ep.02-5 近衛騎士団スミレ隊隊長(5)
本部に来たらこの人に先ずは挨拶をしなければならない。
ユーリカは、質素な茶色の木の扉を三度ノックした。
「誰だ」
「近衛騎士団スミレ隊隊長ユーリカ・ディアナンドです」
「入れ」
中から響いてきた腹の底に沈むような低音。その声がユーリカの入室を許可すれば、彼は失礼しますと一言置いて、中に入る。
「戻ったか」
「はい」
「フェデリーカ様はどうだった」
「……出会った頃よりお変わりなく、いえ、それ以上にお優しいお方でした」
そうか、とほのかに口を緩めるのは、この国の総帥である。
騎士、兵士を含めた武官を統べる総帥は、王国の中でただ一人。全ての騎士団・兵団をまとめあげ、有事の際には多くの命をその背に背負う男。誰よりも強く在り、誰よりも無慈悲でいる男。
ユーリカは、その男を心から尊敬していた。
彼の右目は黒い眼帯で覆われ、肌は日に焼け褐色だ。その左目の鋭い眼光は、それだけで人を殺せてしまいそうな程で、きっちりと整えられた黒髪は、ワックスによりテラテラと光っている。何よりも、その大きい体躯で多くの人間を守り、その命を刈ってきたのだと伺える。
「閣下───」
「よい、ここでは私もお前もただの主に仕える騎士だ。いつものようにレンドラと呼べ」
「……レンドラ様をお慕いしてはおりますが、立場をもう少しお考え下さいませ」
「俺には貴族は分からん!」
そう言い切る総帥レンドラ・アドラーを他の彼に憧れを抱いている騎士や兵に見せられないなと呆れをこぼした。
彼は平民である。
平民でありながら、剣の才能に恵まれ、騎士学校に入学し、主席で卒業。平民が騎士になることに多くの貴族は反感を抱いたが、その腕で全て文字通り薙ぎ払ってきた。今では、陛下より騎士爵を賜り、一代限りの貴族となっている。
この国において、騎士は貴族、兵士は平民と決まってはいないがそのような風潮があった。長らくその慣例は続いてきたが、とうとうレンドラ・アドラーという男が騎士として成り上がり、その歴史を大きく変えたのだ。
特に平民にとってこの男は英雄である。
だからこそ、ユーリカは絶対にこの姿を他の人間には見せられないのだ。
「俺の陛下もお優しいが、あの方はちと気弱すぎるのだ。正妃殿下や側妃殿下に頭が上がらないなど……いやまぁ、俺も嫁には頭が上がらないが……」
「なんのお話をされているのですか……」
便乗するようにオベロンも、「まぁタイテーニアには適わないよねぇ」とケラケラ笑っていた。
どいつもこいつも嫁馬鹿である。
「いいか? 家の中では男は下僕だ。奴隷と言ってもいい。お前も結婚すればわかるぞ……。というか、成人したのに公爵家の長男が婚約者もおらんとはどういうことだ!」
「レンドラ様には関係ないでしょう!?」
どうやら話がだいぶズレてきたようである。
「そうか、分かったぞ。お前、まだ遊んでいるんだな。幼少期の初恋が忘れられず、女を取っかえ引っ変えして……色街に出入りしていたことは知っているんだぞ」
「何も分かっておられないし、初恋が忘れられない訳でもないですよ……。第一あれは初恋というより……」
「よし! 俺が恋の伝授をしてやろう!」
「聞いてないし……」
こうなると話が長引くのがレンドラだ。
どうしてこう、自分の前ではこんなんなのだろうか……。
それは正しくレンドラがユーリカに絶対的な信頼を置いているからなのだが、ユーリカはそこまで考えつかないのだった。
あー……この様子を全国民に見せてやりてぇ……。
いい歳したおっさんが目の前で恋について熱く語っているのを遠い目で見ながら、ユーリカはそう思った。剣の腕は確かなのに、どうしてもこういうところがあるのが、この人の悪いところなのだ。
ちなみに、ユーリカは色街に出入りしているという言葉は否定しなかった。ユーリカも年頃の男なのである。
「総帥、私がここに来たのは恋のお話をする為ではございません」
「……そうか。よい、お前の好きにしろ。私が責任を取る。……だが、第一王女や第一王子のお手付きはやめておけよ。俺でもあの方々の癇癪を止められるかどうか……公務をされている時は、それなりに王族らしいのだがな……」
王宮の敷地内で話す話ではない。誰かに聞かれれば、不敬罪と取られてもおかしくない発言だ。だが、それは絶対にありえないことだとユーリカもレンドラも知っている。
「……いくら防音魔道具があり、レンドラ様の防音結界があるとはいえ、下手したら不敬罪ですよ」
「ふんっ。ここにいるヤツらは基本あの方々はあまり好きではない。聞かれても問題ないだろう」
レンドラの魔法は、結界魔法。自然現象を起こす固有魔法の中では、異質中の異質。風魔法の派生だ。
空気を圧縮させることにより、結界を作り出すことが出来る。むしろ、それしか出来ないと言っても過言ではない。
しかし、その魔法は剣と共に生きるレンドラにとって欠かせないものとなった。
盾が必要ないのだ。
体に結界を纏わせれば、それは最強の盾となる。剣が矛となり、体が盾となる。その存在がこの男の全てを大きくした。
無論、結界を歪め、纏わせるのは常人では無理だ。強度を保ちつつ、自身の動きに合わせて形を変えるなど不可能に近い。それを日々の血の滲むような努力を重ね、形にしたのだから、剣だけでなく努力する才能を彼は持っていたのだ。
「ユーリカ。俺はな、陛下に出会えて、この剣を捧げる相手がいて幸せだ。そして、全てを受け入れてくれる妻がいて大いに幸せだ。俺の命は陛下に、俺の愛は妻と子供たちにそれぞれ捧げている。……お前にもそんな人を見つけて欲しい」
「……そうですね。少なくとも私は、剣と命を捧げる相手は、昔から決まっていますよ」
あの方を一目見た時から、俺の全てはあの方のものだ。
口の中でそう零した。
ユーリカの柔らかい笑みを見て、それが事実であることを悟るレンドラ。幼い頃から見てきた彼は、もうとっくに立派な騎士なのだと嬉しくも寂しくも思い、これが親心なのだと感じた。
レンドラには、息子と娘がいるが、ユーリカも彼にとって息子の一人なのだ。守るべき大切な家族なのだ。
礼儀正しく、失礼しましたと一言置いて、部屋を去る。
「フェデリーカ様、どうか俺の大事な息子をお救い下さい」
ユーリカが幼い頃、彼を引っ掻き回し笑顔を引き出したこの国の大切な第二王女へ。
祈るように零した言葉に応えるかのように、レンドラの頭には小さな金粉が一つ、落ちたのだった。
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