御朱印集め
外まで見送りに来てくれた母に手を振って、渚の運転する車は家を出て、まもなく俺の望む寺院巡りへ向けて大通りを進んでいった。
「にしても、御朱印集めねえ」
渚は面白そうに出発前に話した俺の趣味を語った。
「人の趣味をそんなに笑うもんでもないぞ」
「でも、だって、似合わない」
「率直なご意見ありがとう。自覚しているし、話す時もちと恥ずかしかったら控えめにな」
アハハ、と車内に楽しそうな渚の笑い声が漏れた。これだけ笑ってくれるのならば、恥も掻き得なのだろう。
「で、御朱印集めにどうして嵌ったのかな? 宗太さん?」
ニヤニヤしながら車を運転する渚に言われた。
「まあ、これには谷よりも高く山よりも深い理由がある」
「それ、喩え逆だよ。それで?」
「……最初は、江の島だったんだよ。あるだろ、江島神社」
「あー、あるね。小学校の修学旅行で、バス代ケチって橋の途中で歩き疲れて、行くのを頓挫した江の島ね」
「そうそう。大学生になって行く機会があったけど、あの橋思ったよりも短かった。当時は勿体ない事したなと思ったよ」
「まあ、大人になってそれを知る機会が出来て良かったんじゃないかな。子供の頃は途方もなく見えた物が実は呆気ないことって、結構あると思う」
「そうだね。貴重な体験をした」
しみじみ思って、俺は腕を組んで渚に同調するように何度もうんうんと頷いた。
「……あれ、何の話だっけ?」
「御朱印集め。あたしにどうやって始めさせようかって話」
「御朱印集めをどうして俺が始めたかって話ね。これ以上明後日の方向に行くと面倒だから軌道修正します」
「はい。どうぞ」
「まあ、大した理由はないんだけどね」
わざとらしい咳払いを一つして、俺は続けた。
「ほら、俺って小さい頃から収集癖があっただろ?」
「あー、あったね、あった」
「代表例はトレーディングカードだよなー。昔は凄い嵌った」
「そうだった。まあ当時は凄い流行ってたもんね。男子の中で」
「女子には入りがたい世界だよな」
「うん、そうだね。それで?」
「いやまあ、さっきの話に繋がるけどさ。大学生になった去年の夏、友達と一緒に江の島に行ったんだよ」
「……ふうん」
なんだか渚の声が冷たい気がした。
「それで、二泊三日で行ってさ。一日は海で、もう一日は観光しようってなって、藤沢に住んでる友達の案内で名所を巡ったんだけど、その江島神社にも訪れたんだよ」
構わず、俺は続けた。
「渚も覚えてたみたいだけど、小学校の修学旅行であそこに行こうとして頓挫しただろ。その記憶があって、いざ行ってみて神社とかシーキャンドルとか巡ってさ。どうせだから何か記念になる物が欲しいと思って、社務所に行ったわけだ。そこで見つけたんだよ。御朱印を。
そっからは収集熱が湧いてさ。何せ御朱印集めって、旅行ついでに神社に寄れば大体記念に残せるだろ? 旅の記念も兼ねて集めだしたら、いつの間にか旅にではなく御朱印集めがメインになってて、バイト代もそっちに消えるようになったわけだ」
「……ねえ、宗太?」
「ん?」
「江の島旅行の時は、女の子はいたの?」
「……え」
冷たい声でそんなことを聞かれるとは思っておらず、間抜けな声が出た。
「いたんだ」
どうやらその間抜けな声を、渚は同意と解釈したようだ。
「いやいや、いなかったよ。男友達だけだって」
「……ふうん。まあそれならいいんだけど」
「……そうか?」
冷ややかな車内に、とてもそうは思えなかったがまあいいか。
「とにかく、そんなわけで御朱印集めに嵌ったわけです。はい」
「……そっか」
しばらく車内に沈黙が流れた。付き合ってまだ数時間、正直渚の逆鱗がどこにあるかはまだわからないが、イメージよりも結構嫉妬深いことは理解させられた。
「宗太、旅行よくするんだね」
「うん。よくする」
「旅行、好きなんだ」
「好きだぞ」
「どうして?」
「自分の住んでいないはずの土地に行くのは、非日常感があっていい」
「そうなんだ。あたし他県にあまり出ないから、わからない感覚だ」
「じゃあ、今度こっちに来いよ」
「こっちって……東京のアパート?」
「そうそう。それで一緒にどっか行こう。今度、芝浦から伊豆諸島に行ってみたいと思っているんだよね」
「伊豆諸島? それも御朱印集め?」
「いいや。それは海を見たくて」
「海?」
「海なし県出身だと、海への憧れ強くなるもんだろ?」
「あー、まあそれはわかる」
「海、好きなんだよな。だから船で旅行してみたい」
「……宗太、変わらないね」
唐突な話だった。
「何が?」
「好きなことになると、饒舌になる」
クククと笑われた。
「饒舌に話すことがないよりましでは?」
「うん。それもそうだね。そうだけど、変わってないと安心するんだ」
「安心してくれるならこれ以上嬉しいことはないね」
「そうだね」
赤信号で停車した車内で、手持無沙汰になった渚が背筋を伸ばした。
「運転、辛くないかい」
「大丈夫。あたしも好きなことになると、辛さとか感じないからさ。似たもの同士だね」
「……そうだな」
「ねえ、宗太?」
「ん?」
「これから行くT神社って、地元でも有名な神社だけど本当にそこでいいの?」
「何が?」
「もっと珍しい御朱印を欲しがるものかなって」
「あー、まあ集めて半年くらいだからさ、正直地元はノーマーク。全然集まってないからこそ、まずは有名どころからかな、と思ったんだよね」
「ふうん」
「それに、誰かさんが惰眠に耽ったせいでそろそろ昼飯時だろ? その辺ならまだ、飲食店も少なくないからさ」
「あら、意外と考えてくれてるんだ」
「そりゃあ、名誉挽回しないとね」
「……馬鹿ね」
渚の呟きは、発進した車のエンジン音にかき消されそうになったが、何とか俺の耳まで届いた。
「宗太と一緒なら、どんなところに行っても、楽しいに決まってるじゃん」
……不意な惚気に俺はさっきまでの饒舌を繰り出すことも叶わず、情けなく頬を染めて前方を眺めるのだった。
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