの場面を思い出して、俺は心当たった。


『明日、一緒に役所に持って行こうね』


 俺達の馴れ初めは、多分話を切り出した当人からしても先急ぎしすぎたやり方だったのだろう。後々あっさりと引いた辺り、恐らく強引すぎたと思っているのだろう。


 そりゃあ言い辛いよな。

 あたしから結婚を迫ろうと婚姻届を突きつけました。まずは恋人から始まりました。


 うん。とてもじゃないが言えないな、それ。


「俺からだよ」


 好奇の視線に晒される覚悟をして、声を発した。

 黙っていた男側の一言に、周囲が湧いた。

 渚は目を丸めて、先行きを見守るつもりらしかった。


「なんて言って告白したの?」


「ずっと好きでした、と」


 言いながら、嘘つくまでもなく黙秘を貫けばよかったのではと思った。

 周囲が一層湧いた時、そう思った。


「で、渚ちゃんはなんて返したの!? 返したの!!?」


「えっ!」


 振られると思っていなかった渚が、声を上げた。やっぱり黙秘しておけばよかった。彼女に飛び火してしまった。


「小田君。そろそろ始めないかい」


 当時の児童会長だった小田君に話を振った。


「ダメダメ。これが解決するまで始められないよ」


 こういう時、徒党を組んだ連中は一筋縄ではいかないんだなと思った。ニヤニヤする小田君に、わざとらしい舌打ちをしていた。


「ねえねえ、渚ちゃん!」


 女子が渚に迫っていた。真っ赤な顔の渚も、酷く新鮮だった。


「……あたしもって」


「え? 声が小さくてわからないよ!?」


 死体に鞭打つなよ。


「あたしも好きって言ったの!」


 やけになった渚が叫んだ。さっきまでのお淑やかな姿は今や微塵もありはしなかった。酷い人達はおおーと感嘆の声をあげていた。


「渚、大胆ー」


 絵里が言った。


「誰のせいやねん」


「あいたっ」


 そんな絵里を渚が小突いた。そればっかりは渚が正しいと思った。


「よし。じゃあ渚の彼氏の要望もあるし始めようぜ」


 そう切り出したのは、少しだけこの状況に飽きだしていた大友だった。彼なりの助け舟なのだろう。


「やかましい」


 半笑いで、俺はようやくこの場が終わることを喜びながら文句を口にした。


 一先ず、そんな和やかなムードでタイムカプセル開封会は始まった。

 タイムカプセル開封会、と言っても、校庭のどこかに埋めたタイムカプセルを掘り起こす、というイベント事ではなかった。俺達が小学校だった頃に成人を迎えた方々が先駆けとして地面に埋める手法を取ったのだが、体育館の改修工事に伴う地盤作りの際に土木機器に破壊されるアクシデントに見舞われたためだった。


 だから俺達の代では、同級生全員の思い出の品が入る程度の衣装箱を用意し、それをガムテープで目張りし、体育館の倉庫の片隅にひっそりと置いておく、という手法を取った。


「こちらがそのタイムカプセルになります」


 小田君が段取りよく、衣装箱を既に皆が集まっている駐車場まで持ってきていた。まるで三分クッキングを連想させる手際の良さだった。

 男数人で、衣装箱に目張りされていたガムテープを剥がしていっていた。俺は周囲の視線に晒され疲れたので、隅でその様子を眺めていた。渚はすっかり立ち直って……酒に酔われた絵里に絡まれていた。あれは確かに、愚痴りたくもなるだろうなあ。


「ほら、渚の彼氏」


 小田君に呼ばれた。


「せめて名前で呼んでくれ」


「宗太」


「なんじゃい」


「最後のテープ、ここまでのMVPのお前が剥がせよ」


 粋な演出をしてくれることだ。

 だがそれは、はっきり言って過剰演出。もう疲れたよ、俺。


「ちゃんと動画取っておけよ」


 だが、剥がさないわけにもいかない空気に一先ず乗っておいた。二十歳になった同級生達の活力ある感嘆の叫びに、俺はほくそ笑んだ。


 ぴこんぴこんと動画撮影の始まる音が辺りで響いた。


「じゃあ、いきまーす」


 わかりやすく声をかけて、ガムテープの端を掴んだ。こんな元気で快活な声、日頃の生活の中では出ないのに。大概、久しぶりに同級生達と楽しむこの場が俺は楽しかったのかもしれない。


 ばりばりと音がして、ガムテープは勢いよく剥がれた。


 衣装箱の蓋を取ると、大友が反対側から蓋を受け取ってくれた。


 このまま俺が各人に思い出の品を渡す段取りなのだろうと察して、衣装箱の中を覗いた。衣装箱の中には、たくさんの封筒が入っていた。封筒の表紙には名前が書かれていて、誰の物なのかはすぐにわかった。


「名前呼んできまーす」


 いくつかの封筒を手に取りそう言うと、小田君も寄ってきた。どうやら配るのを手伝ってくれるらしい。

 そうして俺達は、手分けして同級生達に封筒を手渡していった。手渡された人から封筒を開け始めているのか、至るところで懐かしい、だの、きゃー、だの、感嘆の声があがっていた。


「来てない人には後で俺から発送します」


 一通り封筒を配り終えると、小田君がこの場を締めるようにそう言った。


「それじゃあ、この後は〇〇に集合で。皆で会食しましょう」


 小田君が締めて、散り散りに皆が去って行った。


「宗太」


 大友に呼ばれた。


「何さ」


「お前、明日帰るんだっけ?」


「うん。その予定」


「じゃあ、一緒の特急で行くか。俺も明日学校」


 大友は東京の専門学校へは、実家から通っていた。


「おう、そうしよう」


 断る意味もないので、誘いに乗った。


「この後は? 渚と行くの?」


「……どうだろう」


 渚、どうするつもりなのだろう。


「お前がリードしてやれよ」


 渚を探すと、大友にごもっとものことを言われてしまった。


「じゃあ、一緒に行く」


「わかった。じゃあ先に行ってるから」


「うん。また後で」


 そう言って、大友は他の同級生と共に会食先となるレストランへ向けて向かっていった。

 それを見送って、渚を探した。渚はさっきまで一緒に乗っていた軽自動車の傍にいた。どうやら絵里も一緒にいるらしい。


「あ、来た来たー」


 こちらに気付いた絵里に言われた。


「あれ、二人で一緒に行くつもりだった?」


「んーん、ただ絵里にお灸を据えてただけ。あんまりお酒飲むなって。絵里は他の皆に連れてってもらうよ」


「ああ、なるほど」


 納得してしまった。


「お二人さん、熱々だねえ」


「うっせえうっせえうっせえわ」


 あんまり会話した記憶もないし失礼かとも思ったが、これだけべろんべろんだと大丈夫だろう。


「この人、日頃からこんなに飲むの?」


「ううん。ただ同窓会で再会した中学時代の皆と昨晩からずっと飲んでたんだって」


 それならこんなにもなるわな。


「それより宗太君。これ見てよ」


「あっ、こらっ!」


 怒気交じりに制止する渚を振り切って、絵里が俺に一枚の写真を手渡してきた。受け取ったら、渚が憎々しげに俺と絵里を交互に睨んできた。完全な巻き込まれである。


「見てみてよ」


 渚にいいの、と問うような視線を送った。

 渚は俺の視線に気付いているようだが、そっぽを向いた。勝手にしろということだろうか。


 俺は不安げに写真を見た。

 写真に写っていたのは……、


「うわ、渚ちっせえ」


 小さい頃の渚と誰かの写真だった。小学校時代の体育着、赤色の大玉、各国の旗……低学年の頃の運動会の写真だろうか。


「渚の隣にいるの、誰かわかる?」


「わからんわからんわからんわ」


「それ、宗太君だよ」


「ほへー、宗太君って子なのか」


 ……ん? ていうかそれ、俺じゃん。


「この写真、どうしたの?」


「さっきの封筒の中に入ってたの」


「……ん?」


 つまり?


「本当、一途だねえ。じゃあ、あたし行くから」


 ……まるで嵐のような人だった。酔っているのにあんなに全力疾走して、後々グロッキーになったりしないだろうか。心配である。


「返して」


 そんな吞兵衛の心配をしていると、写真を渚にひったくられた。


「……えぇと」


 俺はと言えば、言葉に詰まっていた。こういう時、どういうことを言えばいいかわからなかった。


「後で会食先に宗太の封筒持って行こうね」


「な、なんで?」


「皆の前で確認するの」


「い、嫌がらせにもほどがある……」


 ……まあ、それでもいいかと思う程度には渚の可愛げのある秘密を知ってしまった。

 恥ずかしいような、嬉しいような、照れくさいような、愛しいような、様々な感情渦巻く心情は、俺の気分を浮足立たせるには十分だった。

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