自室は気まずい
「それで、宗太さん?」
「なんでしょう、渚さん」
「本日はどちらに行くんですか?」
「……あー」
気まずい空気が嫌で玄関まで足早に来たが、背後でニヤニヤする渚に言われて思い出した。そういえば今日のデートは、俺がエスコートすることになっていた。初めての恋人にする初めてのデートのエスコート、どこへ案内するのがベストなのだろうか。
と、ここまで語った時点でお察しの通り、昨晩エスコートの話を持ちかけられて数時間、俺は未だ今日の行き先を決められていなかった。
靴を履きかけていたのだが、とりあえず止めて玄関に腰を下ろした。
「どうしたの?」
渚は未だにニヤニヤしていた。多分、俺が無策なのが筒抜けなのだろう。
「若人さん達、そんなところでどうしたの」
こうなると厄介なのが、今こちらに迫りくるマイマザーだった。母は家の外に出るどころか玄関先で腰を下ろした俺を見兼ねてこちらへやって来ようとしていた。
……致し方なし。
「渚さん?」
「はいはい。何でしょうか、宗太さん」
「……わ、笑わないか?」
「何を?」
渚が眉をひそめて首を傾げるのは、至極当然の流れなほど、言葉足らずの問いかけだった。
俺は意味もわかってない渚の態度にそれ以上の言葉を紡がず、立ち上がり二階の自室に向かおうとした。
「あら、出掛けないの?」
「出掛けるよ、ちと準備するんだい」
母に言うと、火事場に集る野次馬のような下衆な顔をされた。
それを無視して二階に上がると、俺に続く足音がしたことに気付いてそちらを振り返った。
「どうしたのさ。車で待ってていいんだぞ?」
そこにいたのは渚だった。
「……いや、部屋の様子見ようかなって」
「いや、上京した時に大半のもの持ってったから、ベッドくらいしかないぞ。しかもちと埃っぽい」
「まあまあ、いいからいいから」
そう言われて背中を押された。あまり強く否定するのもどうかと思ったので、仕方なく渚を引き連れて部屋に行くことにした。
「うわあ」
「なんの感嘆の声だよ」
渚への対応もおざなりに、俺はアパートから持参していた大きめのトートバッグに向けて歩いた。とにかく目当ての物を早く見つけて、ここから立ち去りたかった。
「本当、ちょっと埃っぽいね。ちゃんと掃除機かけないと駄目だよ、宗太」
背後にあるベッドが軋む音がした。多分、渚が腰でも下ろしたのだろう。
「かけたよ、正月休みは」
「……この三連休は?」
「かけてない」
「不潔ー」
「たった三日だしいいだろ」
だらしない部分を晒させられて、少し恥ずかしくて捲し立てて言った。早く目当ての物を見つけたいが、鞄の中も散らかっていて中々見つからなかった。いいや、多分自室に渚がいる緊張も相まっているのだろう。
例の物、そんなに見つけづらいものでは……あ、あった。
「よし、見つけた」
さあ、行こう。
そう渚に言おうと思って、後ろを振り返った。
「……何やってんの?」
「んー? 別にぃー?」
渚は俺のベッドにうつ伏せに寝転び、枕に顔を押し付けていた。くぐもった声でそう言われても、何もないとはとても思えなかった。
「ねー、宗太ー?」
「何さ」
「宗太、明日何限目からの講義なんだっけ?」
「三限目。午後から。だから小学校のタイムカプセル開封会にも出るし、その後の同窓会にも出るよ」
「東京に帰るのは明日の朝?」
「そうだな。そうなる」
「ふうん。そっかー」
渚は枕を抱いて、体を少し回した。
「じゃあ、今日いっぱい遊ばないとね」
「……そうだな」
その遊ぶ時間を惰眠で減らしたことは、素直に申し訳ないと思った。
「……ねー、宗太?」
「何?」
「小学校への集合時間まで、ここにいよっか」
「そんなにこの部屋、お気に召されました?」
「うーん。うーん……どうだろう」
しばらく、渚の思慮の時間が流れ、最終的に体を起こした渚に枕を投げつけられた。何故だ。
「行こっか」
どうやら気が済んだようで、眩しい笑みを浮かべる渚に苦笑した。渚がベッドから立ち上がると、枕を戻して渚に続いて部屋を出た。
階段を降りると、玄関側にある台所から母が顔を見せた。
「あら、出掛けるの?」
「はい」
渚が笑顔で返事した。
ふと思った。
「マイファザーとシスターは?」
「お父さんはおばあちゃんに会いに、姉ちゃんは仕事」
「ああ、そう」
「今度は皆さんがいる時に伺わせて頂きます」
畏まって、渚は母に向けて頭を一つ下げた。
「いいのよ、渚ちゃん。別にそんな畏まるような間柄じゃないじゃない」
まあ、両母間の仲はとても良く、母にしても渚のことは0歳から知っていることだし、そう思うのも何も可笑しくはないと思った。
「いいえ。また今度、是非。今度は宗太がいない時にでも」
「なんでだよ、いる時にしろよ」
「だって宗太、上京してるから基本実家にいないじゃない。必然的にそうなるよ。それに、その方が面白そう」
「確かにそうね。渚ちゃん、是非そうして」
「あんた等は面白くても俺は微塵も面白くないぞ。絶対に止めてくれ」
「まあ、じゃあそれはまた今度」
渚に件の対応を曖昧にされたまま、この場を締められてしまった。母もそれ以上の深追いはしないし、どうにもやはり、この彼女に俺は頭が上がることはなさそうだった。
「それじゃあ、行ってらっしゃい」
「行ってきます」
「行ってきます。お邪魔しました」
母に見送られて、靴を履いて、二人で玄関を出た。どういうわけか、渚が来てからは慣れ親しんだはずの我が家が大層居心地が悪かった。まだ俺が渚という人が傍にいることに慣れていないから、なのだろうか。まあ事実、渚との関係は昨晩に出来たもので、たった一夜で母親周知の仲になるのは、中々にハイペースな気がした。
だけどまあ、事の発端は惰眠に耽った俺なわけで、文句を言う資格もない。
「運転、俺がしようか?」
だから、気を取り直して昨日一緒に乗り、庭に停められた軽自動車に向かう途中、渚にそう尋ねた。
「宗太、免許持ってたんだ」
「大学の友達と合宿免許で、去年の夏に取った」
「へえ、どこで取ったの?」
「茨城、友部。中々鬼教官だった」
「へえ、楽しかったでしょ?」
「ぼちぼち。で、どうする?」
「絶対運転しないで」
良い笑顔で強く否定されてしまった。
「だって、免許取りたてだし、もしもの時に保険おりないもの」
「……じゃあ、ウチの車で行くか? マイマザーに頼むよ」
「さっきからなんで英語被れ? まあそこは良くて、それも大丈夫」
「なして?」
「あたし、運転好きなんだ」
「……へえ」
なんだか、幼少期に抱いていた渚の大人でお淑やか、という印象からは乖離した話だった。どうにもイメージに似つかわないから、そんな曖昧な言葉が漏れた。
「ほらほら、良いから助手席に乗って」
「……すまんなあ」
「良いよ」
そう言って、二人で車に乗り込んだ。
「で、宗太さん?」
「何さ」
「今日はどこへ向かいましょうか?」
「……俺がエスコートするって話だったのに、なんか前提狂っちゃったな」
「宗太とあたしだったらいつものことでしょ。小さい頃も、宗太引っ込み事案だからやりたい物もやりたいって中々言えなくて、いつもあたしがやりたい体で一緒に引き連れて上げてたんだから」
「そんなことあったか」
イマイチ記憶になくて頭を掻いた。
眩いと思っていた記憶は、どうも不鮮明だった。どうやら自分にとって都合の良い記憶しか残っていないらしい。
「で、どこへ行くの? 何やらお部屋でブツを探されていたみたいですけど?」
「……ん、これな」
少しだけ気恥ずかしさを覚えつつ、俺は渚に自慢の一品を手渡した。
「……本?」
質素な表紙のノートのような冊子に、渚は怪訝そうに言った。
「違う」
「じゃあ、何?」
「……御朱印帳」
「……は?」
珍しく驚きの声が渚から漏れた。
手渡しておいてなんだか、今更ブツの正体を話すことが気恥ずかしくなってきていた。しかし、ここまで来ると引き下がるわけにもいくまい。
「だから、御朱印帳」
言い切って、再び恥ずかしさが襲って渚から目を離した。
「……さ、最近御朱印集めに凝ってましてね」
言い訳のように紡ぐと、まもなく運転席から昨日から含めて一番の高笑いが聞こえてきた。
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